Chapter33・何事も段取り八割だ
高一 九月 月曜日 早朝 一年B組教室
「おはよう……」
いつもよりも元気も明るさもダイエット食品のようにカットしたローカロリーのトーンで挨拶をして俺は教室に入るが返事はない。それもそのはず、単純に一番乗りで誰も教室にいないのだから当たり前なのだ。
「いくらなんでも早く来すぎたか」
独り呟きながら腕時計を見るとまだ待ち合わせの八時まで十分もある。普段の俺ならばソシャゲのデイリーミッションでもこなして時間を潰すところだけれど、今日はこれからの予定に想いを馳せる。
昨日ヒカリエでの会議で決まった「みんなで名前を呼べば怖くない。むしろ仲良くなって彼女できちゃうんじゃね?」作戦をすぐにでも実行したいところではあったのだが、冴上から実行前に式部先生にも計画を共有して意見を聞いておいた方が良いとの指摘を受けて今日の実行は留めることにしていたのだ。
(まあ確かに先生は女子からも人気だからな。共有しておけば失敗した時にフォローしてくれるかもしれないか、さてどう説明したものかな……)
先生向けのプレゼンファイルを授業用の
「よう、早いな」
「俺は家が近いし、もし和歌がいつもより早めに迎えに来たらまずかったからな」
「なるほどね。じゃあ行くか」
冴上は自分の机に鞄を置くと俺の返事を待たずにすぐさま教室を出る。俺もそのつもりだったのでついて行く。まだ生徒もまばらな廊下に出て彼と横並びに歩き始めるとそれとなく会話が始まる。
「和歌さんの親父さんには計画は話した?」
「ああ、昨日帰宅したらすぐに家に来てもらって話したよ」
「ルーさんが行ったんじゃなくて呼び出したんだ?」
「だって俺が行ったら和歌に聞かれるかもしれないだろ」
「あっそうか。で? 反応は? まあ今日こうして集まっているってことは問題ないんだろ?」
「うん、俺達に任せるって言ってくれたよ。心配そうだったけど納得はしてくれているみたいだった。八時くらいに式部先生宛に電話して俺達の話を聞くようにお願いしてくれるってさ」
「そう聞くとプレッシャー感じるな。失敗できない」
「その失敗した時のためにも事前に大人にも俺達が何をするか言っておかなきゃ」
「そうだな……」
できるだけ前向きに話しておきながらも俺自身も実は緊張していたため、ここで会話は自然と途切れた。そして間もなく職員室に到着した俺達は入室の挨拶をして中に入る。朝礼までまだ三十分以上あるというのにもう既にほとんどの先生が出勤済みであるように見える。
(遅刻を取り締まる立場にいるわけだから当然と言えば当然だけどこんなに早くから大変なもんだな)
休み時間や放課後に来る時よりも緊張感を感じる先生達の表情に気後れしつつも高一担当の先生達が集まるデスクに向かうと我らが担任の式部先生も既に出勤して席に着いていた。ミモレ丈のフレアスカートにブラウスとカーディガンを合わせた先生らしくもシンプルなスタイルはおそらく残暑に柔軟に対応できるように着こなした結果だろうか。先生自身も好きだったらしいストレッチが効いたパンツスタイルが俺は好きだったのだけれど、どこぞの男子の「お尻がセクシー」との発言が女子を通して先生の耳に入ったらしくて、それ以来もっぱら体の線が出ないスタイルのスカートばっかり履くようになってしまった。女子達は「清子ちゃん可愛い」なんて言っているが、チュールスカートなんか履かれたら男の俺にとってはつまらないったらありゃしない。
(まったく黙って堪能すればよかったのに余計なことを言いやがったのはどこのどいつだ)
本題そっちのけでそんな思春期男子の妄想をしていたのは先生が電話をしていてすぐに会話ができなかったからだ。先生は俺達に気付くと「苦しゅうない近う寄れ」とばかりに電話しながら手招きする。
「ちょうど米沢君達が来ました。……はい、彼等の話を聞けばいいんですね。いいえ、こちらこそはっきりとご要望をお伝え頂き助かります。はい、また報告致します……はい、では」
先生は電話を切り上げると俺達に向き直って早速話しかけてくる。
「米沢君、今真鶴さんのお父さんと話していたの。今日真鶴さんは休むって」
「え? もうそこまで追い詰められているんですか?」
「いえ、真鶴さん本人は気乗りしないものの来るつもりだったらしいわよ。あなたの家にも行ったらしいけど、あなたのお姉さんからも今日は休んでおけって説得されたそうよ」
「そうなんですね。良かった」
「そうかしらね。真鶴さんは家族ぐるみで隠し事をしているってご機嫌斜めみたいよ。真鶴さんのお父さんにはあなた達に話を聞くように言われたけど一体あなた達何をしようとしているの?」
「もちろん話しますよ。そのために来たんですから。先生にも和歌の無視を止めるために協力してほしいんです」
「そう、じゃあ。ここだとなんだし場所を移しましょうか。八時半には教員の朝礼が始まるからそれまでで話せる?」
「はい、できると思います」
俺の返事を聞くなり立ち上がった先生に付き従って職員室隣の生徒指導室に入ると冴上と俺は先生と対面する形で机を挟んで席に着いた。時間が限られているので早速iiPadを出してプレゼンを始める。
