Act.13:[ハーミット] -忘却と探求心-②


 薄暗くじめじめしたその場所は、石壁に囲われた窓のない空間だった。

 エニシアは圧迫感のある部屋の中央で一人、「次のカード」を待っている。

 カナタとティスは端から付いて来なかったし、ジャッジもシャンも案内を終えると元の部屋へと戻っていってしまった。

 本当に尋問でもされかねない現状に、エニシアは微かに溜息を漏らす。

 粗末な木の椅子に腰を据え、古いながらに頑丈なテーブルに肘を付き、正面に鎮座する扉をぼんやりと眺めていると、何の前触れも無くそれが開かれた。

「遅くなってすまない。エニシア=レムだな?」

「そうだけど、君は?」

「私はこの城の看守だよ」

 その人物は部屋に入るや否やの問いに答え、戸を閉めたと同時にエニシアと向き合う。

「そして、ハーミットのカードの化身でもある」

 薄く微笑む彼女の紫色の瞳は何処となく鋭く、それが普段の職業柄染み付いたものだろうことが窺えた。エニシアは向かいの椅子に座るでもなく、腕を組んだ彼女に小さな溜息を浴びせる。

「カードが看守?また随分と大胆だね」

「ああ。だがしかし、私がカードであることを知るのは、契約者と仲間を除いて存在しない」

「つまり、黙ってろってこと?」

「話が早くて助かる。その代わり、貴様に協力してやろう」

「あのシャンって人と同じで、話してくれる訳じゃないんでしょ?」

「そうだな。だが…」

 言葉の途中で扉を開いたハーミットは、エニシアを振り向いてこう続けた。

「調べる術をやろう。付いてこい」

 エニシアは訝しげに眉を歪めたまま立ち上がり、黙ってそれに続く。彼女は彼を振り向きもせず、道を先導する片手間に会話を繋げた。

「カード名で呼ばれると少々困るのでな、私のことはハーミーとでも呼んでくれ」

「君のパートナーは?」

「そう急かすな。今から会わせてやる」

 ハーミーは淡々と告げると、細長い廊下を黙って進む。無機質な壁に僅かに届いていた光の色が鈍くなった頃。彼女はピタリと歩みを止めた。

 丁度建物の奥まった部分だろうか。日の当たらない木造の扉には、後付されたような形で頑丈な鍵が付けられている。ハーミーは手馴れた様子で厳つい錠を外すと、続けて扉の鍵穴に鍵を差し入れた。

 低い音が開錠を知らせたと同時、彼女はサッと扉を開く。エニシアは視線に促されるまま部屋へと足を踏み入れた。

「彼は調べものをしている。今も、その最中だよ」

「調べもの?」

「何を調べているかは、私も知らない。いくら聞いても教えてくれないのだ」

 室内はとても広い。しかし人が滞在できるスペースはそう広くないだろう。何故ならハーミーの言うとおり、そこは調べものをする為に存在するような部屋だったからだ。

 エニシアは扉の対角線上で蹲る人物を見つけると、床に散らかされた書物を避けつつ部屋の中央付近まで足を進める。彼がそこまで歩く間にも、見えてくるのは整列する本棚だけ。部屋の奥で微かに揺れるカーテンが、陽の光を受けて大体の時刻を知らせてくれている。  ハーミーはエニシアが再び足を進める前に、部屋に蹲る人物についての説明を始めた。

「彼は知ってはいけないことを知ってしまった。そのせいで終身刑…と言うことになっている」

「なっている?」

「そう、表向きはな」

「つまり、別に悪いことしたわけじゃないんだ」

「いや、罪人に変わりはない。ただ、本人の希望でな。判決をねじ曲げたんだよ」

 振り向いたエニシアに肩を竦め、彼女は曖昧に話を締めくくる。

「悪い方に」

 聞き終えたエニシアは、未だ反応を示さない男に向けて口を開きかけるが、ハーミーによって遮られてしまう。

「話しかけても無駄だぞ。聞いていないふりなのか、若しくは本当に聞こえていないのか…こちらの干渉には一切応じないからな」

 言われて頷き、再び男を見据えたエニシアは、その瞳の色を見て言葉の真意を確信した。彼は本当に、エニシアに気付いていない。あちらの世界に行ってしまって帰って来られなくなった人のように見えたのだ。

