第8話【音の予感】

 ある日のことだった、

教育課の鬼軍曹こと喜多課長が晋のもとへやってくると

突然話しかけてきた。彼は誰からも恐れられ、みなを額づかせるような

威厳と権力を持って君臨していた。晋は構えた。

「お前、音楽やってたんだってな」

あまりに意外な問いかけに晋は萎縮しながらも答えた。

「は、はい。ベースをやっていました」

答える晋に書類を渡すと、喜多課長は続けた。

「更生プログラムの一環なんだがな、ここで楽団を組ませるつもりなんだ。

経験者だけを集めてすぐに実行できるやつを。お前、やるよな?」

晋が受け取った書類というのは、喜多課長の言う更生プログラムの資料だった。

晋はあっけに取られてページを捲ってみていたが、確かな話らしい。

それにしても、「やるよな?」とは……。

「面白そうですけど、こんな所で楽器なんて揃うんですか?

まさかエアーでやるなんてことないですよね」

「なに馬鹿言ってんだ。まあ、これよく読んで

イメージトレーニングでもしておけ」

晋の返事も聞かぬうちに喜多課長は去ってしまった。

 晋が図書工場でそれを読んでいると、

晋の2週間遅れで図書夫となった、同い年の田村が側によって来た。

詳しい話は知らないが、彼はなんと刑期が4年6ヶ月だという。

晋ははじめ驚いたが、田村は刑期に見合ったような

悪人ではなかった。……そう、刑務所内で出会う人間は皆いたって

普通の人間なのだ。多少、性格に癖のあるものは居るが、

それは刑務所外でも同じことだ。―強姦罪で捕まった宮代という

男も然りだった。彼は裁判の末、有罪判決が下りここへ来たのだが、

その時のことをしみじみと語った。

「俺が被告人席にいて、被害者の女の子が向かいに立って、

検事やら何やらに、事細かに質問されるわけよ。

それですべてを答える。何をって、 俺にどこをどういう風に

舐められたかとか、そういうことだよ。みんなの前で話したくも

無いことを一生懸命喋っててさ、俺、可哀想になっちゃったよ。

変な話だけど、あの場で彼女を庇ってあげたくなった。

でもよ、俺がそうさせちまったんだよな。

その時初めてわかったよ、相手の気持ちがさ~」

彼は非常に好青年で、男前だった。このさりげない告白が、

彼の胸に大きな

シミをもたらしていること以外はまったくもって健常公正である。

晋はとても不思議に思った。何故、人は過ちを犯すのだろう?

もちろん自分にも問えることなのだが、晋は犯罪発覚後、

親兄弟や音楽関係者や知り合いなど、間接的に傷をつけてはしまったが、

犯罪自体で直接人を傷つけることはしていない。これはエゴかもしれない。

しかし、同じ刑務所に同居する詐欺、強盗、傷害、強姦、殺人などの

罪を犯した受刑者とは壁を隔てたところに居ると、どこかで思っていた。

 よう、と挨拶すると、田村は晋から資料を受け取って読みはじめた。

「ここで楽団?ふーん、凄いこと考えるんだな、鬼軍曹も」

「いやー、課長だから出来るんだろ。何しろ天下の喜多軍曹様だからな」

晋たちが笑っていると、後ろから怒鳴り声が聞こえた。

先輩、大川の声だった。

「お前ら、音楽の話ばっかしてんじゃねえよ。

ここをどこだと思ってんだ、いい気になりやがって」

「すいません」

晋たちは目を合わせて失敗した、という顔を作った。ここでは新人のことを

「真っ新・まっさら」という言葉から「サラ」と呼ぶのだが、

先輩らは何かとサラをいびる。またそうでなくとも、気に入らないことが

あるとすぐにつっかかってくるのだった。晋はそれを仕方が無いこととして

受け入れていたが、今回は少し事情が違ってくる。何しろ、あの鬼軍曹が

直々に目を掛け、しかも娯楽である音楽をさせようとしているのだ。

そこに妬みが混じってくることは予感していたものの、

先が思いやられるなと溜息をついた。

 大川が会田という男を伴って、完本のため図書工場を出た後に、

田村は見計らって

「あのさ、実は俺、ギターやるんだよね」

と、にやりとして晋に言った。

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