第33話:爆撃あばよ。誰でも1回は勝負しなきゃならないときがある

すべて刷り終わると、私は、最終電車で学校へ向かった。

駅を出ると、真っ先に公園の公衆便所へ向かい、

そこでジャージに着替え、時が来るのを待った。

特別な感情は無い。

ただ、体力が消耗しないように、角にもたれ座って待つ。

そして、午前3時、便所を出た。

黒く青ざめた夜の街路をひたすら歩くと、

真夜中の月明かりの下に、巨大な断崖のように静かにそそり立つ鉄筋コンクリートが目に飛び込んできた。

昼間と違い、何も喋らず、ひっそりと黒く立ちはだかる。

私は、迷いもなく自分の目の高さくらいの門扉もんぴをヒョイッとよじ登り、

その黒い建物の中に忍び込んだ。

秋の夜中。

空気がカチカチと固い。

のどに冷たくり付く。

私は、制服とカバンを中庭の茂みに隠し、

ビラの入ったボストンバッグを胸にしまい、

1年の校舎へと向かう。

少し息が荒れ始めている。

教室の下へと来ると、私は、軍手をめ、

右手だけをにょろっと伸ばし、窓をさぐる。

昨日の放課後、閉門するぎりぎりまでねばって、ここの鍵だけを開けておいた。

もし、その後、誰かに閉められていたらすべてがパーだ。

ウチの学校はまだ警備員を置いていない。

でも、この事件がきっかけで置くことになるだろうな。

私は、窓のふちに手を掛け、ゆっくりと横方向へ力を掛けた。

すると、湿気で密着していた窓が、ベチャッと窓枠まどわくから分離し、

ドロドロドロッと重く横にすべり出した。

今、真っ暗闇の中に私の歯が白くキラッと光っているに違いない。

カバンをそっと放り込んで、ヨイッと身体からだを持ち上げ、教室へとすべり込ませる。

夜の教室。

月明かりに煌々こうこうと照らされる光と影のコントラストが、カミソリのように目に鋭く飛び込んでくる。

思わず、グッと息を飲む。

鼻息が耳に木霊こだまする。

たしかに私一人だな……。

靴を脱ぎ、靴下のまま玄関へ行き、上履うわばきに履き替える。

ペタペタ響き渡る足音。

振り返ると、白い壁にボワッと私の黒い影。

月明かりにふくれ上がってソワソワ動くのが、私の緊張を客観的に具象化しているようでマヌケだ。

現代アートにふけっている場合じゃない。

私は、真っ直ぐ屋上へ向かう。

階段を上がる足音が、徐々に、響かなくなり固く重くなっていく。

空間がせばまっている証拠だ。

上に行くに従って光が無くなっていく。

屋上へ出る扉の前へ来ると、目を突かれつぶされたような暗闇で、

平衡へいこう感覚を失い、フラフラする。

肋骨ろっこつあたりの位置をモヤモヤと手探てさぐりすると、

手の甲が、ドアノブにカキーンとぶち当たる。

鍵が掛かっている。

これは昼でも同じだ。

合い鍵は事前に作っておいた。

演劇部は屋上で発声練習をするので、鍵は簡単に借りられる。

その代わり、念を入れてわざわざ私服に着替えて隣町の鍵屋まで作りにいった。

合い鍵の先端を、ジリジリッとぎこちない歯車を噛み合わせるようにゆっくり差し込む。

どうか、開きますように……。

慎重に身体からだごと反時計まわりにまわす。

すると、ガタンッと重くにぶい音が身体からだの芯に響いた。

一気に鼓動こどうが高鳴る。

ノブをまわし、そっとドアを開けると、

隙間から月明かりがスパンッと差し込んで私をる。

反射的に目をつむって顔をそむけた私は、

身体がよろけて、勢いドアを開け、一歩外へと踏み出した。

ボヤけた視界が徐々にクッキリとしてくる。

目を見開く。

天空だ。

黒が360度。

果てしなく彼方へ向かって突き抜けている。

風がほおぱたく。

轟々ごうごうと耳が鳴る。

身体がブワブワと揺れる。

寒い。

地にじ押さえ付けられるようになる。

私は、前へ突き進んだ。

下を見なきゃ。

手摺てすりまで来る。

風にみくちゃにされる顔を持ち上げ、ゆっくりと地上を見下ろした。

薄靄うすもやに包まれた運動場はなまりの池のように口を開けて待っている。

深呼吸が思わず出る。

溜息だったかもしれない。

夜の黒い空。

どこまでも遠くへ。

