その14 ハラハラのあとはドキドキ

 西園寺とくだらない話をしていたら、せっかくの自習時間なのに執筆があんまり進まなかった。学生の本分とかは置いといて―――普通だったら、そう思っていただろう。

 ただ、西園寺がまさか、自分が俺の作品―『虹色の涙』の担当イラストレーターだってカミングアウトしてきた。


 そのせいで、筆があんまりではなく、まったく進んでいなかったのだ。

 いきなり膨大な情報量を頭の中に叩き込まれて、それを処理するのに大変時間がかかりました。


「伊桜くん、帰ろう?」


 口をポカンと開けていたのは俺だけじゃなかった。

 張り切って部活に行こうとしている運動部や文化部、そして、俺と同じように帰宅の準備をしている帰宅部のみんなが瑠璃川の発言を聞いて驚いている。


 チャイムが鳴ってまもなく、うちのクラスのドアの前に悠然とその姿を現した瑠璃川。彼女はまっすぐに俺のほうに歩いてきて、開口一番がこれである。

 今まで関わりのなかった男女が二学期になって、急にこうも急接近していたら、誰だって不審に思うだろう。


 まして、瑠璃川は学校一の美少女と呼ばれてるほど知名度が高く、しかも彼女のセリフは「帰ろう」と来た。

 たとえば、女の子が放課後、ある男の子に「一緒に帰ろう」と言ってきたら、あっ、この女の子はこの男の子に好意を持ってるんじゃないかなというレベルの話で済むが、「帰ろう」というのは、いかにも周りに違和感を与えてしまう言い回しだ―――まるで、一緒に帰るのが前提みたいなそんな言い方。


 朝でも昼でも瑠璃川がやってきてはいたが、周りの反応はただ、「なんで瑠璃川さんが?」って感じに留まっていたが、さすがに、今のはまずい。

 ひょっとしたら、俺が瑠璃川と一緒に住んでいることを勘ぐられてしまうかもしれない。

 

「あの、瑠璃川さん? どうしたんですか?」


 最悪な事態を避けるために、俺が取った手段はそう、すっとぼけ。

 たとえ、三文芝居だと言われようが、瑠璃川と同棲していることがバレて、学校の男子を敵に回したくはない。

 ただでさえ、朝の瑠璃川の俺たちが付き合っている発言で、男子からだけでなく、女子からも変な視線を1日中浴びせられていたから、これ以上自分の立場を危うくしてどうするんだ!


「さん? 伊桜くん、大丈夫? 熱でもあるの?」


 おいおい、心配そうな視線を向けてくるな。そして、さりげなくおでこに手を当てようとするな。

 とてもとてもかしこいはずの瑠璃川様はなぜか俺の気持ちを察することができなかったみたい。


「その手はやめろ……てか、瑠璃川は部活とかに行かなくても大丈夫なのか?」


 とりあえず、ゆっくりと俺の額に近づきつつある瑠璃川の手首を掴んで、俺は小声で尋ねた。

 まさか、学校一の美少女は帰宅部とか言わないよね?


「ちょっと……みんなの前だと……恥ずかしい……」


「あっ、ごめん」


 瑠璃川が急に顔を真っ赤にしてしどろもどろになったから、俺も慌てて彼女の手首を掴んだ手を離した。


 ほんとになんなんだ……

 なんで下着と裸を見られても、一緒の布団で寝てもなんともないのに、こういうところで照れるのだろう。

 

 前も間接キス云々で照れられたし、ほんとに瑠璃川のドキメキメーターの計量基準が分からない。

 お前はあれか? 

 女の子の体は保健体育でも勉強するし、下着はネットで検索したらいくら出てくるから、ノープロブレムだと思ってる派か?


「部活は……」


「部活は?」


 いつも通り、瑠璃川は一度照れだしたら、しばらくその調子だから、俺は彼女の言葉を繰り返しながら、続きを待つ。


「ラノベを読む時間が減るから、入っていないの……」


「ふむふむ……えっ!?」


 まさかの帰宅部宣言に俺が驚いたら、瑠璃川はあれ? おかしなこと言ったかな? と不思議そうに首を傾げる。


 学校一の美少女が部活に入らない理由はラノベを読む時間が減るから!?

