Act.14:[プリエステス] -見えざる者と見える者-③



 朝日を受けた窓枠が落とす影の強さを、やわらかに靡くカーテンがの白が和らげていた。

 赤い絨毯、白い壁。金の刺繍が目立つ豪勢な一室は、この宿で一番良い部屋だ。

 部屋の中央に置かれた丸テーブルの上、鎮座する水晶玉の奥で一枚のカードが翻る。アイシャは変化に気付き顔を上げると、かけていた椅子の背もたれに腕を回して振り向いた。

「おはよう、リエ」

「おはようございます、アイシャ様」

 応えながら丁寧なお辞儀をするついでに、床に落ちたカードを拾い上げた彼女は、それを元あった場所に戻す。チェストの上に並べられた複数枚のタロットの端に、絵柄である”ネコ”が不在の一枚が加えられた。

「一週間ぶりかしら」

「ええ」

「良い夢は見られた?」

「おかげさまで」

 二つに結った桃色の髪を緩くなびかせながら、リエは柔らかい笑みを浮かべる。アイシャがつられて微笑んだところで、半ば乱暴に部屋の扉が開かれた。振り向いた二人に目を瞬かせたのは、グレーを基調とした大柄な男だ。

「リエさん、起きたんですかい」

「おはようございます、チャーリーさん。ご機嫌麗しゅう」

「麗しくはねーっすが…なんせあっしはあなたさんと違って、どうにも寝起きが悪いもんで」

「それはそれは、大変失礼致しましたわ」

 恭しくお辞儀と微笑を繰り返すリエと、大袈裟な様子で頭を掻いては苦笑いを浮かべるチャーリーと。繊細と無骨が見事に並んだ様子を慣れた風に眺めるアイシャに、リエの視線が戻される。

「ところでアイシャ様…なにか進展は御座いましたかしら?」

「あなたの予知通り、首尾良く進んでいるわ」

「それは宜しゅう御座いました」

 安心したように頷いて、リエはアイシャの正面に回る。アイシャの言う通り、彼女が「予知」を得意とすることは、他のカード達にも周知の事実だ。チャーリーも床に腰を下ろし、興味深そうに会話に耳を傾ける。

「新たな夢は?」

 アイシャが水晶に手をかざしながら問うと、リエはそっと瞳を閉じて口を開いた。

「近々、変化が訪れる事と思われますわ」

「ほう、それはもしや、ファンさんのところでは?」

「残念ながら、あのお方のところに目立った事件は起きないようです」

「そうでしょうね。革命でも起きるか、重役が死なない限りは」

「ってぇことは、ハーミーのトコですかい?」

「そちらも違います。例のお方が憔悴しきるには、もう暫く時間を要することになるでしょう」

「…んでは一体何処に?」

 アイシャとリエの顔を交互に見上げていたチャーリーは、困ったように首を傾げて固まってしまう。リエはそんな彼から目を離し、アイシャに向けて人差し指を立てた。

「一つ目は、ストレングスさんのところに」

「ストレングス…やつがナニかやらかすってんですかい?!」

 名を聞いただけで飛び上がり、今にも暴れだしそうなチャーリーを一睨みで沈めたアイシャは、様子を見守っていたリエに向き直る。

「そしてもう一つが…」

「ジャッジのところね?」

「ええ」

「まぁ、予想はしていたけど」

 溜息と共に水晶から手を離し、アイシャはチェストに向けて大きく肩を竦めた。その仕草にハッとしたチャーリーがチェストに歩み寄り、自分とリエのカード以外にもう一つ、ネコが不在のカードを手に取り力を込める。

