Act.15:[フール] -知らぬが仏-②



 フロントと呼べるほど豪華な造りでもない小さなカウンター。来客はまばら、それでも昼食の準備や後片付けで忙しい時間帯なのだろう。呼び鈴と帳簿だけが残されたその場所は、入り口を挟んで対称的に設置された窓から注がれる光で明るさを帯びていた。

「待てよ」

 呼び止めたのは、廊下の奥から早足にロビーへ入るエニシア。

「ん?」

 呼び止められたのは、今まさに外界への扉を開こうとしているグスだった。彼は振り向きざまに、深めに被っていたマントのフードを額の位置まで持ち上げる。

 人の気配がなかったからか、それとも最初から他人の存在など気にしていないのか、エニシアは単刀直入に話を切り出した。

「あんたはどうしてカードになったんだ?」

「…そんなこと聞いてどうするんだ?」

「別に。どうもしないけど」

「じゃあ言うだけ無駄だな」

「後ろめたい事情でもあったの?」

「どうしてそう思うんだ?」

「君だけは、なにか違うから」

「違う?」

「他のカードと」

「ああ、そうだろうな」

「だから、聞けばなにか分かるかと思って」

「なにかって?」

「なにかだよ」

「そうか。でもお生憎様。話す気はない」

「話してあげたらいいのにー」

 突如話に割って入ったのは、エニシアの背後から現れたティスの声。グスはバツが悪そうに顔を顰めると、フードを目深に被りなおす。

「…またあんたか」

「また私よー?」

「そうつきまとうなよ」

「そんなつもりはないんだけどなー?」

「それならもう放っておいてくれ」

 早口での応酬は、強めに放たれたグスの台詞で一度途切れた。置いてけぼりのエニシアが漏らした小さな溜息を合図に、動き出したグスは2人に背を向け、ドアノブに手をかける。

「私が代わりに話しておいてあげようかー?」

 反省の色どころか、緊張の色すらも奪う声色が提案すると、グスの動きが一瞬制限された。エニシアの顔がティスからグスに向き直ると同時、舌打ちに似た返答が寄越される。

「…勝手にしたら?」

 台詞の語尾は荒々しく閉められた扉の音がかき消した。

 ティスはその背中を見送った後、肩と口元だけで「困った子ね」と表現したかと思えば、エニシアの腕を引いて宿の入り口を潜る。突き刺すような陽射しの下、しかしそれをそう暖かくも感じない程の気温の中。2人は光を避けるように近場の裏路地に滑り込み、壁に寄りかかった。

 埃くさい空気に混じる喧騒には、活気があるのか無いのか分からない微妙な色がある。この国の情勢を見ればそれが仕方のないことであることは理解出来る筈なのに。何処か蚊帳の外に居るような感覚に包まれるのは、2人の居る場所が表通りから離れた「裏側」だからだろうか。

 エニシアはぼんやりとそんな関係の無いことを考えながら、通りの向こうを眺めるティスの横顔を見据えていた。…と、不意に彼女の笑顔が振り向いて、こんなことを口走った。

「あの子はねー、昔悪いことをしたの」

 いつもより低い声。エニシアは近付いてくる顔から後退しながら、話の続きを聞く。

「悪いことだと知っていながらー、それを実行してしまったのー。それはわたしの理念に反する、だからあの子はわたしを避けるのよー」

 具体的なことを何一つ語ろうとしないのは、ティスなりの配慮だろう。それでも一つ、ティスに対するグスの態度の意味が明かされた。

 ティスは話の内容を飲み込んでいたエニシアの鼻先に人差し指を突き刺すと、不貞腐れたような表情を浮かべる。

「酷いと思わないー?」

「…君があいつに何か言ったからじゃないの?」

「わたしは何も言ってないのー。あの子自身が反省している事を~、わたしがとやかく言っても仕方ないでしょう?」

 腕を組み、壁に背を預けた彼女は不意に表情に影を落とし、正面の壁に向かって呟いた。

「軍人って、不自由よねー」

 唐突なそれに続く言葉はない。エニシアはグスの服装を言葉に繋ぎ合わせて質問に乗せる。

「拾った服なんじゃないの?アレ」

 初めてグスと会ったとき、シエルは確かにそう説明した。しかし、ティスは簡単に首を振る。

「グっちゃん、シエルくんにはナイショにしておきたかったのかもねー。それに、あの時は何も知らないエニーも居たわけだしー」

「ふーん…つまり、軍人だった頃のことを反省してカードになった、ってこと?」

「ちょっと、違うかな」

 エニシアが総合して判断した内容に首を傾げ、ティスは小さく肩を竦めた。

「あの子はね、ホントウは自由になりたかったのよ」

 エニシアから目を逸らし、薄笑みを浮かべたまま遠い場所にある何かを捕らえる彼女の瞳は、心なしか寂しそうにも見える。通りの明るさを側面から受ける横顔が眩しく思えて目を細めたエニシアに、ティスの顔がゆっくりと向き直った。

「誰の命令を受けることもなく、気儘に生活していたいんだと思うよー?」

「今も?」

「うんー。シエルくんと契約した時にー、与えるものの代わりに得たいものがー、自由だったからねー」

「それならなんで、あの女の命令はきいているんだ?」

「あの女って、アイシャのことー?」

「だから、他に誰がいるの?」

 呆れたようなエニシアの声に、ティスの唸りが重なる。

「グっちゃん、アイシャには反抗的なのよー。カードでいることも嫌がってる節があるしー」

「なら、辞めちゃえばいいのに」

「世の中、そう簡単にはいかないんじゃないかなー?」

「つまり、あの女が悪いって事だろ?」

「それは違うわよー?」

 あっけらかんと、しかしキッパリと断言し、ティスは真っ直ぐにエニシアの瞳を捕らえた。

「グっちゃんがあの位置にいるのには、ちゃんとした理由があるものー」

「理由?」

 訝しげに眉を歪めるエニシア。小さな間を、呼吸が埋める。

「前のストレングスのご指名があったのよ」

「前の?」

「言ったでしょうー?仲間が死ぬところを見たことがあるって」

 囁くように言って、ティスはエニシアに背を向けた。逆光が彼女の背を黒く染め上げる。

「死んでしまったストレングスがー、死ぬ間際に見出だした後継者が…今のグっちゃん」

「そんなの、理由になるの?」

「なるのー。だからこそあの子はここに居るんだものー」

「それって、どういう意味?」

「そのままの意味よー?」

 不意に振り向いた笑顔は、逆光を浴びているせいか妙に輝いて見えた。エニシアが思わず手で光を遮ると、それに合わせてティスの顔が寄って来る。

「それよりエニー?」

「何?」

 邪魔そうにティスを避け、エニシアは反対の壁に寄りかかった。ティスはそれを視線だけで追いかけると、自分を指差し小首をかしげる。

「私には聞いてくれないのー?」

「なにを?」

「どうしてカードになったのかー」

 逸れた話が元に戻ることはないだろう。そう判断したエニシアは、茶化すように笑うティスを置いて路地を出る。当たり前に追いかけてくるティスを横目に、彼は一言。

「また正義がどうとか言い出すんだろ?」

「あ、よく分かったねー?」

 何処か嬉しそうに肯定したティスは、正義の薀蓄を口にしながら、エニシアの腕を引いて宿へと戻って行くのだった。



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