 まあ、瑠璃川らしいっちゃ瑠璃川らしいけど。


 俺はてっきり瑠璃川は部活に入っているものだと思っていたから、放課後はある人に声かけて、一緒に帰ろうと思っていただけに、少し予定が狂って、混乱している。

 そう、その人というのは西園寺のことだ。


 せっかく自分の作品のイラストレーターがクラスメイトだって分かったから、そりゃ話したいこともたくさんあるさ。

 言うなれば、イラストレーターは自分自身、編集に続いて3人目の読者というわけだから、西園寺の『虹色の涙』に対する感想はどうしても聞きたかった。


 さっきは、急にカミングアウトされて、おまけに、西園寺は言いたいことだけ言って自分の席に戻ったから、聞くタイミングがなかったのだが、放課後は一緒に帰って、じっくり『虹色の涙』について語ろうと思ってた。

 いつも向こうから絡んでくるから、一緒に下校するお願いは聞いてくれるだろう。


「伊桜くん、ふわは寂しがってるはずだから、早く帰ろう……?」


「ああ、そうしよう」


 瑠璃川はまださっきの手首事件を引きずっているのか、もじもじしながら、催促してきた。

 俺としても、一刻も早く衆人の視線から逃れたいから、彼女の提案は実にありがたい。


 俺はスクールバッグを肩に引っ掛けて、早足で瑠璃川と一緒に教室を出ていく。

 ちらっと西園寺の席の方を見たが、彼女はもう帰ったみたい。




「やほー」


 9月といえど、まだ暑さが残る時期で、そのせいかどうかは分からないけど、校門の周りに植えられている木の葉の端は少し黄ばんでいる。

 まだ秋になっていないので、これは多分葉焼けというものなのだろう。

 暑い日が続いたり、直射日光を浴びすぎたりしたら葉っぱが枯れたように黄色くなることもあるらしい。

 実際8月はめっちゃくちゃ暑かったしね。


 そんな残暑の風物詩とともに、やほーという声が聞こえてくる。

 あれ?

 やほー?


 校門を出ると、そこには見覚えのあるシルエットが立っていた。


「西園寺!?」


「はい! 西園寺で〜す」


 俺がびっくりして、そのシルエットの持ち主の名前を呼ぶと、彼女は左手を頬に当てる感じでピースしてきたのだ。

 これだけを見ると、ギャルまでは行かないけど、それなりに陽キャ感全開だ。


「なんで、西園寺がここにいるんだよ」


「うん? 伊桜くんを待ち伏せしていたのさ!」


「その話、詳しく聞かせて貰える?」


 細いぐるぐるとした横髪を巻きながらドヤ顔でストーカー発言をしている西園寺。

 不覚にも、その言葉に少しドキドキしてしまった俺。

 そして、俺らの会話に割って入って、不機嫌そうな表情を浮かべる瑠璃川。


 この2人ってほんとは前からの知り合いじゃないのか?

 朝の会話を聞いたら瑠璃川と西園寺は今まで関わりはなかったはずだとは思うけど、この鉢合わせしたらビリビリになる空気はどう考えてもおかしい。


「それはあたしのセリフだよー。なんで瑠璃川さんは伊桜くんと一緒に下校してるの?」


「それは……」


「偶然! そう偶然だから!」


 俺は慌てて瑠璃川の言葉を遮った。

 俺の作品のイラストレーターである前に、西園寺はクラスメイトだ。

 俺と瑠璃川が同棲していることを知られていいはずがない。


「「伊桜くんは黙ってて!」」


「はい……」


 美少女2人による美声のハーモニーに俺は為す術もなく従うしかなかった。

 それは俺に沈黙することを要求しているものじゃなかったら、少し感動していたのかもしれない。

 お前ら、ビリビリした空気を作っておきながら、息ぴったしじゃん!!


「まさか、2人はほんとに付き合っているの?」


「そうだと言ってたじゃない?」


「で、でも、一学期はなんもなかったじゃん!」


「状況は刻一刻と変化しているものだから」


 俺を差し置いて、瑠璃川と西園寺の間に会話劇が始まる。


 あはは、これだと、結婚したら尻に敷かれるって言われても仕方ないな……

 いやいや、別に瑠璃川と結婚できるなんて思ってないよ?

 そんなことは今考えないようにしているし。

 そう、今は瑠璃川と一緒にいる時間を大切にしようって決めたから。


「意味分からないよー。夏休みになにかあったというの?」


「うーん、色々と?」


「そんな……あたしだって伊桜くんのこと……じゃなくて、そんなのズルいよ!」


「そうかな? ズルいの定義にもよると思うよ?」


 瑠璃川と一緒にいる時間を大切にしようと決めたはずなのに、なぜ今胃がムカムカしてきたんだろう?

 

「とにかく、そんなのあたしは認めない!」


「西園寺さんに認められる必要はないと思うけど?」


 なに、今の瑠璃川。ちょっと怖いんだけど。

 おい、お前は学校ではいい子を演じてるんじゃなかったのか?