「あら、随分準備がいいのね」
「それだけ本気なんですよ。じゃあ行きますよ――――」
タッチパネルを操作して和歌を取り巻く人物の相関図を描いたファイルを表示すると俺は和歌の無視が始まるまでの過程から俺達の作戦まで一通り説明を始めた。説明を終えて先生を見ると感心した様子で感想を述べる。
「ありがとう、真鶴さんとお父さんから聞いたよりももっと詳しく状況が分かったわ。指導者側の理由も分かって良かった。そして何よりあなた達の計画には正直舌を巻いたわ。本音を言うと指導者の子達を処罰するように求められるとばっかり思っていたの。確かに無視は許せないけどその子達も私にとっては生徒だからできるだけ円満に解決して救いたいのよ」
「それは分かりますよ。それが先生と言うものでしょう。あ、これ皮肉じゃありませんよ。実際俺も和歌さんだけを救いたいわけじゃないですし」
プレゼンで十分ほど話しっぱなしだった俺に変わって冴上が返事をしてくれる。俺としてもこの意見については彼と同意なので問題ない。
「それで? 私にして欲しいことがあるんでしょう? 何をしたらいいの? 指導者の子達も救う目的なんてすぐには考えつかないんだけど……」
普段自信たっぷりな分困り顔が珍しくも可愛らしい。でも真剣に相談に乗ってくれている大人の女性に対して失礼だと気付いて、ついつい浮かべてしまった微笑みを自身の笑みに置き換えて俺は先生に答える。
「簡単なことですよ。先生も俺達を名前で呼んでほしいんです。どうでしょう? もう一部の女子には清子ちゃんって呼ばれているんだしいいんじゃないですか?」
「え? それだけなの?」
「はい、これだけです。京都の時は先生の介入で悪化したって和歌からも聞きましたよね? 同じ結果になってほしくないから今はこれで十分だと思います。どちらかと言うと先生に動いてほしいのは計画が失敗して俺達では収拾がつかなくなった場合です。そのためにも俺達が何をしようとしているのか知っておいて頂いた方がいいですよね」
「そうね、こじれた後に情報収集に奔走するよりもずっといいわ。知っておくことでクラスの雰囲気が変わっても察知できそうだし。とにかく、私の役割は分かったわ。私は今日の出席から早速始めていいのね?」
「はい、お願いします」
冴上も俺の言葉に合わせて頷く。
「分かったわ。あなた達はいつから女子達を名前で呼ぶの?」
「冴上はどう思う? 俺は今日は和歌がいないから明日からの方がいいと思う」
「俺はどっちでもいいかと思ったけどなんでだ?」
「ただでさえ和歌には計画を教えていないからな。せめて事が起きた時に現場にいないと更に状況の理解が難しくなるだろ?」
この言葉で冴上は納得したようだが、先生はそうではないようで片手を顎に当てて疑問を呟く。
「真鶴さんにはストレスになるかもしれないわね」
「それでもいた方がいいと思います。和歌の素の反応がクラスに受け入れられる必要があると思うからです。それに和歌ならきっと受け入れられると信じています」
「疑うようで悪いけど根拠はあるの?」
「和歌の価値観ですよ。以前下校中に人付き合いの価値観を聞いたからそう思えるんです。和歌は上辺だけじゃなくて個人に深く興味を持てると俺が確信したんです」
「なるほどね。それだけ真鶴さんを理解していたからこそお父様からも信頼されているということかしら。分かった、先生も成功に期待するわ。じゃあ、職員の朝礼が始まるから二人は教室に戻ってちょうだい」
式部先生に従い俺と冴上は席を立つと入室時とは異なった緊張感を胸に生徒指導室を後にした。
***
生徒指導室での相談からおよそ二十分、普段ならば朝礼までクラスメイトと会話でもしながら潰している時間を無人の隣席を眺めながら過ごしていると、朝礼のチャイムと時を同じくして式部先生が入ってきた。
慣れた手つきで出席簿を開いて先生が出席を取っていくと早速女子達から笑い声と共にツッコミが入る。
「先生ぇ、なんで今日はフルネームなんですか?」
「なんでって、一学期でもうみんなの苗字は覚えたからよ。今度は名前も覚えるの。それに私だけ清子ちゃんって呼ばれるのもなんじゃない?」
「えぇ、可愛いからいいじゃない」
「もうすぐ三十路の私なんかよりあなた達の方がずっと可愛いでしょ。さあ続き行くわよ! 冴上遼君!」
(さすがだな、いきなり名前で呼ぶよりもフルネームで呼んだ方が導入が自然にできるな。それに出席ならフルネームでも全然違和感がない)
女子のツッコミを軽快にかわしつつ、ごく自然にフルネームで呼びかけて出席を取る様を見て感銘を受ける。式部先生に相談して良かったと安堵を感じたのも束の間、ふと視線を感じる。
姫野さんだ。フルネーム出席から何か察したのだろうか。彼女の勘の良さもさすがと言ったところか。肯定的か否定的かだけでも表情から察したかったけれど、目が合うとすぐに彼女は視線を反らしてしまって、その機会は得られなかった。
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