*あやかしに好かれた、彼女の忘れ物

 教室に近い階段の、踊り場。そこに取り付けられている大きな鏡に、亡くなったはずの彼女は現れた。



 始めこそは、スマートフォンにメールがきている程度だった。

 文字化けしている、意味不明なアドレスで。


 僕と彼女の関係は、幼馴染みと言えるし、付き合いの長い友達とも言える。離れていたのは、小学校高学年だけだ。それ以外は一緒に過ごす事が多かった。

 彼女はよく変なモノがえた。聞き慣れた言葉、言い慣れている言葉を使えば、それらは幽霊と言われるものだ。ただ、可愛いモノも視えるようで、彼女はあやかしだと、言い張り……ケンカの原因は大体がそれだったかな。


 同じ中学に進学し、僕は入学祝いにスマートフォンを買ってもらっていた。彼女はそうではなくて、テストの点数や、良い成績を取ることを条件にしてスマートフォンを買ってもらった。

 僕がスマートフォンを持っているから、と理由に使えばいい、そう考えを伝えても曲げなかった。その頑固さは、彼女の眼に映る、あやかし達にも向けられていたんだ。



 その日は酷い雨だった。

 雨合羽を着て、自転車に乗り走っていた帰り道。明日からは夏休み。車の通りは少ないけれど、ガードレールの無い砂利道。片側は川になっていて、緩やかな流れをよく眼にしていた。でも今は、うっすら茶色に濁り、流れも早くなってきている。

 岩に引っ掛かっている流木。そこにしがみついている、あやかしを、彼女はほおっておけなくなったんだ。


 緩やかな斜面だったようで、すいすい降りていった彼女は、流木にしがみつくあやかしに、必死に手を伸ばす。

 何度も注意を投げ掛けても、戻ってくる素振りは全く無い。あやかし……一度は失われたモノ達……だから少し危ない状況でも平気、なんて言い方は、彼女の前では禁句だ。



 事故ではある。でも、それなりに説明はいるだろう。あやかしを助けたかったから──誰が信じるんだ、そんな事を。

 雨でぬかるんだ、砂利の道。タイヤの自由が効かなくなり、道を外して川へと滑り落ちた。僕の親、彼女の両親が納得する理由を探して、自分がとんでもない過ちを犯してしまった事に……怖くて言葉が何度も詰まる。おかしな喋り方になる。

 そうした僕の状態に、理由を求める声は出なかった。その場に居て、大変な思いをしたんだと、親は優しかった。



 彼女の居ない生活、高校での生活。

 定番と言っていいくらい、夏になると、怖い話で盛り上がる人が出てくる。

 あやかしが視える彼女と過ごしてきて、テレビでやっている怖い番組を観なくなったっけ。生きてる側がどう感じたかで、幽霊がどう思ってるかなんて、知りようもないから。もしくは、幽霊が一方的に求めてきているんだって、解説がされている。

 居ないから、視えないから、何とでも言えるし、夏に涼しくなる材料として扱われる。黒板の隅に作られた、夏休みまでのカウントダウン。簡単に描かれたお化けのイラスト。放課後の静かな教室、僕の存在は居ないとして、怪談で盛り上がる三人の女子。


「教室、戸締まり、頼んでもいい?」

「ん、あぁー良いよ! やっとく。教卓のところに置いといてよ」


 僕の存在は居ないとして、というのは、僕の勝手な考えだったかな。思ったより快く受け取ってくれてたし。

 日直の担当を書き替え、教室を出る。

 長い廊下を歩く。自然と視界に入る空模様に、急いで帰らないと、そう足を早くした。怪談するにはぴったりの天候ではあるけれど、曇り、いつ降ってくるかわからない。


 薄暗い階段を下りていく。確か踊り場で、変な噂あったっけ……放課後の学校、必ず一人で鏡を見ること、そしたら──


「ふつうの鏡じゃん?」


 寄贈された年も、僕より二つほど先輩の人達なんだと思う。まだまだ新しい。

 噂は、噂だ。ただの、噂だって。なんで、中学の制服を着た生徒が?

 鏡越し、たった今下りてきた後ろの階段に女子生徒が座っていた。焦って振り返るが、誰も居ない。高鳴る心臓、気のせいで済ませられるか。優しく手を振ってくる女子生徒、彼女の立っている位置は、鏡の中。


 何か言いたくて必死に口や、手振りをしているが、僕には全くわからない。聴こえない。

 相手はなにやら閃き、スカートのポケットから、スマートフォンを取り出した。一生懸命に指を動かして、僕へ画面を見せた。


〝あたし! 平良綾たいら あや! 佑真ゆうまくん、久しぶり〟


 平良、綾? 綾──…ハッとして、ようやく僕は相手の顔をしっかりと見た。怖さに支配されて、ちゃんと見てなかった。中学の制服、なに一つ変わってないのに。


〝高校生だね。楽しんでる?〟


 綾に言われて、改めて考えてみる。だけど、考えたところで、心から楽しいと言える事柄は無かった。


〝鏡を通さなくても、佑真くんの前に出たかったんだけどねー……佑真くん、めっちゃ霊感ないみたいだよ〟

「何だよそれ」


 放った声は、反響も含め、耳に入ってきた。ここには僕だけしか居ないんだから、気を付けないと。


〝ごめんねー、あたしのワガママで、事故に遭わせちゃって。ずっと後悔して、ずっと謝りたかった。鏡にあたしが写り込む噂は、なんとか広められても、佑真くんが興味を持って来てくれる保証なんてどこにも無いのにね。だからびっくりした、あ、噂で来たんじゃないのはわかってるから、帰ろうとしてただけでしょ?〟


 ずっと、綾とは壁を感じてた。

 あやかしが視えない自分に、綾が視ている世界が見えない自分に、嫌気が差していた。あやかしの為に危険な行動も躊躇わない綾が嫌で、強気の綾を支えられない自分が嫌だった。

 鏡の前にしゃがむ。力無しに崩れるみたいに、しゃがんだ。僕の思いを全部、スマートフォンに打ち込んだ。でもこっちからだと反転して読めないかもな。


 フッ、と消える画面。

 眼を閉じている綾が、光の落ちた画面に写り込む。一体、何をしてるんだ。そう思い、鏡のほうへ顔を向ける、あまりの近さにくすぐったいような……けれど誰だって考える緊張が胸に走る。


〝キス、しちゃった。生きてる時にすればよかったね。生きてる時に、好きだって言えばよかった。佑真くんのこと、みれてなくて、ごめんね〟


 後悔ばかり、謝ることばかり。僕だって謝りたい事がたくさんある。でも綾がいつまでもこの世に居られるわけないだろうし。それなら、


〝綾の視ているあやかしの事を、真剣に考えてもよかったのに、それが出来なくてごめん。だけどね、そういう存在がいるんだって、知れるだけでも、いつも見てる景色が変わった気がするんだ。だから、ありがとう〟


 綾の眼が、綴った僕の気持ちを一生懸命に読んでいる。時間をかけて読んだあと、涙がこぼれた。

 生きていれば、拭えた涙なのに。指を持っていっても、綾の顔を隠す行為にしかならない。


「ずっと、好きだった。僕の前に出てきてくれて、ありがとう」

〝うんっ!〟


 なんて、そんな相槌は、僕が都合よく付けた。眼に見える形でしっかりと頷いてくれたから。そう思ったんだ。全く想像のつかない、彼女が居る世界。悔いなく行けますように。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きまぐれ文庫 戌井てと @te4-3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