鉄の綿菓子みたいな夜の雲が息をひそめて空ににじみ浮かんでいる。

その下に一人私。


とうとう来ちまったな……。


バレたら退学だ。

うっすらと白い息が透明の夜空に浮かんではける。

ボストンバッグを持ち上げる。

ゆっくりファスナーを引くと、ブツブツブツと鈍間のろまな音を立てて金具が外れていく。

中には千枚のビラ。

改めて多い……。

広辞苑より分厚い。

遠くの街を見つめる。

まだ、所々、灯りがいている。

他所よそでは何気ない今日という一日の何気ない時間が営まれているんだ。

黒い空の下、ビラのたばを抱える私。

何でこうなったんだろう……。

アホウな私には分からない。

でも、後悔はしない。

しかたねえ……。

私に、西野のような、多数派工作みたいな器用な真似はできない。

そんな小細工こざいくで勝てるような相手でもないか……。

笑ってやってくれ。

私は、こういうやり方しかできないんだ。

私を見下ろすそら一面の星。

下を見る。

鉛の運動場は口をパクパクさせてえさを待っている。

私は、50枚ずつ分けて束にしておいたその内の一束を、左から右へ刀を振り抜くように威勢よく運動場へき散らした!。

ビュワーッと夜に広がる白い花びら。

風に吹かれて飛び散る。

そして、瞬間、空中で散在してヒラヒラ下へ舞い落ちる。

風に背中を押されてビランビラン四方へ散っていく。

そして、一月のボタ雪のように深々しんしんと地面に眠っていく。

静かだ……。

でも、余韻にひたる暇は無い。

引き続き、景気よく力一杯どんどん撒き続ける。

バラバラヒラヒラ散り落ちていく。

私は、何も考えず、ただ必死に腕を振り抜く。

はしから端へ往復しては、満遍まんべんなく散るようにただひたすらバラ撒く。

何も頭に浮かばない。

白い雪だけが黒い夜をベタベタと塗りつぶしていく。

そして、最後の束を、西野の顔を思い浮かべて、ぱたくように空にたたき付けてやった。

ビュアッと花開はなひらくように空中で放射線状に散り、最期の息を止めるようにスローモーションで地面に沈んでいった。

終わった……。

息が切れていた。

いては顔面にまとわり掛かってくる白い息。

ゼーゼー胸が熱い。

身体の皮が引っ張られ、頭がツーンと強張こわばり、

巨大な耳鳴りがして、目をギュッとつむる。

固まる。

動けない。

私は、呼吸がおさまるまで立ち尽くした。

黒い大海原おおうなばらにしばらくゆらゆらまれた。

熱い……。

座らせてくれ……。

私は腰を下ろし、静かに熱が退くのを待った。

しばらく風に吹かれると、冷気が私の身体からだを絹のように優しく包んでくれた。

息が落ち付いた。

私は、改めて、下を見下ろした。

一面、白の落書き。

朝露あさつゆで窓ガラスに貼り付いている白。

花壇の植木の間に入り込んでいる白。

そして、運動場をおおい尽くす白。

千枚……。

圧巻。

白クジラの打ち揚げ。

とうとうやった。

風が横から吹き付け、私の心からあらゆるものを取り去っていく。

私は、一人、取り残される。

ヨロヨロぼんやりちょうちん……。

あてもなく流れていく。


 あばよ……。


私は、上履きを戻し、1年の教室に戻ると、

外から飛び下りたときに付着した靴跡くつあとの砂利をき取り、

付いているかいないか分からない指紋を取り去って、再び外へ出た。

ドキドキしていなかった。

すべてを捨てる覚悟でやった。

目撃されるのだけを恐れて早く身を隠したかったが、

グッと押さえて、ゆっくりと急いだ。

そして、再び公衆便所へもぐり込み、息を呑みながら、じっと朝が来るのを待った。

鼻息だけが便所の安いオレンジ色の電球に照らされているようだった。

自分の胃酸いさんくさい息のにおいだけが、ヘルメットをかぶったように、せ返るように顔にドペーッとり付いた。

糞尿ふんにょうの臭いはしなかった。

しても分からなかった。

ただ、オレンジ色に反射する腕時計を眺め、朝がくるのを待っていた。

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