Chapter32(Ver1.2)・東大お受験知識で逆転だ

高一 九月 日曜日 午後 渋谷ヒカリエB3フードコート


 治姉がいじめとは無縁だった自身の高校生活を語り出してからというもの、俺達は昼時のフードコートにいるにも関わらず周りの音など気にせずに話に聞き入っていた。女子集団の幸福度論を話すのはこれで二回目であったからか理路整然さを増していて、既に聞いたことがある俺にとっても更に聴き応えのある仕上がりだった。冴上をはじめとした帝東一年B組男子カーストトップの面々も頷きながら話に集中している。先程蒼学で後輩達に慕われている姿を目の当たりにしていなかったらここまで初対面の大学生の話に夢中になっただろうか。


「――だったの。これが私の経験から女子集団の幸福度が高いとクラスメイト同士の仲が良くなると思った理由よ」


 治姉は持論を語り終えると昼食の時に買ってあった紅茶を一口飲む。


「女子集団の幸福度が高いと女子の優しさがクラスに活きるのか……そうなってほしいよな。少なくとも今のあいつを見ていたくない」


 さっき不満を述べていたのが嘘のように桜木君は真剣な面持ちで呟いた。他の面々もその気持ちは同じなのか思い思いに話し出す。


「僕も今のクラスの感じは嫌だなぁ」


「だよな。てか、治佳さんのクラス凄くね? クラスの半分以上付き合ってるなんてどんなリア充クラスだよ?」


「それな、うちのクラスで付き合ってるのって二年の先輩にナンパされた女だけじゃね?」


「あぁそれな、最近二股がバレて別れたってさ。うちのクラスがこんな時によくもやってくれるよな」


「マジか。確か去年アイドル雑誌主催のコンテスト三次審査までいったって奴だよな。ジェジェ先輩とよく一緒にいる。クソ、あいつらマジでゲスだよな」


 普段爽やかな冴上が珍しく嫌悪感に顔を歪めて悪態をつく。俺は彼の片想い事情を知っているから気持ちは分からなくもない。でも彼にはやっぱりクラスのリーダーでいてほしいからネガティブに傾きつつある話題の軌道修正を試みる。


「まあまあ、今は前向きに考えよう。もし治姉の女子幸福度論を活かして和歌の問題を解決する過程でクラス内のカップルが増えればそれだけ今後二年の先輩にナンパされる女子も減るだろう?」


「そうね、女って不安や不満が重なるほど誘惑に弱くなるから、ネガティブになるのはご法度よ。特に冴上君、英紀から聞いているけど君はクラスの中心なんでしょう? だったら尚更よ」


 治姉も援護射撃をしてくれたおかげでネガティブに寄りかけた会話の雰囲気が止まる。


「そうですね治佳さん……ついイラついてしまいました。じゃあ具体的にどうするかだよな。で、ルーさんは真鶴さんのお父さんと確か対策を相談済みなんだよな。話してくれるか?」


 自分が愚痴っていたと自覚するやいなや、持ち前の思考の速さを活かして冴上は俺に話を振る。俺が説明を始めると再びテーブルに着いた面々の表情が真剣になる。


「――ということで、和歌が日本人の文化や習慣に慣れるにはどうしても時間がかかるから、無理に和歌が合わせようとすると最悪和歌が壊れる。だから和歌の長所を活かした方がいいってことでまとまったよ。でも和歌のお父さんは長所を強調すると出る杭は打たれるにならないか心配もしている。だからどうやったら和歌の長所が出過ぎないように活かせるのか相談したいんだ」


 説明を終えて水で喉を潤す。話が一区切りついたのは雰囲気からみんな察しているようではあるものの、さっきとは違ってみんな話し出さずに考えているようだ。会議の停滞を避けるために俺は言葉を付け足す。


「そりゃ長所は活かすけど目立たないようになんて難しいよな。能力は発揮しまくるけど目立ちたくないだなんてどんだけ中二病なんだよって感じするし」


「ルーさんその例え上手いな。確かにマンガじゃ能力を隠したがるキャラを見るけど、今の時代隠していたら成功なんかできないだろ? なんでマンガだとカッコいいって思ってたんだろうな」


