最終話 新しい先生

「今度はいったいどんな先生が来るのかなー」


 九重の横で、ニココが大きな背中を椅子の背に委ねた。

 

 プリンセス科の授業専用に割り当てられた講義室。九重とニココのすぐその前にはメイフェア、エトアル。二人は同じ列に並んで座っている。ほんの何週間か前は講義室内で最大の距離が開くように対角線上に座っていたのが冗談のようだ。


「校長が変わってないんだ。どうせロクなヤツじゃあるまい」


 エトアルが面白くもなさそうに言った。


「あらあら。これから新しい先生をお迎えするのですよ? まったくルーマンの方ときたら悲観的でいらっしゃいますわね」


 メイフェアがさっそく突っ込む。テレパシーが覚醒した、といってもその変化は急激には現れないようで、先日、全銀河的に報道された情報番組では、もしかしたら数世代は隔てることになるかもしれない、とのことだった。


「ケンタウリの連中は今回の件でとくに狙われることになるな。なにしろただでさえマインドコントロールの疑いをかけられていたんだ。そうでなかったといはいえ、これからもそうだという保証はない」


 エトアルが意地悪く言う。


「まあ! テレパシーが覚醒するということは、よりはっきりと心を通じ合わせられるということ。それは誰かを誰かの意思に従わせるということではありませんわ。どう思います? 九重さま、ニココさま」


 メイフェアが急に振り向く。


 九重とニココは苦笑するしかなかった。


 ニココの話では、リュンヌはボディガード料金の返金を頑として受け取らないらしい。あんなルーマンは初めて見た、とのこと。

 シーシャは構内でメイフェアと一緒にいるところを見かけることがある。メイフェアの目を盗んでは九重にじゃれつこうとするので、ニココが近くにいるときはちょっとしたバトルになりそうな雰囲気になり九重はコワイ。


「そうそう、九重さま。結局、ソラさまはどちらにいらっしゃるのですか? 先日、ロナさんという方が探していると聞きまして。ケンタウリ主星の隣国のVIPのご令嬢で、無下にはできないんですが。なんでも、サイコシップに囚われているときに一緒だったとか。ソラさまとは会ったとおっしゃってましたよね」


 結局、プリンセス科の四人は一緒にいる時間が多くなった。


 それ以外に変わった点と言えば、ソラがいないということだった。


 メイフェアは話題を変えた。ロナは、ソラがケンタウリに擬態しているときにサイコシップのなかで知り合ったケンタウリだ。メイフェアには、「観察者」である津川ミキ=ソラが九重に正体を明かしたときの記憶がない。


「ソラは元気だよ。もう会えないと思うけど。遠くに行ったみたいだから」


 九重は、あれ以来ソラを見ていなかった。






 阿賀校長や関川瑞雲らによる銀河機構高校乗っ取り事件は、意外にもアオイ先生が単独で黒幕というシンプルな事件だったが、ワイズと銀河機構との秘密の取引によってなかったことにされた。


 アオイ先生は、ワイズ主星に連れ戻された。さすがにやりすぎ、ということらしい。ワイズの感覚ではかなり長い間、禁固されることになるらしい。サイコシップ・アネモネアペンニナは、あの後、津川ミキ=ソラによってほとんどテレポートに近いスピードでコリーナムの隠し軍港に帰還した。そこで待っていたのは小坂蒼龍で、どうも地球のエージェントだったらしい。小坂に九重たちが事態を小坂に報告する頃には、津川ミキ=ソラは影も形もなくなっていた。


 それから銀河機構の対応は素早かった。小坂はかなり有能なエージェントで、地球政府にも顔が効くようだった。阿賀校長以下、関川瑞雲は、薬物で行動を操作されていたとして不問。事件の事後処理も含めて入学式から数週間、一部の学校職員による待遇改善のための「ストライキ」があったということに公式にはなった。


 だが、その数週間、人々の注意を引き付けたのは、そんな都市伝説まがいの学校事故ではなかった。


 それまでの一万年間、ほとんど姿を現さなかったワイズの銀河機構への公式加入。それに伴うテレパシー・テレキネシス技術の供与。サイコシップの建造技術の共有。それまでの軍備はほとんど意味をなさなくなった。こうしたワイズの介入により、ルーマン、ケンタウリ、地球は恒久不戦条約を結び、今や星間国家間の宇宙戦争は限りなく非現実的なものとなった。バーナードはそれによりこれまでの仕事を失ったが、新たな仕事の獲得に向けて努力を始めた。人智外星系探査船のガードだ。





 プリンセス科の講義室で、新しい先生の到着を待ちながら、九重は、あのときソラが言ったことを思い出そうとしていた。それはサイコシップ・アネモネアペンニナで、自失しているアオイ先生を横目に津川ミキ=ソラが、いや、そのときはソラの姿をしていた「観察者」がソラのようなテキトーな調子でつぶやいた一言。


