Final Chapter・俺は何のために学ぶんだ?

高一 十月 第一週 金曜日 放課後 一年B組教室


 和歌が穂奈美さんと付き合いを始めてから二週間、劇的にとまではいかないものの、着実に和歌はクラスでの居場所を作り上げていった。俺が派手に穂奈美さんの名前呼びをおっぱじめたからだろう、女子達は男子達が雰囲気作りのために名前呼びを習慣化させようとしていると感づいているようだったが、新たな作戦が功を奏して問題にはならなかった。その作戦の功労者、いや犠牲者となってくれた彼との会話も今思い出せば面白い。


「ちょい待て、みんなの前でのろけろってか? 嫌だよ恥ずかしい」


「お願いだよ良平君! 名前呼び習慣化のモデルに良平君と留依さん以上の適任がいないんだよ。別にベタベタのバカップルになれって言ってるんじゃないんだ。ただ昼休みに二人だけで屋上には行かないで教室で仲良く名前で呼び合って食事してくれればいいんだよ」


「良平、俺からもお願いだ。俺もお前以外の適任が思いつかない」


 冴上、いや遼が頭を下げて頼み込むとため息交じりに桜木良平君は首肯する。


「仕方ねえな。教室で飯一緒に食えばいいんだろ?」


 俺が言葉巧みに説得して遼が態度で頼み込む連携プレイならもう少しいける! そう気付いてもう一押ししてみる俺。


「いや、できれば留依さんに良平君が好きな食べ物は何か教えてくれない?」


「は? 言ってどうすん……って、まさか!」


 顎が外れそうに大口を開けてドン引きしてくれる良平君、いいね、硬派な男は嫌いじゃない。本当は茶化し半分で弄りたいいたずら心を和歌のために抑えて真剣にお願いする。


「弁当作って来てもらって一緒に食ってよ。そんで『留依、美味しいよ』って言って」


「そんなんやだよ! 結局俺達をバカップルにしたいんじゃねえか! 付き合って早々んなことできるかよ!」


「そこを頼むよ良平! てかお前は留依のお弁当食べたくないの?」


 頼み込みながら今度は遼も誰もが望むに決まっている質問で誘導尋問を仕掛ける。確か親父さんが創業経営者だったっけか? 熱意を伴った説得は父親譲りということか。


「そりゃあ……。食べてみたい……」


 こうしてあまり口数が多いタイプではない良平君は口から生まれた俺達の説得にあっけなく折れた。良平君のお願いに応じて留依さんがお弁当を作ってくるかが気がかりだったが、数日後に彼女が持ってきた弁当を見れば結果は一目瞭然だった。ハンバーグ弁当をリクエストしたらしい彼に対して、彼女が作ってきたのはなんとステーキ肉を混ぜた極粗挽きのデミソースハンバーグとチーズインのイタリアンと豆腐ハンバーグの三種類! 遼や穂奈美さん達に教室で食べるようにすすめられて最初は恥ずかしがっていた留依さんも、いざ弁当を開く時にはノリノリで各ハンバーグの説明をしていたし、良平君もお世辞抜きで「美味い」を連呼していた。


「弁当でこれだけ美味いなら留依の作りたてならどれほど美味いのか食べてみたい」


 人前でのろけるのを嫌がっていた彼も胃袋を掴まれてもう周りが見えなくなっていたのだろう。人目もはばからずに留依さんのお弁当を絶賛していた。


「喜んでくれて嬉しい!」と留依さんも彼氏の食いっぷりにご満悦の様子で、これなら「はい、アーンして」もリクエストしておけば良かったと思ったくらいだ。


 とにかく二人のラブラブっぷりの効果は絶大だった。


「やっべぇ、留依さんの弁当ガチ過ぎじゃない? 良平君マジで羨ましいわぁ!」と俺が冷やかし半分に名前呼びしても名前呼び作戦実行時のような拒絶反応がなかった。それどころか照れ笑いをしながら「米沢も料理が得意な彼女作りなさいな」と軽くあしらう始末だ。やはり人間は自分が幸せならば多少の不都合も気にならなくなるのだろう。


 俺がカースト上位の留依さんを名前で呼んでも拒絶されていない事実から感じられる安心感と二人のラブラブっぷりから生じる恋愛への憧れが、一週間ほど経過して今週に入る頃にはクラス中に伝播していたように思える。いや、二人が羨ましくて付き合いだした人もちらほらいるらしいから単なる俺の思い込みでもない。そのおかげか来週に迫った中間試験に備えて放課後に男女入り混じって教え合う雰囲気ができていたのが更に功を奏した。和歌が英語リスニング試験の練習役をかってでたのだ。求められれば何度でも、スピードのリクエストにも応じてリスニングテキストを読み返してくれる和歌の朗読は好評で、最初は交じりづらそうにしていた無視勢の女子達も少しずつ加わった。そして今日の放課後は遂に――


