海珠のプレゼント


 海珠が芽衣の研究室を訪れたのは、私とナユタが京爺さんに会った翌日の事だった。目元にクマを作り、どこか疲れた様子の彼女を見て、どうしたのだろうと思いつつ、彼女の訪問に違和感を感じず海珠もすっかりこの研究室に馴染んだような気がした。


「どうしたんだ、そんなに疲れて。ちょっと待ってろ、コーヒーでも入れてやる」


「……だから、コーヒーは要らないって」


 私の好意を邪険に振り払うと、彼女はソファーに腰掛け、鞄から何かのケースを取り出し机に置く。


「それは?」


「……あげる。まだ設定とか調整は必要だけど、役に立つと思うわ」


 私は「一体どういう風の吹き回しだ?」と思わず呟きながら、そのケースを手に取る。


 細長い楕円形のケースだった。手のひらでちょうど掴める程度の大きさ。素材は恐らくプラスチックで、色はグレー。外観からは中身を見る事はできないが……。


「眼鏡ケースみたいだな」


「……正解」


 ケースを開けると、彼女の言葉通り眼鏡が中に入っていた。


 細身の黒いフレームに柔らかなレンズ。 度は入ってないのだろう。


「伊達眼鏡のプレゼントなんて、気持ち悪いな。一体何を企んでいる?」


「……伊達眼鏡ではあるけれど、よく見て。フレームに細かい穴が空いているでしょう」


 海珠に言われ、フレームを観察する。黒いフレームがカモフラージュになり、注意しなければ分からないような小さな穴が確かに空いていた。


「この穴は何だ?」


「穴の半分はマイク。半分はカメラ」


「……スパイでもお願いされるのか?」


「違う。というか、湊先生にそんな器用なまねが出来る?」


 言われて素直に同意する。私がスパイ活動なんてすれば、緊張から挙動不審になり、すぐに正体が露見してしまうだろう。


「それで、これがスパイ道具で無いのなら一体なんだ?」


「……ナユタ様を外に連れ出せるインターフェースよ。湊先生の端末を経由して、この研究室のサーバーにアクセスするの。そうすれば、湊先生が見聞きした情報をナユタ様も認識できる。一緒に外出できるって寸法よ」


 なるほど。確かにその方法ならナユタを外に連れ出すことが出来る。残された時間の少ない彼女だからこそ、訪れたい場所があるかもしれない。


 私は心の中で感心しつつ、ふと思った疑問を口にする。


「それって別に眼鏡型のインターフェースである必要はないよな? 端末付属のカメラやマイクを使用しても同じことが出来ないか?」


 海珠は一瞬、図星を突かれたように動揺したが、すぐに切り返す。


「……湊先生みたいな根暗オタクがスマホのカメラを周りに向けながら、ぶつぶつ呟いて歩いていたら、世の中の皆さまはどう思いますか?」


「……確かに」


 全くもってその通りだ。観光地ならばまだ許されるかもしれないが、もし街中でそんな事をしていれば、善良な一般市民の人々は怪訝に思うだろう。ましてや子連れの親御さんならば、危険に思って通報するかもしれない。


「その点、この眼鏡なら安心でしょ。別に不自然な事なんて何もない。まあ、もしもナユタ様と会話しながら出歩きたいなら、ブツブツ呟くのは仕方ないかもしれないけど。あっ、湊先生お得意のBCIを自分に使えば、その心配もなくなるかもしれないわ」


「面白い考えだが、流石に自分を使って臨床実験する勇気はないな。脳に電極を一本刺すだけでも、相当なリスクを負わなければならない」


「へぇ。他人を使って実験してるくせに、自分にやるのは怖いんだ?」


 それを言われると痛い。私が答えに窮していると、海珠は悪戯っぽく笑った。


「冗談。気にしないで。それより、この眼鏡は一般的な近距離無線通信規格で接続できるから、湊先生の端末に接続してみて。ナユタ様の知覚がどんな感じか分からないから、そこはナユタ様と協力して微調整して頂戴」


「ああ、ありがとう。それで……一体どうしてここまでナユタの事を気に掛けてくれるんだ?」


 海珠には以前よりナユタの助けになってもらっていた。しかし、今の彼女はどう見ても徹夜明けの様子だ。いくら甲斐に頼まれたからとはいえ、ここまで尽くしてくれるのは、何か理由が有るのではないだろうか?


「……もしも、ナユタ様の最後の時が訪れるなら、そこに私も立ち会わせてくれない?」


「はあ? まあ構わないけど、それがお前の目的なのか?」


「……まあね。ちょっと気になる事があるのよ」


 海珠はそう言い残して、芽衣の研究室から出ていってしまった。

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