Act.11:[タワー] -沈黙の崩壊-②


 澄んでいるようで、薄っすらと霞んだ空気の色。その向こう側に浮かぶ空白の中央に、目的の建物は存在していた。

 密集した木々の隙間から見える景色は蜃気楼のように歪んで見えたが、近付いて行けば確かに実体がある。眠気のせいか、朝靄のせいか、四人はそんな錯覚の中にいた。

 吐き出した白い息を追って建物を見上げたエニシアは、その遥か向こうに垣間見えた空の明るさに眼を細めることになる。周囲にはこんなにも木が生い茂っているというのに、その狭い空間からは空が見えるのだ。まるで、屋根から波動砲でも打ち出したかのように。

「まだ起きてるかな?」

「天体観測してるんだよねー?ギリギリセーフ、ってところじゃな~い?」

 前方で入り口に向かう2人の会話を他所に、周囲を訝しげな顔で眺め続けるエニシアの背を、ジャッジの小さな手が押した。つられて一歩踏み出した彼は、そのまま渋々前進を開始する。

 トントン、小さくノックの音が響く。カナタが馴れた様子で丸窓を覗き込むと、数十秒遅れで内部から返答が返ってきた。

「おや、あなたでしたか」

「久しぶり、シモーネ」

「ご無沙汰しております。……そちらは?」

 カナタがシモーネと呼んだ男は、ボサボサの頭を心なしか整えながら、半端に開いた扉の向こう側からエニシア達を見据える。

「実は、迷子になって報告が遅れたんだけど…まぁ、早い話が客が来るから宜しくってことを伝えに来たわけだ」

「それが彼等、というわけですか」

 説明に一つ頷いたシモーネは、室内に目線を移してなにかしら確認したかと思うと、もう一度首を縦に振って扉を全開にした。

「どうぞ。少し、散らかっていますが」


 そうして無事辿り着いた目的地。

 散々歩き続けて疲れ切った足を休めながら、配布された紅茶に口を付ける。確かに少し散らかってはいたし、変わった間取りではあったが、数人が腰を据えるには十分な広さがあった。

「悪いな、ター。報告と同時んなっちまって」

 望遠鏡を見上げていたカナタが首を回しながら呟くと、ターと呼ばれた人物は小さく首を振る。

 先の話からして彼こそが「タワーのカードの化身」なのだろうと解釈したエニシアは、シモーネとターをぼんやりと観察していた。

 冴えない顔で紅茶にミルクを落とす中年の男、先ほどから一言も口をきかず、黙ってカップを傾けるだけの年端も行かない少年。2人の接点を何処にも見出せぬまま。

 そんな中、エニシアは眼の端で捕らえたカナタの不思議な動きに意識を持っていかれる。彼はターという少年を見据えたまま、声にならない声を彼に浴びせているのだ。自分の耳がおかしくなったわけでは無いことは、ジャッジを挟んで隣に座るティスのおしゃべりが証明してくれている。と、いうことは…

「奴は耳が聞こえんのじゃよ」

 突如飛んできた解答に首を回すと、不敵な笑みを浮かべたジャッジが小さく肩を竦めた所だった。エニシアは溜息で頷いて、もう一度顔を動かす。と、目的の人物と視線がぶつかった。

「アイシャがターにコンタクトを取れない理由は分かったか?エニシア」

 鋭い眼差しを受けながら、エニシアはカナタの声に頷いてみせる。つまり、耳が聞こえない彼にはアイシャの声すらも届かないということなのだろう。魔法が万能でないことは、魔道士でないエニシア自身も理解はしていた。

「内緒話は終わったの~?」

「まぁ、ああ。そうだな」

 ティスの率直な質問を誤魔化しながら、カナタはエニシアを見据え。

「話、あるみたいだぜ?」

 そう言って手を動かし始めたターを指差した。ターはスケッチブックに羽根ペンを滑らせる間も、睨み付けるようにエニシアを見詰めたまま。それに怯むでも臆するでもなく、やる気の無いガンを飛ばし続けるエニシアは、数分後に理解することになる。



