悪いニュース



 教室に入ると,ニョロニョロとした動きが視界に入った。左右に小刻みに揺れながら近づいてくる。何かに似ているな,何だっけなと考えていると,そいつは甲高い耳障りな声を発した。


「何難しい顔をしているんだい? 考え事をしているところ悪いけど,ニュースを二つお届けするよ」


 なんだっけな。もう少しで思い出せそうなのに。目の前の間抜け面をじっと見つめる。今からおもしろいことを話をする,そのあとのリアクションが楽しみでたまらないという人特有の間抜け面を彼は披露した。だいたいこんな顔をする奴の話は,すべる。


「驚いて何も言えねえか? って,まだ何も言ってないやろがい。一つ目はだな,この宮坂悠平様は生徒会長の候補者から降りる。おれがいたら間違いなくてめえには票が入らない。どうだ? いいニュースだろ? 人望も天と地の差だし,何より大スケベっていうお前の名前は卑猥だ。風紀が乱れる。おれがいたらお前は当選しない」


 抱腹絶倒のギャグをかましたとばかりに,得意げな顔をして周りを見ている。教室の中では,頭の悪そうなやつほど面白そうに笑っていた。


「もう一つはバッドニュースだ。聞きたいか? 聞きたくはないか」


 顔の前で人差し指を立てて,チンアナゴ入った。その顔を見て思わず声が出た。思い出した。


「ムーミンだ。ムーミンに出てくるやつ」

「お前,気でも触れたか? 何言ってんだ急に」

「いや,そのなよなよしてひょろひょろしている感じ,何かに似ているよなって思ってたんだ。ムーミンに出てくる細長い奴に似てるな,お前」


 教室で笑い声が起こった。どうやらムーミン谷に出てくるニョロニョロとした謎の生き物にそっくりなこいつには,自分で思っているほどの人望はなさそうだ。


「てめえ,調子に乗りやがって。あとでぼこしてやる」


 この前やられたことが頭に残っているのか,相当頭にきているようだが手は出してこなかった。絵に描いたように肩を怒らせて回れ右をして席に向かったが,思い出したようにまたこちらを向いた。


「悪いニュース,伝えといてやるよ。我らが相良龍樹が生徒会長に立候補する。お疲れだったな」


 わずかに教室がどよめいた。「意外だな」という声もあったが,全体として共通していたのは「生徒会長は龍樹で決まりだな」という雰囲気が漂っていることだ。



 そこそこ大きな学校なので,校舎は二つに分かれていて,さらにプレハブまで増設されている。特別棟と呼ばれる本校舎とは別の建物の二階に,「生徒会室」と仰々しく木の板に文字が刻まれた部屋がある。


「本当に立候補するのか? まあ,立候補するのは自由だ。せいぜい頑張れよ」


 扉を開けると,パイプ椅子にふんぞり返って威圧するように待ち構えている教員が一人。窓際に立って外を眺めているくまのような体格の教員が一人いた。偉そうにしている方は大栗で,横柄な態度とともに紙を一枚音を立てるようにして差し出してきた。


「ずいぶんと積極的になったな。高校デビューとかの方が違和感がなくていいんじゃないか? まあ,やるだけやってみろ。同じことを言うようだが,結果は気にするなよ」


 情けない奴だ。生徒にこんなことを言うかよ。腹が立つというより,あきれるような気持ちで目の前の大人を見た。

 奪い取るようにして差し出されたプリントを手にした。窓際から,低く太い声がした。


「人は変われる。いい瞬間に立ち会えそうだ。必ず味方はいるから」


 頑張りなさい,と顔をしわくちゃにして微笑んだ。ずんぐりとした身体のせいか,少し小さく見える顔はやはりくまみたいだった。童謡で聞いた森のくまさんを思い起こさせる。

 ありがとうございます,と軽く頭を下げたときには,にらみつけるようにして大栗の背中に視線を向けていた。大栗はふてくされたような顔をしている。この二人はどちらも生徒会の担当なのだろうが,全く馬が合わないのだろうなと感じさせる雰囲気があふれ出ていた。



 集合場所が図書室になってから何日か経つが,いまだに慣れない。放課後の図書室はほとんど人気がなく,さぼったかすっぽかしてしまったかで図書委員がいないとなると二人きりという時もあった。今日はカウンターに眼鏡をかけた女の子が本の整理をしている。


「驚いたわね。龍樹くんが立候補するなんて」


 常友は腕組みをしながら唸った。腕に乗った胸がカッターシャツをさらに盛り上げた。自分で分かってやっているのかと疑いたくなるほど女っぽいしぐさをこいつはする。


「正直,宮坂くん相手ならどうってことないんだけど,龍樹くんは となると話は変わってくるね」

「そうなのか? なんか教室の雰囲気もそんな感じだったけど」


 ふうっとため息をついて,窓の外を指さした。


「あれを見て。グランドに制服の,とても部活動に熱心に取り組んでいるとは思えない人たちがいるでしょ」


 指さされた方を見ると,サッカーグランドを囲むように制服の塊がちらほらと散見される。


「何やってんだ? あいつら」

「あれは全部龍樹のファンよ。学年もばらばらだし,男の子もいるでしょ。顔も男前だけど,サッカーの腕も抜群なの。名門校から声がかかっているくらいなんだけど,あまりにも惚れ惚れするプレーをするから男子のファンもいるってわけ。おまけにちょい悪。女子ってそういうの好きだし,男子は歯向かえないでしょ」


 常友はそう説明した。くだらない,といった態度で話す様子は,自分の気持ちを押し殺しているようにも見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る