お出かけ前夜


「……っと、これでいいのかな? おーいナユタ、聞こえるか?」


 海珠から貰った眼鏡の設定を終えた私は、動作の確認をしていた。


「あー、音は聞こえるけど映像は良くないかも。なんか霞んで見えるよ」


 私の端末に接続したイヤホンからナユタの声が聞こえてくる。研究室のサーバーとの接続はうまくいっているらしい。


「映像だな。ちょっと待ってろ」


 眼鏡と端末を接続した際に自動でインストールされたユーティリティソフトを操作する。ナユタの為にここまで手の込んだ物を作り上げてくれた海珠には、感謝しかない。


「よし、映像のピントを合わせてみたけど、どうだ?」


「……うん、いい感じ」


 ナユタの目に世界がどう映っているのか、私に知る術はない。だが、今の彼女は私と同じ視線で同じ音を聞いている。


「ふーん。それが海珠のプレゼントっていうデバイス? 本当に見えてるのかしら。ナユタちゃん、何本に見える?」


 芽依が私の目の前で三本の指を立てる。私はイヤホンを外し音声出力をスピーカーに切り替える。


「うーん、六本?」


 携帯端末のスピーカーから、ナユタの声が響く。


「あら、それは大変だわ。ナユタちゃん、頭打ったんじゃないかしら?」


「或いは本当に芽依の指が六本あるか、だな」


 三人の笑い声が研究室に広がる。その関係性は複雑なものであり、私自身がナユタとの向き合い方に悩んだ時期もあったが、今では芽衣も交えて昔の様に冗談を言い合えるようになった。


 こんな日々がこれからも続けばいいのに。決して叶わない願いと分かっていながら、根拠なく期待してしまう自分を恨めしく思う。


 ナユタは死ぬ。それも数日のうちに。覆す余地の無い現実が、私の心に暗い影を落とす。


 ナユタが死ねば芽衣とも疎遠になるだろう。私はナユタの実験が終われば、甲斐の研究室へと移動する。私の技術で季舞ララの為のBCIを製作するために。


 本当にこれで良かったのだろうか。もっと違う時間の過ごし方もあったのではないだろうか。


「どうしたの?」


 芽依が聞く。彼女に迷いや躊躇いは無いのだろうか?


「……いいや、何でもない」


 考えていても仕方がない。私にできるのは、残りの時間をどう過ごすかを選ぶだけ。何度も考え、そのたびに行き着いた答えじゃないか。


「蓮さん、私の事を考えてるでしょ」


 ナユタが突然、明るい声で言う。私は驚きながらも冷静を装う。


「どうしてそう思うんだ?」


「だって蓮さん、私の事を考えてるときって暗い顔してるんだもん」


「あぁ……」


 私は嘘を付けない。自分でも分かっていた事だ。確かにナユタの事を考えている時、私は前向きな心持ではなかったかもしれない。


 今も今までも、その感情が表情に出てしまっていたのだろう。


「その……なんというか……」


「ありがとう。私の事を真剣に考えてくれて」


 すまない、と言いかけた所でナユタが割り込む。その言葉があまりにも眩しすぎて、私は思わず話題を切り替える。


「というか、どうして表情が分かったんだ? そっちからは見えないだろ」


 ナユタの視界は眼鏡に取り付けられたカメラであるはずだ。それなのに、どうして眼鏡をかけている私の表情を見ることが出来たのだろう?


「ふっふっふ。簡単な推理なのだよ蓮さん。蓮さんが暗い顔をしている時、芽衣さんは決まって不安そうなんだもん」


 私は芽衣の顔を見る。頬を引きつらせ、無理やり笑顔を作ろうと努める表情に思わず笑いが込み上げる。頬に僅かな朱が差しているのは、怒りによるものだろうか。


「ナユタちゃーん? あんまり大人の事をからかっちゃダメよ?」


「あはは、芽衣さんごめんなさい。でも前から、芽衣さんって蓮さんの鏡みたいだなって思ってて」


「それ以上ふざけた事を言ったら、電源抜くわよ。ちょっと蓮も何笑ってんのよ!

!」


 私とナユタが笑う。芽衣も悪態をつきながらも、どこか満更でもない様子だ。


 いつの間にか私たちはナユタに誘導されていた。周囲の人の顔色を伺いながら、皆が笑顔になるように。これは生前の那由多が持つ優しさと、Vtuberとして多くの人を楽しませるナユタの技術が合わさったからこそできる芸当だ。


 私は一体何を悩んでいたのだろう。ナユタは私が守るべき子供ではない。対等な立場の大人に成長したのだ。その事を再び実感する。


「それじゃあ、海珠に貰った眼鏡のセッティングも終わったし、明日の事を考えよう。ナユタは行っておきたい場所はあるか?」


「うーん……それじゃあ……」


 私の問いに、ナユタは思いがけない場所を挙げた。

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