Act.16:[デビル] -悪魔の知らせ-③



 始まりはほんの些細なことだった。

「あらジャッジ、相変わらず可愛い姿ね」

 とあるぽかぽか陽気の昼下がり、宿の裏手でひなたぼっこをしていたジャッジの元に真っ白な影が落ちる。太陽を背に自らを見下ろす彼女に細めた瞳を向け、彼は皮肉に微笑んだ。

「この爺にそんなお世辞が通用するとでも思うておるのか?」

「そう怒らないで?私は本当のことを言っただけよ。ね?ティス」

「ほんとー、不思議だよねー?ジャッジって~」

 背後の窓から能天気な同意が返される。やはり上から注がれるニヤニヤ笑いに呆れ顔を返すジャッジの頭を、はじめに声をかけた女が撫で回した。

「やめんか、フルーレ。人をおもちゃにするでない」

「おもちゃになんかしてないわ。可愛がってるだけ」

「屁理屈は良い。とにかく手を離さんか」

「もー。いいじゃない、少しくらい」

 執拗にこねくりまわす白い手からなんとか抜け出したジャッジは、乱れた髪を直しながら抗議する。

「どうしたというのじゃ。らしくない」

 目の前に浮かぶ赤い瞳。フルーレは優しく微笑むと、むくれるジャッジの頬を摘まんだ。

「私、そろそろだと思うから」

 ”なんの話だ”ジャッジがそう返そうと口を開いたところに、アイシャによって出発の合図が出される。仕方なく話を切り上げそれっきり。フルーレの発言に同じく疑問を持ったであろうティスも、数日後にパートナーを得て遠くへ行ってしまった。


 自由奔放な死神は、いつも気儘にカードと現実を行き来する。

 カードの中というのは謂わば自室のようなものであり、フールのように滅多に出てこない引きこもりもいれば、チャーリーのように毎日外出する者もいる。ジャッジやティスは後者であり、よく人目の少ない場所を選んではのんびりと羽を伸ばしていた。

 しかしフルーレはどちらともいえず、出てくるときもあれば顔を見せない時期もあり、本当に気紛れな生活をしている自由人だった、とジャッジは認識している。そして同時に、その気儘な性格に翻弄されることもあったが、フルーレとは友好関係にあると自負していた。



「珍しいのう。アイシャがあれに立ち寄るとは」

 木の密集した森の中。ふらふらと歩みを進めるアイシャの懐。カードの中でのジャッジの呟きを、同じく「邪魔だから」と押し込まれたチャーリーが拾い上げる。

「普段は面倒くさがっていかねぇですからねぇ」

 うんうん、と彼が同意を示すのも無理はない。現在アイシャは普通であれば人が足を踏み入れることのない場所…人知れず存在する天文台へと向かっているのだから。

「私のせいよ」

 不意に口を開いたフルーレの一言。薄い空間ながら、振り向いた数人に向けて彼女は続ける。

「たまには会いたいって言ったから」

 誰に?そう問いかける者は居なかった。何故なら。


「あの2人、仲いいよな」

 辿り着いた天文台で珍しく顔を出したグスが呟くように、フルーレとタワーが親しい間柄であることは周知の事実だからだ。それを証拠に、部屋の中央にあたる「窪み」にはティータイムに没頭する二人の姿があった。

「そうじゃのう。お主等と違うて」

「オレ等と比べちゃ失礼だろうに」

「そりゃどういう意味だ?」

「こんな手狭なところで喧嘩をおっぱじめるでない」

「やるなら外で頼むよ」

 じゃれあう等といった可愛いものではなく、本気で流れはじめる険悪なムードに、タワーのパートナーであるシモーネもたじたじだ。額に青筋を浮かべたチャーリーをなんとか宥めてグスから引き離し、マイペースに紅茶を啜るアイシャの元へと連れていくジャッジを、フルーレのゆったりとした手が招く。

