Act.15:[フール] -知らぬが仏-①



 深夜、人々が寝静まった頃に城を抜け出した一行は、予め手配されていた城下町の宿で一夜を明かした。綺麗とも汚いとも、新しいとも古いとも言えぬ建物の一室で、エニシアとカナタの欠伸が揃う。

 見上げると、時計の短針が12をさしていた。カーテンの向こう側に映る不規則な光の煌きが、まるで別世界のもののように見える。遮断しきれない光が照らす室内は暖色に染まり、夕方のそれとは一味違う雰囲気が、妙な静けさを演出していた。

「もう昼か」

「昨日夜更かししてたものー、仕方ないわよー」

 カナタの零した誰にともない呟きに返答したティスは、昼食のサンドイッチ片手にテーブルに寄りかかる。エニシアとカナタは、「気晴らしに」とシャンから差し出されたチェスに、遅くまで没頭していたのだ。未だぼんやりと虚空を眺めるエニシアを他所に、カナタは傍らに置かれた帽子の形を直しながら会話を繋げた。

「ところで、ジャッジは?」

「今お茶を入れてくれてるのー。シャンが良い茶葉をくれたのよー」

 ふーん、と気の無い相槌と共に椅子に移り、皿の上からタマゴサンドを一つ。欠伸のついでに押し込んだそれを噛み砕くカナタの向こう側。エニシアの遠い眼差しが捕らえていた、木造りの扉がゆっくりと開かれた。

「待たせたのう」

 現れたのは、両手でしっかりと銀のお盆を支えるジャッジの姿。そして彼が潜る戸を支える一本の腕。室内に居た三人の目が瞬くと同時、テーブルに到達したジャッジが思い出したように付け加えた。

「客人じゃ」

 並べられる6つのティーカップ。中央に置かれた大き目のティーポットの注ぎ口からは微かに湯気が昇っている。

「お久し振りです、エニシアさん」

 何処と無く懐かしい声に振り向くと、丁寧なお辞儀から直った小柄な少年、そして戸を支えていた腕の主が部屋に入ってきた。名を呼ばれたエニシアを含む全員が振り向き、2人を認識する。各々が自らの周囲だけに反応を示す状況下で、唯一エニシアだけが2人に言葉を投げかけた。

「…なんで君たちがここに?」

「まー、なんだ?状況が変わってね」

 掌を天井に向け肩を竦めたのは、白いシャツに茶色のスラックス、黒いマントを左手に携えたストレングスだ。隣で悲しそうに微笑むのは勿論彼のパートナーのシエルである。シエルは白いマントを片手に、いつもの学生服姿で扉の前に佇んでいた。

 カナタが場所を空け、ティスが椅子を引いたことで、2人はテーブルに移動してくる。エニシアは相変わらずベッドに腰を据えたままその様子を眺めていた。

 席に着いた3人の前に紅茶を並べ、壁際のカナタ、そしてエニシアにもティーカップを配り終えたジャッジは、自分のカップとサンドイッチを手に部屋の隅に据えられた埃くさいソファーにダイブする。

「あれからどうしたのー?戦争には行けたー?」

 早速紅茶に口を付けたティスが朗らかに問うと、シエルの口元が躊躇いがちに開かれた。

「はい、お陰さまで白魔道士として城に遣えていたのですが…」

「ですが?」

「初陣を終えて戻る途中、悲報が届いたんだ」

 カナタの鸚鵡返しをグスが受ける。シエルはこくりと頷いて、ゆっくりと詳細を告げた。

「任務中、病院に移ってもらっていたったお婆ちゃんが、亡くなったんです」

「それで帰還中の隊を抜けて病院まで行って、やることやって戻ってきたとこ」

「そうだったのー。大変だったねー?」

 いつもより低いトーン、しかしいつも通りに相槌を打ったティスは、俯く2人からエニシアに視線を流す。それを受けた彼は顔だけシエルに向き直ったかと思えば、さらりと残酷な質問を繰り出した。