「和歌さん、私も入れてもらっていい? お願いします」


 放課後に教室の一角で勉強会をしていたら良平君に手を引かれて最後の一人である留依さんも試験勉強の輪にやってきた。


「もちろんよ。一緒に練習しましょう!」


 和歌は嫌気など微塵も感じさせない笑みで答えると、早速やや早めのスピードでテキストを読み上げてから俺を指差した。


「はい、英紀! 今の質問の答えはどれだと思う?」


 問に対してその場にいた冴上と穂奈美さんが一瞬目配せし合ったのを俺は見逃さなかったものの、俺が何かと思うよりも早く次々と口をはさんできた。


「てか和歌さんさ、ルーさんのことあだ名では呼ばないの?」


「そうよ。一番最初に仲良くなったんだし、幼馴染なんでしょう?」


 男女カーストトップの冷やかし交じりの提案に和歌はあたふたしていたが、俺はなんとなく二人の意図を察していた。


(ああ、クラスの輪に入れるためにもう一押ししてくれているんだな。ならその気持ちありがたく頂戴しようじゃないか)


「俺はどっちでもいいよ。和歌が呼びたい方で呼べばいいから試しに呼んでみたら?」


 俺が促すとその場にいた面子の注目が和歌に集まる。注がれた視線に和歌は緊張した面持ちで固唾を呑むと俺を見て――


「――Looさん――」


 黒歴史由来のあだ名で俺に呼びかけた。


「ぷっ……和歌ちゃん……」


「クスクス、和歌ちゃん」


「えっ? どうしたの?」


 吹き出す数名のクラスメイトの反応を見てそこはかとなく不安そうな顔をする和歌。しかし悪意で笑っている者は一人もいない。そう確信できるからツッコんでやる。


「無駄に発音良すぎんだよ! LoserだけどLじゃなくていいの! またオデキ発音の時みたいに矯正する?」


「あっ! ごめんなさい! るぅさん!」


 紅潮した顔で慌てて言い直した和歌を見てその場にいたみんなが笑い出した。無視していた女子達も一緒だった。笑いから始まって総じて和気あいあいと行われたリスニング練習がひと段落付き、そろそろ解散かという雰囲気になると、改めて留依さんと無視をしていた姫野グループの女子達が和歌に感謝を述べた。


「そんな、私は私にできることをしたいだけ。私も分からないことはみんなに教えてほしい。いいかな?」


 そう答える和歌が瞳に湛えた嬉し涙を見て内から湧き上がる達成感につい酔いしれていた。


(やったな和歌、ついにやり遂げたんだ――)


***

同日 帰り道


 校門を出て駅行きの道からそれるとそこから先は二人だけの通学路。一週間の定期考査準期間に入ってからは部活も補習もなかったからここ数日は一緒に帰宅していたが、隣を歩く今の和歌の足取りはいつにもまして軽やかだ。一年B組の攻略が完了したからだろうが、まさか感情が顔に出やすいだけじゃなくて足にも出やすかったとは。相変わらず見ていて飽きないというか面白い。和歌も今日の出来事を嚙みしめたかったのか、学校を出てからしばらくの間目立った会話もないまま和歌の歩みを見ていたらとふと目が合う。


「何? そんな笑い方しながらこっち見て」


「あ、ごめん。俺も顔に出てた? 和歌が嬉しそうだったからさ」


「そんなに?」


「ああ、顔だけじゃなくて足まで笑って見える。誕生日に買ってもらったおもちゃを持ち帰る子供の足取りだよ」


「体中見て気持ちを読まないでよ嫌らしい」


「嫌らしいって、そんな。でも図星なんだろ?」


「図星?」


「その通り、大当たりってことだよ」


「そう、ありがとう。まあ恥ずかしいけど図星ね。みんなに感謝されて嬉しかった」


「そうだな。俺もだよ。それにしても一週間でここまで変わるとは、流石カーストのトップが動くと効果が絶大だな」


「そう? あなたも何かしていたんでしょ?」


「気付いてた?」


「先週穂奈美と話した時に聞いたわ。『米沢は何かしようとしてる。あなたのためではあるけどあいつは女子の空気は読めないから行動の意味が分からなかったら私に聞いて』って」


「なんだよそれ、俺まるで信用ないじゃん? まあでも結局最後は遼がまとめたからな、穂奈美さんの意見も合ってるか」


 自嘲交じりに受け流す俺に対して和歌は口元に笑みを浮かべて首を振る。


「でも最初に立ち上がったのはあなたよ。あの時は何をしようとしてたのか分からなかったけど、私のためだってことは分かった。嬉しかったし、その……かっこよかった。ありがとう。ふふっ」


 上目遣いながらも真っ直ぐな視線と共にはっきりと告げられた耳慣れない言葉に俺の幼い精神は容易に許容を超えてしまう。


「今日は照れ隠しに外国語を使わないのな」


「あれは悪口を言った時だからよ」


 理性のフィルターを通さずに口から出した思春期男子の強がりもさらりと返してくる和歌。普段女子から注目されたいと思っているのにいざその時になると目を逸らしてしまう自分がもどかしい。


「顔を見てそんなの違うって分かったよ」そして今なお強がろうとする口ももどかしい。


「じゃあ今も? 今の私の気持ちも分かる?」


 逸らして視線に合わせて和歌は半歩近寄って肩を寄せてきた。肩が触れ合った感触に合わせて反射的に合った瞳に俺は息を呑む。


(え? また泣くの? なんで? 嬉し涙……? でもない、かといって悲しいからでも絶対ない。なんで?)