 ちょっとツボだったのか、そう言って口の中で笑うのは桜木君。彼が話題にしやすいマンガに例えて話したことで徐々に他の面子も会話に参してきて雑談になる。


「それな、俺も中学くらいまで今こそ隠していた真の力を発揮するみたいな展開好きだったな。でも今考えるとその後また隠そうとするのめっちゃおかしいよな」


「それウケる。能ある鷹は爪を隠すって言うけど一度見せちゃった爪をまた隠すのって間抜けだよな」


「確かに! 『隠してももう知ってるから!』ってツッコみたくなる。あ……でも、だからこそ和歌ちゃんの長所を今から隠す訳にも行かないんだよな。かといって出し過ぎてもダメなんて難しすぎじゃないかルーさん?」


「そうなんだよ。俺も和歌のお父さんと話した時は俺達男子が和歌と名前で呼び合うのを止めれば良かったと思っていたんだけどさ、やっぱり文化に根差しているからすぐには無理なんだよ。よっぽどの役者なら慣れるまで演技をできるかもしれないけど、和歌は壊滅的に不器用だからな、隠すにも適度に抑えるにも全部顔と態度に出る」


「なによ英紀、その言い方。正直とか素直って言いなさいよ」


「ごめんな、でも治姉だって女子集団の幸福度論を和歌には教えようとしなかったのは同じ意図があってのことだろう?」


「……そうね、ただでさえ日本人の会話に不慣れな和歌ちゃんが、不安を感じている状態で女社会の雰囲気を俯瞰的に把握できるとは思えない。かえって混乱させるだけだと思ったから教えなかった」


 治姉は小さくため息をつく。動き出した会議がまた止まってしまう。何かまた話して議論をしなければと義務感から無理矢理話そうとしたその時、桜木君が今度は落ち着いた口調で話し出す。


「あのさ、もう隠せないものは諦めて和歌ちゃんが目立つ前提ですすめた方がいいんじゃないかな」


「というと?」冴上が問い返す。


「実は俺の兄貴が去年東大に入ったんだけど、受験勉強中にやたらと勉強したことを話してきてさ。数学の証明問題を解くための逆転の発想みたいなことを話していたんだよ。それが使えないかなと思ったんだよ」


「国立大受験の数学で逆転というと背理法かしらね」


「治姉分かるの?」


 東大と聞いた時点で自分事からかけ離れた雰囲気を醸し出す男達の傍ら、唯一知った風な顔の治姉が反応する。


「ええ、予備校で考え方としてだけ習ったわ。例えば2が正の整数であると証明しなさいと言われた場合、2は負の整数であるという反対の仮説を立てて、その矛盾を探していく考え方よ。2が負の整数なら―2をかけたら何になる?」


 俺が数学は得意だと知っているからか治姉は俺に問題を振ってくる。


「+4だろ?」


「そう、でも実際にそうなる?」


「いや、2に―2を掛けたら―4だ」


「そうでしょう? この矛盾を根拠にして2は正の整数ですって結論付ける考え方を背理法っていうの。だから和歌ちゃんの長所を活かすか活かさないかみたいな数学的な答えがない問題の答えをだす手法ではないわ」


「そうですか……」


 肩を下ろす桜木君、しかし治姉の話はまだ終わっていない。


「でも逆転の発想自体はいいかもしれないわ桜木君。数学のプラスとマイナスみたいに何と何が表裏になっているか明確ではないから、もっと自由に発想できるかもしれない。和歌ちゃんの長所を出す出さないに限らないで自由に逆説を考えられるかも」


 治姉の言葉を最後にまたまた思考時間に入る俺達、しかし今回は桜木君のアイデアと治姉の助言もあって俺自身の中に無理矢理考えている感じがない。自然と自分の中に思考が沸き上がるような不思議な感覚だ。会議の進行役も忘れて没頭してしまう。


(自由に逆説を考える……。自由に考えられる表と裏、何があるだろう。男と女、幸福と不幸、彼女持ちとシングル、リア充と非リア充、カーストの上下……そもそも和歌と他の女子の違いって何なんだ? 待てよ? 和歌と他の女子……つまり和歌と和歌以外……そうか!)