 森の中で聞いた、ジャッジの台詞の意味を。



<あなたにどうしてもお聞きしたいことがあります>

 ターの文章は、綺麗な文字列でそう切り出されていた。続けて掲げられた用紙に目を走らせたエニシアは、小さな間を持って返答する。

「ないよ」

<あなたは、人を理解しようとしたことがありますか?>

 ターの文章はこう続いていた。答えを聞いた彼は、その下に一行書き足して再びエニシアに提示した。

<では、人に理解されたことはありますか?>

「…一度だけ」

 微かに変化した空気。他のメンバーは沈黙を保ったまま、ターがペンを滑らせる様子を見守っている。ターは、先ほどよりも鋭い眼差しをエニシアに向けた後、ゆっくりと、胸元にスケッチブックを立てた。

<あなたは、その人のことを理解しようとしなかったんですか?それとも、しようとせずとも理解できましたか?>

「いいや」

 声の出せないターの代わりに、スケッチブックが地面と接触することで音を出す。立ち上がった彼は、取り落としてしまったそれを拾い上げて再びペンを走らせた。

<あなたは、その人を否定しますか?>

「わからない」

<何故分からないままにしておくんですか?>

「…何故?それなら何故君は、そんなに必死なんだ?」

<その人はあなたの大切な人ではないんですか?>

「…大事な人ではあるよ」

<大事な人を否定するでも肯定するでもなく放っておくことに、罪悪感はないんですか?>

「今更だからね」

 鼻で笑い飛ばすようにして、エニシアは沈黙の中に言葉を落とす。

「もう、この世にはいないから」

 静まり返る室内に、響くのはペンが滑る独特な音。そして、息を殺すような微かな吐息。

<死んでしまった人なら、放っておいても構わないということですか?>

「そういうこと」

「それは違うんじゃな~い?エニー」

「そうじゃな。お主は迷っておる」

「君たちになにが分かるんだよ」

 割り込んだ茶々に苛立つエニシアの殺気。その中でターは音も立てずに腰を下ろすと、素早く文章を提示した。まるで落ち着けとでも言わんばかりに。

<あなたは誰にも理解されなくてもいいと思っていますね?>

「そうだね」

<理解した上での否定と、理解しないままでの否定は大きく意味が違うということを、知っていますか?>

 先ほどまで続いていた即答が途切れる。それを受けて、ターは言葉を書き足した。

<普通、人は理解されたがる>

「でも僕は違うよ」

「理解されるまでの過程が面倒だから、ですか?」

 割り込んだのは、今まで大人しく紅茶を啜っていたシモーネだ。

「その上、自分の意見に否定的な結論を見いだす人間が大半だから」

 振り向いたエニシアの視線を迎え入れた彼は、更に持論を繋げる。

「それでも理解しようと踏み込んでくる人間が居たとして。今のあなたはそれを拒絶しようとしている。しかし過去に理解してくれた人間が居たということは、その人の干渉は許したということでしょう?」

「何?」

「あなたは、私と似ているんですよ。昔のね」

 遥か遠い昔のことを思い出すかのように、細めた瞳を天窓に向けたシモーネは、訝しげな顔のエニシアに穏やかな声を返した。

「一度でも心を許した人間が他に居るならば、もう一度くらい心を開いてみてもいいのではないですか?」

 そうして自らの唇を読むターを見据え、小さく肩を竦めて見せる。

「例え私達に話したとしても、きっと然して変わりませんよ」

「変わらないなら、尚更話す必要なんてないんじゃない?」

「変わらないのは~、表面上での話ー」

「言ったじゃろうて。進む為には、考えねばならんと。考え、伝え、もう一度考え。その繰り返しじゃよ、エニシア」

「どの道、話すまでは帰してくれそうにないぞ?」

 ティス、ジャッジ、カナタと続いた説得はエニシアの眉を歪ませた。三人はトドメをさすであろう人物を振り向いて示す。

<あなたの理解者の名前は?>

 その場の空気に、説得に、そして解答者の意思を無視して会話を押し進めるターの、無言の圧力に押し負けたのか。

 エニシアは、搾り出すようにその名を告げた。


「……フルーレ」

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