第四十二話 採点

 ミキはねじくれた身体のまま、立ち上がった。それは七十年代のホラー映画のような、ひどく奇妙な光景だった。


 九重たちが唖然として見守るなか、ミキの口はまるで何事もなかったかのように動き出した。


「わたしもあなたと似ています、アオイ先生」


 ミキに話しかけられたアオイ先生の表情に驚愕の色を見て取ることはできない。何か考え込んでいるような、そんな様子のようにむしろ見えた。


 アオイ先生は黙ってミキを見つめていた。


「わたしの本体はこの件につき『傍観』という態度決定をしていました。ですがこの銀河の観察体であるわたしは、別の考えをもつようになりました。とくに、わたしはワイズ以外のヒトたちの意見を聞きたかった。この件を理解させるのにいささか手間取りましたが」


 ミキの身体は、見る間に元の姿かたちに戻っていく。まるで粘土細工のようだ。


「……銀河の観察者……」


 アオイ先生がその言葉を繰り返してから一瞬ののち、その三つの目がすべて大きく見開かれた。


「まさか、本当に『観察者』さまなのですか!?」

「あなたのおっしゃるのがワイズの伝承にある『観察者』だとしたらその通りです」


 アオイ先生の表情が驚愕と悦びの色に染まる。九重たちを拘束していたテレキシネシスは、もはや雲散霧消していた。


「人智外星系などに行かなくても、わたしは目的を達成したのですね! どうか……どうかワイズに、いやわたしに、生き物としての『その先』を指し示してください!」


 アオイ先生はミキに詰め寄ろうとした。だが、ミキから五メートルほど手前でアオイ先生の動きが止まった。


「アオイ先生、なぜわたしがあなたの願いを叶えると思ったのか、わたしには理解できません。あなたがそれを望むなら、どうぞ人智外星系とあなたたちが呼ぶところにでも、あるいはそのほかのところにでも行ってください。ですが、あの機械を使って他人を巻き込むことはわたしが許しません」


「そんな。この船の人員だけではとても銀河を自由に飛び回ることなどできはしません。すべての既知星系のヒトの力が必要です」


 アオイ先生は食い下がる。ミキの表情は無情のようにも見えた。


「さっき、生徒のみなさんが言っていたでしょう。機械の力を使わずに協力し合うのだ、と」

「できるわけありません」


 アオイ先生の三つの目に明らかな落胆が浮かんだ。


「それならそれがこの銀河系のヒトの限界です。甘えないでください」


 ミキがモニターに浮かんだ「キューブ」を見た。キューブは今まさに目の前で船から離れた超大口径の光線を浴び、跡形もなく消えた。


「『キューブ』はあなたのものではありませんでした」


 ミキがアオイ先生に通告した。


「ああ……せっかく見つけたのに」


 アオイ先生はうなだれた。


「そう悲観することはありません。この機械がケンタウリのテレパシーを通じてヒトの能力を制限していたのは事実です。それがなくなった今、ケンタウリのテレパシーの力は解放されます。そして、それによって制限されていたルーマンのテレキネシスや人間のエスパーも覚醒し始めるでしょう」


 「キューブ」の破壊と同時に我に戻ったメイフェアがその言葉を聞いて驚きの声を上げた。


「ケンタウリのテレパシーが解放されれば、わたしたちは他人の心を読めるようになるのですね? わたしたちは永遠の孤独から解放されるのですね?」

「『読める』ということがどういうことを指しているのかにもよりますが、そうですね、どちらかといえば、頭のなかに映像を送って会話するような、そんなイメージでしょうか」


 ミキは首を傾げながら素直に答えた。九重には何か心当たりがあるような気がした。それはつい最近見た夢だ。ヒトエなんちゃらとか名乗る、謎の人物。ただの夢で片づけるには、毒の処理やパイロキネシスの発動など、想像を絶することが起きすぎていた。


「その『観察者』っての、わたしらは知らないんですけど?」


 壁にもたれかかっていたニココがダルそうに聞いた。あからさまに不審そうだ。


「ワイズは一万年前、人智外星系の深部に旅をしたことがありました。そこで『観察者』に会い、ワイズ星系に戻ってきたのです。そのときに何があったのかは伝えられていません」


 アオイ先生は、ワイズではもはやほとんど関心を持たれない一万年前の記録を調べたことがあった。


「とくに何もなかったです。わたしに会った、という事実以外は」


 ミキは平然と言った。


「あのときのワイズのみなさんは血気盛んでした。人智外星系とみなさんに呼ばれている星々で生命体を乱獲したり、実験したり、いろいろとやりすぎでした。ですので、わたしが少し注意したのです。少し注意しただけですが、ワイズ星系に引っ込んでしまいました。その結果、他の生命体に対するリスペクトなくして強い力をもつのはあなたたちにとっては危険だと判断したので、この『キューブ』をつくり、ワイズの人たちがバラまいたヒトたちの力をコントロールしていた、というわけです」


「ワイズがバラまいた?」


 エトアルは聞き逃さなかった。


「はい。バーナードのヒトたちだけではありません。ルーマンも、ケンタウリもそうです。地球の人間と人智外星系の生物との融合。ただ、さっきも言ったように、ワイズのみなさんはわたしと出会ってからは消極的になってしまいました。ほとんど星から出ない。だから銀河機構にも顔を出さないのです。アオイ先生のような方は珍しい」


 そう言うと、ミキは目を細めた。完全に人間の顔ではあったが、その表情は人間離れしていた。


「無気力なワイズの殻を打ち破ったのは評価します。ですが、やはりどうしても他のヒトへのリスペクトに十分でないところがありますね。ですから六十点。ぎりぎり合格です。あとの四十点分は、みなさんで協力して補ってください。これからはみな『キューブ』の籠から離れて飛び立つのです」

「飛び立て、といわれましても、わたしにはその力がありません」


 アオイ先生はうなだれた。


「これからは他人に対するリスペクトを学ぶように努めることです」


 ミキはそうアオイ先生に言うと、九重を振り返った。


「布川九重さん。アオイ先生はもう無害です。『観察者』を認知した彼女は、もうあなたたちを手荒に扱うことはできないでしょう。わたしの怒りを受けることの意味を彼女はよく知っているはずです。ワイズの歴史をみなさんに教える必要はないでしょう。ワイズのみなさんにも誇りは必要でしょうから」

「津川……ミキ先輩、『観察者』っていったい?」


 九重はそう尋ねるのがやっとだった。


「かつてワイズが人智外星系で出会った、当時の彼らからして神のごとき知性にして」


 そう言うと、ミキの身体はいっしゅん、どろどろに溶けた。


 そして、次の瞬間、九重たちの目の前にはソラがいた。


「不定形生命体だよ」

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