 今校門を出たからもう学校じゃないってこと?


「あ、あたしは伊桜くんのパートナーだもん!」


「えっ? なにそれ」


 西園寺の紛らわしい言い方に、瑠璃川は俺を睨みつける。

 えっ、俺が悪いの? 


「だから、2人の交際は認めない!」


「ねえ、伊桜くん、パートナーってどういうこと? ……いいよ、今だけ発言することを許す」


 俺がさっきの2人の命令で沈黙を保っていたら、瑠璃川はそのことを思い出したみたいで、言論の自由を許してくれた。


「パートナーというのはイラストレーターのことだから」


「イラストレーター?」


「そうそう! あたしは伊桜くんのラノベのイラストを書いてるんだー」


 瑠璃川はほんとなの? みたいな視線をよこしてきたから、俺は頷いて見せた。


「これで、分かったでしょう! あたしには2人の交際を認めない権利があるんだよ!」


「西園寺さんがあの人気イラストレーターの『Reina』なの!?」


 西園寺の訳分からない理屈を無視して、瑠璃川はなぜか興奮気味で西園寺に食いついた。


「え、えっ、そうだけど?」


 瑠璃川の勢いにびっくりして、西園寺は少しタジタジして後ずさった。

 まるで天敵を警戒しているかのような動き。


「ファンです! サインください!」


「え、えっ!?」


 西園寺は助けを求めるようにこっちを見てきたが、俺はこっちに助けを求められてもというふうに首を振った。


「『Reina』ってどの作品にも合ったイラストを書いてるから、すごく尊敬してるよ! 特にヒロインの表情はとても繊細で、あっ、彼女は今こんな気持ちなんだなって絵からでも分かるくらいで……」


 いきなりまくしたて始めた瑠璃川にドン引きしたのか、いつの間にか、西園寺は俺の後ろに隠れている。

 その気持ちは分かるよ?

 だって、こんな瑠璃川は俺でも初めて見たから。


「……じゃなくて、担当イラストレーターだからって、わたしと伊桜くんのことを干渉する権利はないと思うよ―――」


 我に返ったのか、瑠璃川はしばらく黙ってから、ゆっくりと口を開いた。

 しゃべり方はいつものように冷静そうなのに、顔が紅潮しているから、コメントしづらい。

 本人はこれでさっきの興奮気味は誤魔化せたと思ってるのだろうか。


 確かに、担当イラストレーターが作家の恋に口出しする権利はないと思うけど、一ファンである瑠璃川には俺の家に押しかけて、同棲をせがむ権利があったのだろうか。

 まあ、これを言ったら、瑠璃川に怒られるだろうから、心に留めておくけどね。


「―――それに、わたしは伊桜くんとはもう一緒に住んでいるから」

 

 危惧していたことがとうとう起きた。

 瑠璃川の口から、俺と彼女が同棲していることが打ち明けられた。


「なにそれー」


 だから、お前ら2人さ、なにかあったら俺を睨みつけるの辞めてくれない?

 ほんと、俺が悪いの?


「だから、西園寺さんが口出し……」


「あたし、今から伊桜くんの家に行くー」


「「えっ?」」


 瑠璃川の話を遮って発せられた西園寺の言葉に、俺と瑠璃川は期せずして一緒に驚きの声を上げてしまった。


「2人がどういう関係かちゃんとこの目で確かめてくる!」


「いやいや、それは……」


「いいよ。わたしと伊桜くんのを見て、さっさと諦めてね」


 俺がなんとか西園寺を宥めようとしたら、なぜか瑠璃川はそのまま許可を出した。

 恥ずかしいセリフを平坦な声で話しているだけなのに、なぜか女性特有の威嚇を感じさせられた。


 いや、そもそも俺の家なんだから、瑠璃川が許可出す意味が分からないけど。

 でも、このビリビリした空気の中で、俺はこれ以上なんも言えなかった。




「ねえ、西園寺さ、なんで校門で待ち伏せしてたんだ? 同じクラスだし、そのまま話しかけてきたらいいのに」


 俺を挟む形で、美少女2人が歩いているところを見て、すれ違った人たちは羨望もしくは憎悪の視線を向けてくる中、俺はさっきから抱えていた疑問を西園寺に投げかけた。


「だって、このほうがドキドキするでしょう?」


 そう言って、西園寺は上目遣いで俺の顔を覗き込んで、いたずらっぽく笑った。

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擬似恋愛するための同棲生活は、可愛さ濃いめでした 〜泣き虫の俺がラノベ大賞を受賞したら、なぜか学校一の美少女と同棲することになりました〜 エリザベス @asiria

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