Act.11:[タワー] -沈黙の崩壊-①


 深い深い森の奥に、その建物は人知れず存在していた。半分だけ切り株に埋まったボールのような姿で。惑星のように淡く輝きながら。


人知れず、とは言うものの、知る人は僅かながら存在する。彼らはこの建物を「天文台」と呼んでいた。

天文台の内部は天井がドーム型、室内はすり鉢状の段差になっている。部屋の最下層であり、中央を陣取るのは巨大な望遠鏡だ。球体と大きな筒が組み合わさったものに複雑な装飾が施された、飴色の高価な代物である。

それを使うのは学者ではなく、天文台の管理人だ。彼はここに住み、日々空を仰いでは、目を付けた光の動きを把握して、模造紙に記録する、そんな生活を送っていた。

 壁の殆どを埋め尽くす本棚には天文関連の本は勿論、管理人の記録の全ても収まっている。それでもまだ、知らない星は山ほどあった。彼が一生かけても全てを観察するのは無理だろう。

 それでも構わない。いや、そうでなくては困ってしまう。こんな人里離れた場所でひっそり暮らしていくには、暇つぶしの一つでもないと退屈で死んでしまうから。


 つまるところこの建物は、星を観察する為に建てられたモノではない。切り株を守る為に、後付で天文台に仕立て上げられただけなのだ。

 管理人である彼は、切り株を守り続けることに生を費やしている。その暇つぶしとして、天体観測をしているに過ぎない。


こんな高価な望遠鏡を暇つぶしに使うなんて。そして一生を暇つぶしで過ごすだなんて。傍から見れば羨ましいと言われるのだろうか?それとも惨めに思われるのだろうか?



 カタン。

 レンズ越しに星を眺めながら遠く彼方に意識を飛ばしていた男は、小さな物音で現実に帰還した。

 然して驚くわけでもなく、ゆっくりと振り向く彼の目に映るのは、いつもと変わらぬ光景だ。

「ありがとう。頂くとするよ」

 段差の上、控えめに置かれたティーカップから湯気が昇る。微かにダージリンの香りが漂っていた。

 カップを置いた人物は、既に定位置に戻って紅茶に息を吹きかけている。男はアイコンタクトで礼を述べると、カップと交代でその場に腰を据えた。

 静かな空間に、食器の立てる音だけが小さく小さく響いている。落とした白が渦を巻き、紅茶を淡いベージュに染め上げていく様を見つめながら、男は小声で呟いた。

「まだ、諦めてはいないのかい?」

 それは部屋の隅の小さな影に向けられた言葉。返答はいつもと同じタイミングで、いつも通りに返された。

 彼はまだ諦めていない。男がこの場所を諦めることを。

「そうか。しかし何時まで待っても変わらないと思うぞ」

 呆れているのか、溜息のように答えた男に向けられた相槌も相変わらずのもので。

「分かっていながら、待つというのか」

 続く呟きにも首肯を返され、曖昧な笑顔を紅茶の上に浮かべた男は、心なしか嬉しそうに言った。

「君の使命とやらも、なかなかに残酷だな」

 皮肉を受けて再度頷いた人物は、男の思考回路をのぞき見るように眼鏡を押し上げる。

「お互いに、分かっていながら変えられないとは…どんな因果かね」

 男が切り株の管理人になったのは、先代の管理人が望んだから。

 この場所を後世に残したい。この国にも生き残った者がいたと、敵国へのせめてもの抵抗として。

男は、その気持ちを汲んだ。しかし同意も反対意見も持っていない。

 ただ、先代が唯一自分の事を理解してくれたから。自分も先代の意向を理解して、使命を真っ当しようと思った。

 正直なところ、天体観測もそう好きではない。嫌いかと問われればそうではないと答えるが、暇でなければ進んでやることはしないだろう。それに、この場所がもう、国の人々に忘れられてしまっていることも、この国の人々が必要としていないことも、男はよく知っている。時代が変わってしまったのだ。天文台を綺麗に管理し、残したところで、誰も喜ばない。感謝もしない。気付きすらしない。

 それでも男は先代を裏切れなかった。もうこの世には居ないと分かっているからこそ。本人を説得することも叶わず、自分自身を説き伏せることも出来ず。そのままずるずる十年以上、星を眺め続ける男の背中を、彼は毎日否定している。何故なら男には、他にやりたいことがあるのだから。



 それでも意思は変わらない。

 いや、変えられないのだ。


 そこに居る彼が意思を曲げず、説得を続けるのと同じに。

 ここに居続ける私は、飽きもせず星を眺め続けなければいけないのだ。



 この、望遠鏡と一緒に。




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