「人は殺せた?」

「…はい」

「これからも続けるの?」

「…いいえ」

「ふーん、じゃあどうするの?」

「それについて、先程決着を付けてきたところです」

 小声ながらもしっかりとした返答。真剣なシエルの瞳が、エニシアのぼんやり顔をはっきりと映し出す。

「僕はもう、手を染めてしまいました。後戻りが出来ないことも重々承知しています。でも、誰の為にもならないことを、このまま続ける気にはならなくて」

 小さな間。シエルの息継ぎが静まる部屋に大きく響いたように思えた。

「だから、お婆ちゃんが望んでくれた通りに…僕の思うように、生きてみようと思っています」

 迷いの無い意思を受けて、エニシアは不思議そうに目を細める。しかしその緊張は直ぐに途切れ、代わりに小さな溜息が落ちた。シエルの口から零れたそれに続いて息を吐いたグスは、話を遮り席を立つ。

「少し休めば?後は俺が話しておくから」

「はい、ありがとうございます、グスさん」

 力ない笑顔で頷いたシエルは、促されるまま部屋を後にした。どうやら、彼等2人も同じ宿に部屋を借りたらしい。シエルの席に着きなおしたジャッジは、溜息で小さな背中を見送ったグスの横顔を見上げる。

「短い間に色々とあったみたいじゃのう」

「気を張りっぱなしだったからな。それに、これからのこともあるし…」

 どかりと椅子に座りなおし、紅茶を啜って。集まる視線を見渡したグスは、そのままの姿勢で声を出した。

「とりあえず、白魔道士を辞めさせた」

 顔の前に停止させたティーカップに自らの視線を浮かべ、彼は続ける。

「借金は残るが、なんとかなるだろ。今のあいつにはその方がいい」

「よく国が承諾したねー?」

「完全に切れた訳じゃない。国の専属から傭兵に移動しただけだ。傭兵なら、召集令に従うも背くも自由だからな」

 高い金を惜しんで製作した「戦争兵器」である白魔道士を、国が簡単に手放すとは考え難く、他にも幾らかの問題は残ってはいるようだが、グスはそれを口にしなかった。

 数秒の間。大きな息を吐き出すことで周囲からの質問を絶った彼は、ティーカップを置いて徐に身を乗り出す。

「で、本題はこっから」

 各々が泳がせていた目線をグスに戻すと、グスの視線はエニシアへと流れた。

「お前ら、アイシャを探してるんだよな?」

「探してるっていうの?これ」

「ん、もしかして多少話が進んでるのか?」

「そうなるのう。して、お主の望みは何じゃ?」

 グスはジャッジのせっつくような問いかけに頷いて、曖昧な笑みを浮かべる。

「シエルがアイシャに会いたがっている」

「ほう、なんでまた」

「それは聞くだけ野暮ってもんだろ」

 カナタの問いにそう答え、グスは大きく肩を竦めた。曖昧に誤魔化された内容を察して口を噤んだカナタの代わり、エニシアが話を軌道に戻す。

「もしかして、同行させろって言おうとしてる?」

「正解」

「また面倒なことを…」

「わしは一向に構わんがのう」

「そうよー?問題ないじゃないー?」

「そうだな、賑やかな方が楽しいし?」

「そうか、なら頼むよ」

 エニシアの意向を無視した作り笑いを残し、グスは静かに席を立った。振り向く4人。彼はまたも曖昧に微笑む。

「俺、行くトコあんだ。シエルのこと、頼んだぞ」

「えー。何処に行くのかなー?グっちゃん」

 言い捨てて部屋を出ようとするグスの行く手は、ティスによって遮られた。グスはそれこそ面倒臭そうに眉を顰めると、あからさまにティスから顔を逸らす。

「お前には関係ないだろ?」

「またまたぁ。パートナーを放っておいてまで行くところなんてー、存在しないと思うのー。私」

「心配しなくても、ちゃんと戻るさ」

 振り向いたグスの眼差しを受けて、ティスは数秒固まった。その後程なくして、グスの進路は開かれる。

 ゆっくりと開かれ、閉じられた扉。部屋の中と外、扉越しに合わせられた背中から、小さな声が聞こえてきた。

「戻るしか、ないだろ?」

 諦めたような呟きを胸に仕舞い、冷めてしまった紅茶に口を付ける。そんなティスの前に、エニシアが立った。

「何処か行くのー?」

「ちょっとね」

「ふーん、へー?」

「退いてよ」

 急かすでもなく放たれた言葉を受け入れたティスは、扉の向こうに消えゆくエニシアの背中を見据える。

そして数秒後、ティーカップをカナタに預けると、早足でそれを追いかけた。



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