Act.13:[ハーミット] -忘却と探求心-③


 先刻までオレンジ色に染まっていた室内に、いつしか影が落ちていた。

 青に染まりつつある手の中で、青を反射する一冊の本から顔を上げたティスは、ページに貼り付けられた写真と同じ顔を持つ人物に眼を向ける。

「確かに、わしはお主に嘘をついた」

 彼、ジャッジは目の前に佇む青い彼に嘲笑を浴びせた。それを受けたエニシアは、微かに声を荒げて彼に詰め寄る。

「死ねない身体だってこと?それともカードの化身だってこと自体嘘?」

「いいや」

「じゃあなにを…」

「落ち着けエニシア」

 エニシアの言葉を遮って、ジャッジは静かに立ち上がると、壁際に佇むティスに手を伸ばした。彼女は薄笑みを携えたまま、黙って本を差し出す。受け取ったジャッジは開かれたページに視線を落とし、口元の笑みを強めた。

「確かにわしも嘘を付いたが、この記録にも嘘がある。この国の管理機関は穴だらけだからのう」

「何言ってるの?意味が分からないよ」

「わしは確かに死刑宣告を受けた。この城の、裁判所でな」

 言いながら示されたページ。エニシアは正面からそれを眺める。本の中の少年は、心なしか哀愁を漂わせているようにも見えた。

「しかしそれは実行されなかったのじゃよ」

「どういうこと?」

「エニシア」

 名を呼ばれて視線を移したエニシアは、ジャッジがソファーに移動する様子を眼で追いかける。

「わしはお主に語ったな。今まで、わしが裁いた人々のことを」

「…聞いたけど、それが何?」

「あれは、嘘じゃ。ここを良く見てみるがよい」

 テーブルに投げ出された資料。写真の下に記された文字を読む。

 ”メビウス=ベルガモット/出身国:ディトップ/捕虜”…ディトップとは、ハイラントの現在の戦争相手のこと。つまりジャッジは、敵国の捕虜としてこの国にやって来た、ということになる。

「過去、わしは情報源としてこの国に連れてこられた。歳も歳じゃったしな。殺すのは躊躇われたのじゃろう。加えて当時のわしの身分が特殊でな、捕虜にも関わらず裁判にかけられたというわけじゃ。下されたのは、話せば助かる、話さなければ死ぬ。そんな簡単な判決じゃった」

 淡々と語られる過去を聞きながら、エニシアは思い出す。

「死刑宣告が下されたのは、判決から半年が経過した時じゃった。なにせ、わしは何も喋らんかったからのう。そうなれば、同情を寄せていた民衆も納得せざるを得ん。死刑は予定通り決行される筈じゃった」

 出会った当初、ジャッジが話した昔話を。

「分かったじゃろう?エニシアよ。裁いたのはわしではない。わしは、裁かれた側の人間だったのじゃよ」

 短い沈黙。口を開きかけたエニシアより早く、ジャッジは再度言葉を紡いだ。

「最終的にわしを裁いたのは、他の誰でもない、アイシャじゃ。わしはあやつによって牢獄から助け出され、こうしてカードとなった」

 エニシアは口から出かけた疑問を解消し、次の質問を投げかける。

「じゃあ、カードになる前は…」

「お主が見たとおりじゃよ。わしもかつては人間じゃった」

「75年前に?」

「そうじゃ」

「へー。もう90近いおじいちゃん、ってことになるんだ?」

「そうなるのう」

「ふーん…よく契約したね、あの女と」

「あやつに会って、まだ生きる価値があるかもしれんと踏んだのじゃよ」

「…他の奴等も君と一緒なんだ?」

「そうじゃ」

 微かな風がカーテンを揺らす。本当の部屋の主は、今此処には居ない。

 エニシアは会話の間、微動だにせず佇んでいたティスを振り向いた。

「君も?」

「そうよー?」

「そっか」

 いつも通り間の抜けた返答に頷く。続けて嘲笑に似た乾いた笑いが漏れた。

「そうなんだ」

 エニシアは独り言の間俯けていた顔をジャッジへと向ける。

「ねえ、ジャッジ」

 向き合った顔は、お互い無表情だった。エニシアは数秒の間を置いて、気だるげな声で問いかける。

「…あんな嘘、つく必要があった?」

「あったのじゃよ」

 ジャッジは返答し、続けて首を横に振った。

「いいや、今もまだ残ったままじゃ」

「意味が分からない」

「エニシアよ」

 ジャッジの大きな瞳がエニシアを貫く。眼を逸らすこともままならず、吸い込まれるようにしてその眼差しを見つめ返したエニシアは、ジャッジの真っ直ぐな声を聞いた。

「わしを理解しようとする前に、然るべき相手がおるじゃろうて」

「…順番って、そういうこと?」

 微笑すら浮かべぬ視線から逃れたエニシアは、脳裏に過ぎった彼女の顔、続けて浮かんだ少女の顔を振り払うように頭を振る。

「これも、あの女の陰謀か…?」

「そう、思うか?」

 ゆっくりと呟かれた問いかけに顔を上げれば、そこには今までに見たこともないようなジャッジの表情があった。

 何処となく悲しげなそれを見て、なんとなく瞳を細めたエニシアを、間延びした声が呼ぶ。

「エニー?」

 ぎこちなく振り向いた彼は、いつの間にかすぐ近くまで来ていた彼女の笑みで我に返った。

「ちょっと、外行かない?」

 返事も待たず、ティスはエニシアの腕を取る。エニシアもエニシアで、抵抗するでも拒否するでもなく、黙って彼女に引きずられて行った。

 室内に残ったジャッジも、何も言わぬまま2人を見送る。


 ティスは廊下に出ると左側に進み、城の一番端にある中途半端な螺旋階段を昇った。時折訪れる踊り場にある窓からは、微かに月明かりが漏れている。階段の途中に据えられた複数の蝋燭が、それとは対象的な光を放っていた。

「ここで待ってて~?」

 天辺に上り詰めた途端、ティスは短く言い残して目の前の扉を開いた。薄暗い踊り場に、扉の閉まる余韻が残される。

 あまり広くないその場所で、ぼんやりと宙を見つめていた時間はそう長くないだろう。エニシアがティスの再登場に引かれて振り向くと、開いた扉の先に無数の星が浮かんでいるのが見えた。

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