第32話:アクシデント:義憤ではない、自分のためにやる

水谷が、突然、演出から降りた。

見ると、西野派の3年が演技を付けている。

浅倉と八坂のラブシーンを増やす増やさないで西野とモメたらしい。

文化祭まであと一週間。

水谷でなくても、この時期に台本を変更するなんて考えるバカはいない。

水谷は当然拒否した。

すると、言われたらしい。

今岡や私のようになりたいのか、と……。

聞いた瞬間、私は、今にも西野に飛び掛かろうと、怒りで胸がブルブルと震えていた。

人を八百長やおちょうボクシングの噛ませ犬みたいに言いやがって。

私は、水谷を探した。

どうしているんだ?。

普通でいられないはずだ。

私は部室を見まわす。

すると、水谷は、ベランダでセットの色塗りをしていた。

一人、腕まくりをして、四つんばいになり、テキパキと淡々とした表情を浮かべて作業をしている。

私は、居ても立ってもいられなくなって水谷の横に飛び込んだ。

「どうしたの?」

「ああ、まあね……」

 水谷は、火照ほてった私とは対照的に、冷静に達観した表情で返事をした。

 気をつかっているのか、私をネタにおどされたことは言わない。

「演出は?」

「今、みんな、手一杯だから」

 遠くを見ると、八坂のバカが浅倉にじゃれついている。

 浅倉は、もはやそのぶら下がりだ。

「文化祭まで、もう時間が無いからね」

 水谷は、私と目を合わせず、刷毛はけで丁寧に色を重ねながら、努めているように明るく言う。

「水谷さん、私が言うのも何だけど、これは、アンタの芝居だよ」

 語気が少し荒れる。

「……」

 水谷は、やはり目を合わせない。

「台本だって……」

「二人で、夜、残って作ったね」

 水谷は、私と、ギターのシーンを作ったときのことを懐かしそうに微笑んで言った。

「私もイギリスのブルースロックのこと、ずいぶん詳しくなったよ」

 塗りながら、思い出し笑いを浮かべて水谷はにこやかに優しく言う。

 私も乗って話す。水谷の笑顔が見たい。

「クラプトンじゃダサいから少しファンクっぽくしようって……」

「あのシーンはよくできてるよ」

 フフフと水谷は、私をめるような、どこか達観したはかなげな含み笑いをして言った。

 私は、胸が締めつけられる思いがした。

「私、アンタの演出じゃなきゃやらないよ」

「……」

 水谷の手が止まった。

「私なら、今さらどうなったって……」

〝これ以上イジメられたって〟と言おうとしたが、水谷はそれを察してか、急に顔を曇らせ黙った。

 そして、しばらくして、しんみりと重く、それでいてどこか明るく私に言葉をそっとよこした。

「芝居って後戻あともどりできないから良い。毎回毎回同じ芝居は二度とできない」

 突然何の話……?。私は水谷を見つめる。

 水谷の遠くを見ているような眼差し。

「今日の芝居は、明日できない。生きてるんだと思う」

 引き締まった表情。

「……」

 私は、黙る。

 水谷も黙っている。

「こんなこと言うの、変?」

 水谷は、初めて私と目を合わせ、照れ臭そうに微笑んだ。

 水谷……。

 ズンと鳥肌が立った。

「私、アンタの演出でギターが弾きたい」

 私は、告白するように真剣に言った。

 水谷は一瞬ハッとして唇を噛んだが、すぐに

「ありがとう……」

 と真摯しんしに柔らかくしっとり返した。

 何だか落ち込んでいるようにも見えた。

「浅倉、あいつ、にぶいから」

 私は、ニカッと冗談で切り返した。

 水谷は笑った。

 笑いにまぎれて一瞬シュッと鼻をすすった。

 そして、絵の具を塗る振りをして、私の反対側に顔をそむけた。

 決して私を見ようとしない。

 私が気になって、そっと覗き込むと、目尻に赤い水滴が滲んでいた。


 『浅越高校・演劇部-農業科

  今年は大根あたり年

  八坂ダイコン、大セール

  いとしの浅倉君の前でたたき売り

  嫌われてるのも知らずにくさくさい!

  「公爵こうしゃくさま……」ってツラか

  浅倉スーパー、返品できずに廃棄処分

  これぞ怒涛どとうの食糧不足だ!

  近日、文化祭で大試食会

  乞うご期待!』


原本は、自宅のパソコンで作った。

あとはコピーだ。

千枚刷ろう。

1店のコンビニで全部刷ると怪しまれ、足が付く。

隣町のコンビニを一晩かけて7軒くらいまわる。

ヘソクリも貯金も全部使いぎ込んだ。

まわるごとにボストンバッグがふくれ上がり、肩がはずれそうになる。

一軒刷っては部員のため……。

一軒刷っては水谷のため……。

そして自分の……。

キュイーン、キュイーンとコピー機は何も語らず、ただただ規則正しくビラをき出していく。

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