Act.13:[ハーミット] -忘却と探求心-①


 2つの月が映し出される窓が、最後に開け放たれたのは何時のことだろう。カーテンの影は揺れることも無く床に落ちたまま、外をざわつかせる風の音も無視するように。

 部屋の主が、最後に外の景観に目を奪われたのは何時のことだっただろうか。地に頭をこすり付ける勢いで蹲り、一つの作業に没頭する彼の姿は、一つのオブジェのようにも見える。

「何故だ、何故だ何故だ何故だ」

 久方ぶりに言葉が落ちた室内に、続けて数冊の本が落とされた。

「何故、見つからない…」

 絶望を口にした部屋の主は、それでも諦めることが出来ずに室内を見渡す。

 理路整然と並べられた本棚に、整理が行き届いた状態で収まる大量の書籍。男は微かに埃を被ったそれらの中から、まだ目を通していないものを抜き出すと、先ほどまで読んでいた本もそのままに、床に這い蹲って探し始めた。


 本の中に並べられた文字列の中、もしかしたらあるかもしれない、自分が求めている情報を。


 黄金に輝く城の一角、城下町や城門からは死角となる位置に存在する、まるで隠されているかのようなその一室は、彼にゆかりのある場所ではない。彼は寧ろ、ある種の客人であった。

 彼が身に付ける右手と左足の枷に加えて、縞模様の服を見れば、彼が何者であるかは一目瞭然。そう、彼は囚人だ。それも厳重な監視が付けられてしまうほどの「罪」を背負っている。それでも彼がこうして牢獄ではない場所に居られるのには、1つの理由があった。

「早く見つけなければ」

 彼は呟く。室内に自分しか居ない事を確認して。

「忘れなければ」

 自らがやらなければならぬこと、そしてこの部屋に居る理由ともなる「一つの仕事」を確認するかのように。

 彼にはこの膨大な本の中から、見つけなければならないものがある。それを探すために、特別にこの部屋をあてがわれたのだから。

 一人の看守の下、最低限の生活が出来る設備や備品を提供され。日に2回の食事も流し込むようにして摂取し、僅かな睡眠時間の他全てを使って、そこに存在する書籍1冊1冊、隅々まで舐めるように目を走らせる。

 …そんな日々が、もう何年続いただろうか?

「早く忘れてしまわなければ」

 うわ言のように囁いて、血走った目を擦る。瞼の裏側に蘇った記憶の映像が、彼の脳を揺さぶった。小さな呻き声が漏れる。断続的に響いたそれが収まったのは5分後のこと、彼は自らの頭を押さえつけ、何度か床に打ち付けると、震える手で落ちた本を握りしめた。

「何処かにある筈だ…忘れる為の方法が…」

 恐怖なのか、焦りなのか、震える唇から漏れた言葉。彼は頭を振ることで自らが囚われる理由となった記憶を払い、今一度書物を凝視する。同じ事を、もう何度繰り返してきただろう。零れ落ちそうな眼球は、未だ目的の文字を見つけ出す事が出来ずに居た。



 その昔、その瞳で、彼は見てしまった。見てはいけないものを見てしまった。

 それ故に捕まり、裁かれた。だから手足を拘束されている。

「それさえ見つければ、自由になれるんだ」

 裁判で下された判決は、城に勤めるものにすら知らされぬまま、囚人である彼と「見られた」側である被害者との間で取り交わされた約束となった。この事実だけを見ても、「被害者」が特別であることを存分に示唆しているだろう。


 彼の不幸は、被害者が「貴族」であったこと。

 そして貴族の秘密を知ってしまったこと。


 彼は特別な存在の監視から逃れるため、城の看守と契約を交わした。それは彼にとってこれ以上に無いほど、好都合な取引であった。何故ならこの場所には全ての条件が揃っているのだから。


 調べる術、身を守る術、生活する術。


 代わりに自分が差し出すのは一時の自由、そしてプライバシーだ。

 看守は時折部屋を訪れては、彼が我武者羅に本に噛り付く様を眺めていた。そして日に一度だけ、質問を投げかける。彼が何を調べているのか、その訳を。

 理由は単純。忘れることこそが、貴族との約束なのだ。彼が見たこと全てをその脳内から消し去ること。勿論、嘘だとバレてしまえば後が無い。嘘を微塵も顔に出さず、貫き通すことが出来るほど、彼は器用ではなかった。だからこそ、現在こうして調べているのだ。無理難題とも言える”方法”の存在を。見つからなければ、彼はこの世から消されてしまう…それが判決という名の約束なのだから。

 彼は黙秘を続ける。それでも構わぬと言わんばかりに、看守は毎日問い続ける。返答のない問いを繰り返す事に意味があるのか分からぬものの、それこそが看守の出した条件なのだ。

 看守の目的を、彼は確信出来ずにいた。ここ数年の間、答えを示すことの無い自分自身に対しての苛立ちを、看守の表情からただの少しも垣間見ることが出来ないからだ。本当に「理由」が…貴族との約束の内容が知りたいのならば、少しは怒りを露にしても良い筈なのに。看守は、一度も声を荒げることは無かった。それどころか、嬉しそうに微笑むのだ。

 まるで彼の生き様を見守るかのような、言いようの無い優しさを持って。

「それでも…話すわけにはいかない。あのことも、そして僕が探しているものについても。…誰かに知れたら、殺される。間違いなく、殺される」

 最後の言葉は断続的に部屋に響く。小さな小さな言霊は、怯える彼を縛り付けるように渦巻いていた。


 全ては自由になるために

 全ては恐怖から逃れるために

 全ては恐怖を忘れるために

 全ては忘れるためだけに


 知りたい、知りたい、知りたい

 忘れたい、忘れたい、忘れたい


 矛盾した欲望は、果たして何処へ向かうのだろう

 大量の書籍に埋もれた宝物の中に、彼の望むものはあるのだろうか

 あるのかどうかも分からぬまま、それでも彼は探すしかない

 自分の命が尽きるのが先か、自分の命が奪われるのが先か



 見えない敵と、戦いながら。

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