第4話

 氷帝に振られた経験をもつ男子は、口をそろえて次のようにいう。


 時間が一瞬、フリーズした。

 五感のすべてを失った気分だった。

 敗北、絶望、虚無、それらが一度におそってきた。


 そして思い知るのだ。

 きれいなバラには危険なとげがあることを。


「いま……なんと?」

「自分から告白してきたくせに、肝心の部分を聞き逃すなんて、失礼な人ですね」


 レイはムッとまゆを寄せたけれども、その仕草しぐさすらかわいい。


「はい、ぜひ結城くんとお付き合いしたいです。私はそういったのです」


 凍りつきそうだったテツヤの心臓を、愛嬌あいきょうたっぷりのスマイルが溶かしてくれた。


 試練に合格したらしい。

 それを理解するのに数秒かかった。


 福音ふくいんである。

 天使のファンファーレである。


 信じられない。

 難攻不落といわれた、あの織部レイ。

 高嶺たかねの花が、こうもあっさり陥落するなんて。


 頭上から降ってくるたくさんの拍手が、これは現実だとテツヤに教えてくれた。


「嘘だろ⁉︎」

「OKした⁉︎」

「あの氷帝が⁉︎」

「雪の女王のハートを溶かした⁉︎」

「なんで結城なんだよ!」

「おい、失礼だぞ!」

「そうだ、氷帝様が選んだんだ!」

「ここは素直におめでとうだろう!」

「そうだな、新しいカップルの誕生を祝って!」


 パチパチパチ!

 パチパチパチパチパチパチ!

 割れんばかりの拍手が注がれて、レイは照れ臭いような、けれども嬉しそうな、何ともいえない表情をしていた。


 春風がカップルの門出を祝福してくれた。

 レイのきれいな黒髪がさわさわと波打つ。


 やっぱり、かわいい。

 天使の以外の何物でもない。

 こんな子が今日からカノジョだなんて。

 いったい、何年分の運を消費しちゃったのか。


 しかし、困ったぞ。


 用意していないのだ。

 告白が成功した場合のシナリオを。


 秒で振られて、メンタルを粉々にされて、トラウマを植えつけられる未来しか予想していなかったから、本当に申し訳ないけれども、気の利いた誘い文句が出てこない。


 連絡先を交換しませんか?

 カフェでお茶しませんか?

 もしくは、一緒に帰りませんか?


 いずれにしろ、衆目の環視かんしから逃げた方がよさそう。


「あの、織部さん……」

「あっ⁉︎ いけない⁉︎」


 レイは丸っこい目を白黒させて時間を気にした。


「今日は早く帰らないといけないの! またお話ししましょう、結城くん!」

「うん……そっか……なら仕方ないね」

「ごめんね、バイバイ!」

「バイバイ」


 レイが去っていく。

 ちょっと悲しくなる。

 これが恋人になったということか。


 1人になったテツヤは、真っ赤に燃える夕日をにらんだ。

 すると、燃えるようなやる気が湧いてきた。


 氷帝は俺を選んだ!

 数ある候補の中から俺を選んだ!


 そう叫びたい気分だった。


 ……。

 …………。


 帰宅後。

 テツヤはベッドの上で横になっていた。


 手には携帯を握っている。

 まだ連絡先を知らないから、レイにメッセージを送ることはできないし、レイからメッセージが届くこともありえない。


 ぴろりん♪ と鳴る。

 新作ゲームがリリースされました! の通知だった。

 はぁ、とため息をついてから、携帯を放り投げる。


 夢みたい。

 信じられない。

 明日からどうなるのだろうか。


 おはよう、おやすみ。

 毎日その手のメッセージを交換するのだろうか。

 それとも、レイは面倒くさがり屋で、中身のないやり取りを嫌うだろうか。


 レイのことは詳しく知らない。

 好きなもの、嫌いなもの、出身地、将来の目標、家族とか。


 明日、教えてくれるといいな。

 願わくは、あの笑顔を2人きりの時間に見せてほしい。


 ワクワクが止まらない。

 楽しい妄想が風船みたいに膨らんでいく。


「やべぇ……無性にシャドーボクシングをやりたくなってきた」


 ガラス窓に映る自分に向かって、シュッシュと拳を振りまくった。

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