「どんな契約したの?」

「私は人の探究心と言うものに興味がある。だから奴のそれを確認するために、こうして資料室を提供しているというわけだ」

 溜息と同時、諦めて踵を返したエニシアに、何処か能天気なハーミーの声が飛ぶ。

「さて。君もああならない程度に、好きなだけ調べるといい」

「調べる…ね」

 呟いて、訝しげに周囲を見渡すエニシア。ハーミーはその様子を興味深げに観察した。

「本は苦手か?」

「苦手じゃなくても普通、これだけあれば尻込みすると思うけど」

「君は何を知りたい?」

「聞いても教えてくれないんでしょ?」

「どの本に手懸かりがあるかくらいは、教えてやろう」

「そんなこと、分かるの?」

「当たり前だ。ここの本は、私の所有物だからな。内容くらい把握している」

「全部読んだってこと?」

「そうなるな」

「なら、なんで君はそうならないの?」

 親指で背後を指差して、エニシアはハーミーの微笑に問う。

「簡単なことだよ」

 彼女は然も当然と両手を開き、エニシアが瞬くのを待って解説を始めた。

「彼には、どうしても知りたいことがある。しかし探しても探しても見つからない。それは相当なストレスになる、そうだろう?しかし、私が探しているものは、全て本に載っていたからな」

 一息に言い切って、ハーミーは肩を竦める。

「私は、ここにある全ての本の中身が知りたかった、ただそれだけのことだ」

 説明に対して溜息で理解を示したエニシアに、頷いた彼女は意気揚々と問いかけた。

「さあ、貴様は何が知りたい?」

 隠し切れぬ喜びの表情。それを見据えながら、エニシアは呟く。躊躇いがちに、ゆっくりと。しかし確かな発音で。

「…カードの正体」

 静まり返る室内。微かに響いた紙の擦れる音が、偶然にもその間を埋めた。

 ハーミーは丸くした瞳を緩やかな弓状に戻し、殺していた息を吐き出すようにして口を開く。

「成る程。…確かに、彼のやり方は少々回りくどい。貴様が苛々するのも分からなくはないしな」

 エニシアから眼を逸らし、本の並ぶ棚の一部を見据えた彼女は、決心したように彼に向き直る。

「良かろう、ではヒントをやる」

 ピクリと、エニシアの身が揺れた。それを嬉しそうに眺めながら、ハーミーは言葉を繋げる。

「南東の一番左側の棚、Fー25に置いてある367番の記録を読んでみるがいい」

 言い終えて、彼女は入り口の扉に背を預けた。エニシアはそんな彼女を横目に、口の中で番号を繰り返しながら目的の棚を探す。

 膨大な量の書籍、それでも探し終えるのにそう時間は要さなかった。

 エニシアは本棚の一番奥、壁側に位置するその場所で立ち止まり、「367」と書かれた背表紙を引き抜く。多少埃を被ったそれの裏表を確認すると、どうやら「死刑囚」の記録であることが窺えた。

 紐閉じされた簡素な資料、若干分厚い表紙をそっとめくり、何も書かれていない中表紙を送る。最初のページには、61の数字の横に人物名。白黒の写真、そして罪状や詳しい判決内容、執行日などがびっちりと記されていた。2ページ目、3ページ目。ページ毎に番号と人物は変われど、書かれていることは死刑囚の記録に変わりは無い。

 エニシアはハーミーの意図が読めず、微かに溜息を漏らす。次第に飽きてきたのか、パラパラとただ過ぎていくページをぼんやりと眺めていた。

 …と。そこに見覚えのある顔を見つける。エニシアは無意識に本を捲る指を止め、そして固まった。

 今しがた、自分が見たものの残像を追いかける。見間違いではない筈だ。いや、しかし。

 彼はまず確認する。その記録が「何時」のものかを。何故なら先ほどから眼に入ってくる数字は、彼が生まれる遥か昔の年号を示しているのだから。

「75年…前…?」

 たっぷり十数秒かけて弾き出された年数は、何度計算しても変わることはなかった。

 固まる彼を、彼の内側に潜む何者かが動かしたかのように。エニシアは書類を手に、勢い良く駆け出した。

 出口を塞いでいたハーミーは、彼の姿を見るや否や黙って道を開け渡す。エニシアは何も言わずに勢い良く飛び出すと、曖昧な記憶を頼りに廊下を進んだ。

 脳内で再生される写真。記録。数字。それを追いかけながら、目的の部屋に辿り着く。

 切れた息。彼は今一度、確認する。資料に刻まれた、その内容を。

 朧気な残像が実像となる。

 エニシアは飲み込んだ息をそのままに、力任せに扉を開いた。

「どういうこと?」

 鋭い眼差しに宿る感情はなんだろう。怒ったような声を聞いて目を瞬かせた人物は、肩を竦めると同時に嘲笑を浮かべる。

「あやつのことじゃ。こうなるであろうことは、最初から分かっておったよ」

「これも計算のうちってわけ?」

 ずかずかと歩み寄り、手にした書類を彼の目の前に叩きつけ、エニシアは静かに続けた。

「なら、説明してくれよ。どうして、死んだ筈の人間が生きているの?ジャッジ…いや、メビウス=ベルガモット」

 部屋に圧がかかる。それでも彼は、笑みを絶やさない。いつもと同じ、皮肉の笑みを。


 室内に沈黙が落ちる中。ティスが資料を拾い上げる。

 開かれたページに写る少年は、エニシアのオッドアイに映りこむ黒髪の少年と瓜二つだった。



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