「来たぞ! 行けるかも!」


 閃くと同時に張り上げた俺の声に会議の面子のみならず別のテーブルで食事をしている無関係な客までこちらを振り返っている。


「いきなり大声出してどうしたのよ。なんか思いついたの?」


「ああ、桜木君が逆転の発想を教えてくれたおかげだよ! 和歌が変わるのが難しいなら、周りを変えればいいんだよ。和歌に注目しなければいいんだ!」


「ルーさんごめん。俺の発想が役に立ったのは嬉しいんだけど何が言いたいのかさっぱり分からん」


 桜木君がまるで女子のようなサラサラヘアの頭を掻きながら困惑した様子で答える。しまった、つい興奮して独りで盛り上がってしまった。


「ごめんごめん、つい閃いた勢いで暴走しちゃったんだよ。俺が逆転させたのは意識や行動を変えさせる対象だよ。俺達は今まで難しいとは思いつつもどうやって和歌を変えるかばっかり考えていただろ?」


「確かにそうだな。真鶴さんをどうするかばっかり考えていたとは思う。それで? 具体的に変えるっていうのは誰なんだ? 姫野のグループか?」


 世界的に有名な彫刻のように利き手を顎に添えながら問い返してくる冴上、他の面子も腕を組んだり、片手でペンを回したりしながら俺に注目する。


「いや、姫野さんのグループだけじゃない。女子全員を変えればいいんだよ」


「全員?」


 数人がハモって意外そうな声をあげる。


「そう、全員だよ。そもそも和歌が悪目立ちして無視の原因になっていたのは和歌だけがクラスメイトを堂々と名前で呼んでいたからだろう? なら全員が名前で呼び合えばいいんだよ。そうすれば目立たない。木を隠すなら森の中って言うじゃない? それと同じ感じだよ」


「なるほどな……でもどうやって女子全員に男子を名前で呼ばせるんだよ?」


 至極当然な疑問を投げかけてくる冴上、しかし答えは出来上がっているから俺は動じない。それは――


「まずは俺達全員が女子を名前で呼ぶんだよ。みんな和歌だけを和歌ちゃんとか和歌さんって呼んでいるだろ? 先に俺達が同じように女子達を名前で呼んで当たり前な雰囲気を作ればいいんだよ!」


「ぶっッ、ルーさん何言い出すかと思えば! 何だよそれ、発想が単純すぎだろ!」


 吹き出す桜木君につられて他の男子も笑い出す。しかし彼等に俺を馬鹿にする様子は見られないので、普段英語の授業中に受ける嘲笑とは異なって不快感は感じなかった。俺は彼等が受け入れてくれると肌で感じてたたみかける。


「みんな笑っているけどまんざらでもないって感じだろ? それに俺自身も無理を言っているって気は全然ないんだ。だってここにいるみんなから始めれば女子達も受け入れるだろ? なんたって一年B組屈指のイケメン様方なんだからさ」


「何だよ俺達だけ立てて謙遜なんかして、ルーさんだって今日蒼学生に、『治佳さんの弟だけあって結構イケメンかも』とか言われてたじゃんか。短気とかTシャツのダサいセンスがなければそこそこいけるじゃん。去年告白もされてたしさ」


「冴上、ドS気質の治姉が喜ぶから褒めながらけなすの止めて。とにかく俺としては人気のみんなが先陣切って女子全体の名前呼びを習慣化してくれれば俺も後に続きやすいし、ほら俺ってオタク趣味もあるじゃん? だから俺もみんなに乗じて名前呼びができるようになれば俺から更にオタク系の友達にも派生しやすいと思うんだ」


「なるほどな……。俺は一瞬ルーさんが思い付きだけで言い出したのかと思ったけど、意外と具体的にどうやってクラス全体に浸透させるか考えているな。治佳さんはどう思います?」


 まんざらでもない反応を示した冴上が治姉に振る。


「そうね……あなた達が女子達から人気がある前提なら悪くないと思うわ。英紀もバカだけど人見知りしないから習慣をクラスに広めるための一因として使いようがあると思う。何よりも私がこの案を聞いて良いと思ったのは和歌ちゃんが素のままでいられるってところよ」


