浮遊感  °°  ー彼女を知るための5つの話ー


 油の染みたテーブル席に座って待つ。


「よく来るの? ラーメン屋さん」

「ひ、ひとりでは来ないよ。でも、兄さんとか、お父さんとかが連れてってくれた」

花穂かほさん、止めなかったのね」

「お母さん? お母さんは止めないよ。だって、お母さん主催で行くことも多かったんだもん」

「あっそう……」

 彼女の母、花穂さんもトリッキーな人だったからまあ当然の反応か。

「柚希、ほんと食べるの好きよね」

「好きー」

 普通の女子はあまり喜ばなさそうなところを、柚希はニッと笑った。

 だからこういう顔をもっとさあ、と再び思ってしまう。

 

 注文したラーメンが届く。

 私のは、透明とうめいうつわに盛られた、すずしさただよう冷やし中華。

 柚希のは、チャーシューだらけで、醬油スープがあまり見えなくなっている、中華の器だ。……あ、味玉……え、三つも? ……え、ナニコレ。


「いただきます」

 柚希は手を合わせて言った。

「いただき、ます……」

「風華?」

「柚希さ、それ、食べれるの?」

 食べざかりとはいえ、あまりにもえげつない量じゃないか。

 こんなの、男子だって食べきれるのかわからない。


 しかし柚希は小首をかしげるのみだった。

 何言ってるの? そう言いたげな表情だ。

「あ、いいですもう。食べて」

「いただきます」

 再びそう言うと、彼女はチャーシューをかき分けて、中の麺を取り出した。

「っ……! ん~……!!」

「ゆ、柚希」

「んまい!」

「そ、そう」

「んまいんまい……」

 これが、恍惚こうこつの表情というやつなのか。なんて、幸せそうな表情だ。

「ふふ」

 そんな様子に、つい私も笑ってしまう。

「ん?」

 もごもごと口を動かして柚希が首を傾げる。

「何でもない」と私は笑い返した。 


 あんなに大量のラーメンを、柚希は止まることなく食べ進めて言った。

 私は柚希のに比べたらはるかに小さな料理だったのに、結局食べ終わったのは柚希の方が先だった。

「のんびりだね。風華」

 柚希にだけは言われたくない一言ではあったけれど、今は確かにその通りだった。

「もしかして、お腹いっぱいだった?」

「あ、うん。そうね」

 気持ちがよくなるくらいの食べっぷりと、普段なかなかおがめない笑顔に見蕩みとれていたなんて言えるわけもなく。

「そっか」

「あ、でも、おいしかった。ありがとう。誘ってくれて」

 そう言うと、柚希は微笑んだ。


 


「今度は服買い行こうね」

「……」

 電車の中。柚希は露骨ろこつに嫌そうな顔をする。

 一緒にいて気づいた。柚希は結構表情豊かだ。

「そんな顔しない」

「だって、私服とかいらないし」

「いるの」

「……」

「多分、似合うよ、なんでも」

「そんなことない」

「それを確かめるためにもさ。ね」

「ん……」

「や?」

 柚希がこっちを見た。ぎゅっと眉を寄せて私を見ている。

「茶化されるの、や……やだ。」

「今、やって言いかけたでしょ」

「言いかけてない」

「えー」

「もうっ、もう、行かない」

「あーもう」

 めんどくさいなあ。でも、可愛らしい。


 海が見えた。私の住む島と、電車を挟んで背後の山の向こうに柚希の住む町。

 また、こうやって出かけられたなら嬉しいな。

 私立の小学校に通っていた頃は、誰に対しても思ったことのないような感情だ。

 どうしてだろう。柚希が従妹いとこだからだろうか。


「ばいばい」

「うん。また月曜日。手、お大事にね」

「うん」

 頷くと柚希はきびすを返した。後ろ髪がなびくほどの風の中、駅の改札を出て行った。

 躊躇ためらいがないな。振り返りもしない。別にまたすぐ会うからいいんだけれど。

「さて」

 私も帰ろう。彼女に背を向けて、島の方へ歩き出す。

 いずれ、この町を離れる時が来たとき、多分柚希はふわふわ浮かぶように行ってしまうんだろうと思う。

 考えても仕方のないことだけれど、少しはひかれる後ろ髪を、うっとおしく思って欲しいなあと、そう思った。

「……って何考えてんだろ私。馬鹿みたい」

 女々しい考えに自嘲じちょうして、私は駆け出した。



※あとがき

 この話は、百合じゃないです。今後柚希と風華に関連する話が出てくると思いますが、そういう展開にはならないので、悪しからず。


 ここまで読んでいただきありがとうございました。


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浮遊感 蓬葉 yomoginoha @houtamiyasina

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