「あはは。びっくりした? わたしがずっとあなたについてたのは、九重、あなたの意見だったの。だってあなたは」


 九重は、それ以上、どうしても思い出せなかった。その後、ストレスと疲労がたたったのか、九重の意識は深い暗闇に沈んでしまったのだ。次に九重が目覚めたのは、銀河機構高校の保健室だった。そのときのことをニココやメイフェア、エトアルに聞いても、みな、ミキがアオイ先生を止めたということまでしか覚えていない。それも、どうやって止めたのかはすっかり忘れているようなのだ。あまりに強いストレス下にあったからか、それとも。


 なんだかモヤモヤする、と九重は思った。仕切り直しよろしく、新しい先生を迎えて銀河機構の今学期が再スタートするのはいい。だが、そもそも仕切り直すなら、なぜ自分が相変わらず女子生徒用の制服しか用意されないというセクハラに甘んじなければならないのか。男子用の制服くらいいくらでも準備できるはずだった。


 ただ、九重はもはやそんなことは些末なことのようにも思えている自分にも気づくのだった。世の中には、もっと常識外れのことはある。神のごとき種族に、さらに神のごとき不定形生命体。そして、自分の頭のなかにいる、別の人格。


 そのとき、教壇脇の扉が開いた。


 ワイズだ。その三つ目人は、やはりフワフワと浮かびながら額の一つ目だけを見開き、教壇に立った。やはり女性だが、アオイ先生とは違って少し健康的だ。


「えー、みなさん。わたしが休職中のアオイ先生に代わってプリンセス科の担当教師となったイシジでーす。よろしくねー」


 二人目のワイズに九重以外の三人は目を向けた。そしてみな一様に眉をしかめる。どこかで聞いた口調なのだ。


 九重にはよりはっきりと、目の前の「イシジ」が見た目通りのワイズではないことがわかった。


 「『観察者』は精神生命体でもある。精神生命体を直接感じ取れるようになったおまえには違いがわかるわけじゃ」


 九重の方にのっかっている、古代の着物を着た人形がささやいた。


 銀河機構の医務室で目が覚めて以来、寝ていなくてもヒトエの声が聞こえるようになった。いわく、「『観察者』に見つかったから」らしい。ヒトエが言うには、もはや九重だけでは「ゲーム」を楽しめないほどに「難易度が上がった」らしい。


「はあ……阿賀校長や関川先輩もふつうに学校に残ってるし、ライトヒューマンソサイエティだってなくなったわけじゃない。他の種族を嫌う人はまだまだ少なくない。世の中、平和に向かってるんじゃなかったのかよ?」

「世の中、そんなもんじゃろ。ぐじぐじ言うくらいならあの『キューブ』とやらを使って、おまえの好み通りに精神を改変してやればよかったのじゃ」


 頭の中にしかいないはずのヒトエは、今やなんだかかわいらしいお人形のような姿で九重の肩にとまっている。ヒトエが言うには、頭の中だけで完結した会話をしていると、彼我の人格の違いが認識できなくなってマズいらしい。九重は、ようは人形と話しているわけだ。それも、九重にしか見えない人形に。


「布川九重くん、ヒトエさん、先生の挨拶中におしゃべりするのはよくないよー?」


 九重とヒトエの念話は、本来、二人にしかわかないはずだった。だが、ソラ、あるいはミキ、今はイシジであるところの「観察者」は細かく注意した。


「まったく、おまえは昔から悪戯が好きじゃのう」


 ヒトエが念話で「観察者」に話しかけた。


「一万年前、ワイズがわたしの星に来たのは、あなたたちがさっさと高位次元に移動したからじゃないですか。ワイズはあなたたちが作り出した生命体なんですから、責任をとってくださいね?」

「いやいや、子は親から自立して歩み出すもの。そこまで面倒はみれんわ」

「じゃあ、どうして今、ここにいるんですか?」


 「観察者」とヒトエが勝手に口げんかを始めた。


「うるさーい!」


 最近、九重は念話で「大声」を出すということができるようになった。


「ん? どうしたの?」


 不愉快そうな顔をしている九重に、ニココが声をかけた。


「いや、なんでもない。今度の先生もウザそうだなって思って」

「あはは、九重って案外容赦ないねー」


 九重は苦笑するしかなかった。念話のつもりが、ニココには聞こえていたようだ。


「ちょっと、九重さま、ニココさま。先生がお話されてますよ」


 メイフェアが九重たちの方を振り向いて注意した。


「そうだぞ。また目をつけられたら困るだろ」


 エトアルがメイフェアと調子を合わせる。


「っつーかさ、それより」


 ニココが九重を横目でにらんだ。


「ヒトエって誰?」

「聞こえてた!? ……もうあんまり驚かないかもしれないけど、話せば長いんだ」


 今やイシジと名乗る「観察者」は、ヒトエをゲームに参加させるつもりのようだった。


「ほら、九重。おまえがしっかりしとらんと、おまえの体はわらわがもらうぞ。むしろそのほうが、この『プリンセス科』にはふさわしいじゃろ」


 九重の肩の人形が不敵に笑った。


「……それよりは、女子の制服を着ていた方がマシだね」


 結局、九重はプリンセス科になじみつつあるのだった。



 


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プリンセス科の男子高校生 rinaken @rinaken

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