「確かに、真鶴さんが演技する必要はないか。うん、いいかもしれない」


「ただね冴上君、私は注意点もあると思うの。女って勘が鋭いから言葉や行動に心が伴ってないとすぐにバレるわよ。あなた達が本心からクラスの女子全員と仲良くしたいって思っていないとただの策略だってすぐに感づかれる。最悪その疑いの矛先がまた和歌ちゃんに向くわ」


「いや治佳さん、その心配はないと思いますよ。だってここに心の底から女子と仲良くしたいと思っている奴がいるじゃないですか。な? 桜木?」


 冴上が話をしていた治姉から桜木君の方に顔を向けて、少しばかりいたずらっぽく笑ってみせると桜木君は目を丸くする。


「え? 俺? まあ確かに好きだけどさ」


「好きなら名前で呼び合ったり手繋いだりいろいろしたいだろ?」


「そりゃまあ、したいに決まってんだろうが。てかお前らみんな俺を見るなよ」


 みんなとは言いつつも明らかに治姉を気にしているように見える桜木君。まあ公園で遊ぶ息子を見守る母親のような包容力を感じさせる微笑みを奇麗な年上のお姉さんに向けられては仕方がないか。照れる桜木君に冴上は言葉を重ねる。


「俺も女子とはもっと仲良くなりたいからさ。演技なしのガチでこの作戦実行できると思うよ。やってみよう! 和歌さんの無視を解決して、桜木の恋愛も成就させてやろう! ついでに俺達も彼女作ろうぜ! クリスマスにはお互いにMineでデート自慢だ!」


 久しぶりに和歌を名前で呼んで冴上がリーダーらしく宣言すると、恥ずかしがっている桜木君以外の二人が分かったとばかりに力強く頷いた。発案者の俺ももちろん頷く。しかし俺はみんなとは別の決意も抱いて頷いていた。


(お前の恋路も応援してやるからな、冴上)


 冴上へのお節介心からついつい俺は思いついた言葉を理性のフィルターを通さずに口から吐き出してしまう。


「じゃあさ、桜木君の応援するためにはみんな誰が好きなのか知っていた方が良くない? 後で恋敵でしたってことになると気まずいじゃん?」


「ルーさんなに言い出すんだよ! 俺さっき恥ずかしいから嫌だって言っただろ」


 眉間に皺を寄せて拒絶する桜木君を見てしまったと思う。しかし謝るか弁明するか考えるよりも早く他の男子達が援護射撃をしてくれる。


「てか桜木、僕もう分かったよ。冴上は?」


「確信はないけど多分あの娘かなとは思ってる」


「じゃあみんなで『いっせーの!』で当ててみない? 恋敵はいないに越したことはないだろ?」


 あれよあれよと話が進んで雰囲気にのまれた桜木君は「勝手にしろよ」と口の端に薄く笑みを浮かべて受け入れると冴上が明るく通る声で音頭を取る。


「いっせーの! 小石川留依こいしかわるい!」


 結果は男子全員一致で正解だった。桜木君は顔を赤くして「正解……」と言うとしばらくは悶えていたものの、落ち着くと反撃に転じて俺達が誰を狙っているのか聞いてきた。


 修学旅行の就寝前のお約束イベントを何故か都心のフードコートで行った結果、姫野さんのことは冴上以外の誰もが既に振られるなり、高根の花と捉えるなりで自分事として考えていないと知って俺は安堵した。和歌の問題と同じで冴上の恋も実ればと思っていたからな。


 男子の一人が和歌が好みだと言ったおかげで、その後の帰宅中に治姉がしきりに「和歌ちゃん取られちゃうわよぉ」と俺を煽ってきたが不思議と焦りは感じなかった。のれんを腕押しするような俺の反応に治姉は不満気だったが、現状俺以上に和歌が頼れる奴がいるとは思えないからだと伝えると、まるで台風一過の晴天のように満足気に笑って見せた。

その笑顔に俺は普段見過ごしている姉弟愛を感じたような気がした。


Ver1.1 無視の首謀者に名前を付与

Ver1.2 パロディ削除

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