浮遊感  ° °  ー彼女を知るための5つの話ー

「テーピングのお礼に、私がおごるよ」

 そう言われて隣町の盛谷もりや市街にやってきたのは、その週末だった。

 別にいいのにと思いつつ、変に謙虚けんきょになるのもどうかと思って、言葉に甘えた。

 

 駅前で待つ。

 柚希の私服を、私は見たことがない。

 従姉妹なのに? と思われるかもしれないけれど、私が柚希を含めた十一人の兄弟姉妹と初めて会ったのは叔父、つまり彼らの父である陽介さんが病床に伏してからのことだ。それまでは存在こそ知っていたけれど交流はなかった。私が私立の小学校に通っていたのもよくなかった。

 柚希どころか、友人と出かけるの自体が初めてということもあって、とても緊張していた。


 約束の時間の五分前、柚希はやって来た。

「待った?」

「いや……ううん」

「ならよかった。じゃあ行こっか」

「いや、ちょっ、待って」

「ん?」

「ん?じゃないでしょ。え、何で制服?」

 柚希はいつものセーラー服姿だった。

 てっきり私服だと思っていたのに。

 柚希は首を傾げる。

「いやだって、わざわざ着ていくもの引っ張り出すのめんどいし」

「ええ……そこは頑張ろうよ」

「風華は私服なんだ。ふーん……」

「ちょっと、そんな、ジロジロ見ないでよ」

「ジーパンと、Тシャツ?」

「デニムとブラウス! どこがTシャツよ!」

「え、ご……ごめんなさい……」

 さては、ファッションとか全く興味ないな。私も大概だけれど、下には下がいるということか。というかジーパンなんて、久しぶりに聞いた。死語じゃなかったのか。

「今度服買いに行こう」

「えー……」

「えーじゃないの! 今のうちに勉強しとかないと大変なことになるよ!」

 私は彼女の肩をつかんで言った。

 しかし、柚希はむぎゅっと眉をひそめて「馬子にも衣裳だし」と言ってそれっきり黙ってしまった。



 不機嫌になってしまったらしき柚希だが、狙っていたというラーメン屋に入ると様子が一変した。

「ねえね、風華はどうする? 大盛でも特盛でもいいよ。なんなら味玉とかつけちゃう?」

 微笑を口の端に湛えながら、うきうき感があふれ出た口調で彼女は言った。

 声量こそいつものように静かだけれど、隠しきれない感情が零れ出ている。

「柚希はどうするの」

「私? 私は豚醤特の味玉乗せ」

「専門用語みたいに言うなもう……」

 ほんとに彼女は女子か? 大体、まず真っ先にラーメン屋に入るとは。別にラーメンは嫌いじゃないし、おごられる立場で文句を言うつもりはないけれども。

「食べてみたかったんだぁ」

 にへら柚希は笑う。

「ふうん。ま、じゃあ私は冷やし中華でいいや」

「え何でこんな小っちゃいの? 私がおごるんだよ?」

「金の問題じゃなくて。食べきれないよ、特盛なんて」

「嘘……」

「信じられないって顔をするな」

 何処となく不満そうだった柚希だが、券売機前で立ち止まるわけにもいかないという良識くらいは持ち合わせているようで、すぐにボタンを押した。


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