 ジャッジがとことこと短い階段を下りて近寄ると、フルーレは望遠鏡用の椅子に移動して、階段に腰掛けるよう促した。

「何用じゃ」

 タワーの隣に腰を下ろすジャッジ、フルーレは2人を見下ろし満足そうな笑みを浮かべる。

「私ね、そろそろ死ぬの」

 なんの前置きもない唐突過ぎる宣言に、2人の目は当然ながら丸くなった。

「いきなり呼びつけたと思うたら、なにを言い出すんじゃ、お主は」

「冗談じゃないのにな」

「ふむ、根拠があると申すか?」

「根拠も何も、自分のことは自分が一番良く分かってるもの」

 大したことでもなさそうに、平然と話を続けるフルーレの視線を、ジャッジの真剣な眼差しが追いかける。

「…カードが死ぬ条件は、お主も知っておるだろう」

「カードに致命傷を与えればいいのよね?」

「そうじゃ。実質、わし等の”本体”はカードにあるのじゃからな」

 低い声が場に落ちる、隣のタワーも真剣な面持ちで2人の会話を見つめていた。

 フルーレは懐から自分の部屋であり、本体でもある「カード」を取り出すと、懐かしいものでも眺めるように目の前に掲げる。

「なにを考えておる?」

 微かな変化に緊張を纏ったジャッジは、直ぐにでも動けるように体勢を直した。それに気付いているのかいないのか、フルーレはカードを見据えたまま話を続ける。

「私はね、私が私でなくなる前に私を殺すつもりでいるの…。ううん、殺してもらうつもりでいる」

「お主がお主でなくなる…?」

「私は人を憎んでいるわ。けれど、貴方たちのような子供は憎みきれずにいる」

「わしもターも、純粋な子供とは呼べぬだろうに」

「見た目の話よ」

 不意に視線を落とし、ジャッジとターを視界に納めたフルーレは嬉しそうに微笑んだ。

「愛情と憎しみと、その間に挟まれた私の心は、そう長く持たないでしょうね」

 穏やかな笑みの中、鈍く光る輝きはジャッジに、そして隣に座るタワーにも行き渡る。

「貴方たちのような特殊な存在じゃなければ、愛すべき子供は成長し、憎むべき人間になる。私の愛は、時を経て必ず憎しみに変化してしまうのよ」

「フルーレ…お主…」

「だからね、ジャッジ。貴方にお願いがあるの」

「馬鹿を言うな、わしは絶対にお主を殺したりなど…」

「大丈夫、貴方にそんなこと頼んだりしないわ」

 手を払うジャッジに頷き、目線を合わせ、フルーレは囁く。

「貴方にお願いしたいのは、私の後継者のこと」

 両手を握られたジャッジは、目の前の赤から狂気が薄れたことを感じ取り、緊張の糸が途切れたことでその場に座り込んだ。

 そう広くない部屋の中央ではあるが、窪みのせいか周囲に会話は漏れていない。訪れた短い沈黙を穏やかな喧騒が埋めていた。

「私はこれから彼のところに行く。行って、確かめて、そして殺してもらう」

 静かな懇願は、まるで暗示をかけるように続けられる。

「きっと彼は、素直にカードになったりはしない。だから、貴方にお願いしたいの」

「そやつを、カードに…お主の後釜にしろというのか?」

「そう」

「お主を殺した、その男を」

「そう。それが、私の願い」

 全てを聞き終えて、ジャッジは小さくため息を漏らした。そして隣に視線を流す。タワーはゆっくり頷くと、その視線を床に落とした。

「お願い、できる?」

 フルーレの声が震える。ジャッジは暫し考えた後、深い息を吐き出した。

「お主の最初で最後の頼みじゃ」

 囁いて、顔を上げ。滅多に見ないフルーレの真顔を見据えた彼は、曖昧な笑みで同意する。

「しかと聞き届けた」

 何処か哀しげなその声を聞いて、フルーレはいつものように優しく微笑んだのだった。




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