「ってぇことは、あんにゃろう、ジャッジさんのトコへ!?」

「その通りです。やっと的中致しましたね、チャーリーさん」

「ぐぅっ…」

 ぱちぱちと、贈られる控えめな拍手を聞いてバツが悪そうに顔を顰めたチャーリーは、カードを手にしたままアイシャに詰め寄った。

「…で、どうするんです?お嬢」

「どうもしないわ」

「しかし、奴は…!」

「心配しないでいいの」

 チャーリーの手元からカードを抜き取り、表に返して表面を撫でる。アイシャのその自然とも不自然ともいえる仕草をぼんやり眺めながら、チャーリーは次の言葉を待っていた。

 アイシャは部屋の空気が通常通り静かになるのを確認して、人差し指と中指の間に挟んだカードをテーブルに乗せる。

「全ては私の思惑通りに進むのだから」

 呟いて、カードに刻まれた「The Devil」の文字に指を沿わせた彼女から溢れだすのは、得体の知れない自信だ。何処からそんなものが出てくるのか。原理すら謎な上なんの根拠も無いが、それが「嘘」であったことは一度も無い。少なくとも、リエとチャーリーはそう認識していた。

「アイシャ様には敵いませんわ」

 口をついて出たのだろう、それでも誤魔化すことなくアイシャを見据えたリエは、自分より遥かに若く見える少女が大人びた笑みを浮かべるのに改めて気付く。

「あなたのお陰でもあるのよ?リエ」

「光栄ですわ」

 当たり前のように返された反応に深々と頭を下げ、リエはゆっくりと立ち上がった。

「また祈りを捧げるんですかい?」

「ええ。そうしなければ、私は役目を果たすことが出来ませんから」

 上品ながら大きな欠伸を漏らし、チェストの前に立った彼女は、チャーリーを振り向いて曖昧な笑みを浮かべる。

「信じるものは救われるんですのよ?」

 小首を傾げるその様子は、何処か悲しげで儚く見えた。

「それが喩え、自らと相反する存在でも」

 続けた言葉に反応を求めず、リエは静かにカードの中へと戻っていった。数秒の間を置いて足を進めたチャーリーは、カードの中で祈祷を始めたリエを見てポツリと零す。

「相変わらず、不思議なお人でさぁ」

「あら、信仰は自由よ?」

「そりゃあそうでしょうが、嫌悪対象を信仰する人に出会ったのは、あの人が初めてでして」

 アイシャの返答に鼻を掻いたチャーリーは、以前リエに直接聞いた話を思い返した。

 リエはとある宗教に身を捧げており、24時間祈りを捧げた後、数百時間の眠りに付くことで近い未来を予知する…言わば「巫女」である。しかし彼女はその宗教自体を嫌っており、自分が巫女であることも良く思ってはいないようだ。

 それでも宗教を「信仰」し、巫女であり続けるリエの現状を、チャーリーは理解できずに居た。

「なにがあのお方をそこまでさせるんでしょうかね?」

「貴方は見習わなくてもいいのよ?」

「生憎そのつもりは一切ないですが…」

「それなら良いのだけれど」

 うんと一つ頷いて、水晶玉とタロットカードを片付け始めるアイシャ。チャーリーはその背中を視線で追いかける。

「ところで、お嬢」

「何かしら?」

「お嬢の願いが叶うのは、どれくらい先の事になりそうですかい?」

 呟いたチャーリーの眼差しは、リエとアイシャを重ねているかのように見えた。しかしチャーリーは勿論、アイシャが現在自分の置かれた状況に満足していないわけではないことは知っている。

 アイシャは自らの道具である男を見上げ、俄かに瞳を細めて見せた。

「さぁね。それは、私にもわからないわ」

「そうですかい」

「何か急ぐ理由でもあるの?」

「いや、そういうわけではないですが」

 気まずそうに頭を掻き、目を逸らした彼は、窓辺に映る青空を見て、小さく言葉を連ねる。

「途方もねーなぁと、思いやして」

「そうね」

 同じく窓の外を見据えたアイシャは、遠く向こうまで続く青に宣言した。

「でも、私は諦めないわ」

 真っ直ぐな言葉、そして眼差し。全てを目の当たりにしたチャーリーは、何時に無く真剣な面持ちで応える。

「お供しますぜ」

「そうして貰わなければ、困るわ」

 茶化すように言って、アイシャは部屋の戸を開く。後に続いたチャーリーが、扉を閉めるのとほぼ同時。

「あの子もね…」

 誰にも聞こえぬよう配慮された独り言は、彼女独特の自信に溢れた笑みを伴って。



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