 微笑むように潤む目は細めながらも口元は結ばれていて笑顔というほどでもない。頬はほんのりと染まって見えるのは夕日のせいでもない。


「え……と……なんだろうな……」


 和歌の中で何かが高鳴っているのは間違いない。しかしそれが何なのか確信は持てず、童貞男子高校生の理解を超える反応に曖昧な言葉しか発せぬままついに我が家の入り口差し掛かると――


「待って」


 和歌は制服の袖を引いて俺を呼び留めると正面に躍り出て向き合った。我ながら情ないがきっと答えないまま自宅に帰られると思ったのだろう。向き合っても落ち着きたいがために視線は微妙に泳がせているのだから無理もない。でも当の俺もテンパっていてそれどころじゃないんだ。


(くそっ、いつも脊髄反射で感情ぶちまける癖にこういう時だけ感情読ませんのかよ! ずるいよ女って!)


 遂に精神的余裕が尽きて心中で全女性に悪態をつき始めたその時――


「ねえ……」


 和歌に呼ばれるがままに目を合わせると、彼女は僅かに顎を上げた。そして淡く涙を湛えた瞳が夕日に煌めいたその瞬間、さしもの俺も感づいてしまう。いや、可能性としては頭の片隅にはあったと思う。でもいざ目の当たりにすると理性が感情を処理しきれず脳も体も火照りだす。


(え……まさか……でもこれってそうだよな? もしかして俺のこと……てか俺はどうなんだ……?)


 呆然としてしまい思考はまとまらないが視線は和歌の薄く開いた唇に釘付けだ。その視覚刺激が更にこの唇に触れたい、自らの唇を重ねたい、という衝動を高めて胸が高鳴る。俺は自分の体とは思えぬほど震える両手をそっと和歌の両肩に置いた。残っていた最後の理性がキスの前に自分が受け入れられているか確かめたかったのか、それとも男の本能が目前の少女を求めたのか自分にも分からない。ただ手を通じた和歌の華奢な肩の震えだけが感じられた、和歌は手を解こうとしない。


(和歌、いいんだよな?)


 俺はついに和歌の唇に合わせて首を傾ける――。


「Waka! Dort bist Du! (独:和歌! そこにいたのね!)」


 耳慣れない言葉で凛とした声が響きわたった。驚いたのは和歌も同じようで咄嗟に俺の手を振りほどいて声がした後ろを振り向くと口に手を当てて驚きの声を上げる。


「マリー! どうしてここにいるの! あ、Warum bist Du hier?」


 いつの間にだろうか、振り向いた和歌と俺の前にいたのは、いつか和歌に写真を見せてもらった金髪碧眼の美少女だった。緩やかなカールの長いブロンドヘアは夕陽にその輝きを増し、対して双眸の瞳は夕焼けの下においてもなおアクアマリンの様な涼し気な輝きを失っていなかった。くびれた腰に手を当ててこちらを見据えるその姿はもはや綺麗というよりも神々しくて、ごく普通のパーカーとジーンズを組み合わせた着こなしが俺の脳内ではキトン※をまとった女神様に脳内変換されそうなくらいだ。そんな女神様ならぬマリー様は真鶴家の門からこちらに駆け寄ると勢い良く和歌に抱き付いた!


「Naturlich! Ich bin hier gekommen, um dir zu helfen! Warum hast Du mir so lange nicht antwortet? Ich hatte dir die Sorge so lange! Aber Ich habe dir endlich wiedersehen koennen. Ich habe dich so vermisst! (もちろんあなたを助けるために来たのよ! どうしてずっと返事しなかったの? ずっと心配してたんだから! でもあなたに会えて良かった! 会いたかったよ!)」


 俺には全く聞き取れない外国語でまくし立てると彼女は抱き合いながら和歌の頭を撫でた。自分に絵心があれば一枚の絵画に残したいとも思えるほどに美しい光景に心を奪われる。ファーストキスへの期待に既に俺の精神は許容を超えていたからだろうか、高まっていた鼓動が見惚れる間にまた弾んでいたことに俺は気付かなかった。


第一部 完


※キトン ギリシャの彫刻が着ているようなゆったりとした白布衣装、もしくはハープを奏でる女神様が着てそうなアレ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る