Act.10:[スター]-導きの星-③


 風の音がする。連なる足音も、確かに聞こえている。

 視界が奪われると聴力が研ぎ澄まされる事実を理解しながら、その音すら頭に入ってこない。何故なら今エニシアは、思考を止めてはいけない義務感に駆られて、必死で頭を働かせているから。

 一時間程彼の進行補佐をしていたティスが、引っ張られる感覚に任せて彼を振り向いた。

「契約が切れたら、不老不死の呪いも解ける?」

 唐突な質問に、前を行く三人の瞳が闇の中で丸くなる。それに気付くことも出来ぬまま、エニシアは瞬きで間を繋いだ。

「どーかなぁ…」

「ここまで来て濁すんだ?」

「違うのよ、エニー。ただね、分からないのー」

「分からない?」

「今までにー、契約を切ろうとした前例がないってことー」

 困ったように呟かれたティスの言葉に、エニシアは暫しの間を持って返答した。

「だったら、今この場で試してみたら?」

「無理じゃな」

「なんで?」

 エニシアはジャッジの即答に気の無い声を向ける。声に含まれなかった苛立ちが空気中に拡散されたかのように、辺りには微かな緊張が生まれた。それでもジャッジはいつものように曖昧な答えを示す。

「お主がなにも分かっておらんからじゃ」

「教えてもくれないんだ。分かるわけがないじゃないか」

「何故、前例がないか考えてはみたか?」

「あの女に止められてるとか、そういうことなんじゃないの?」

「いや、違う」

 断言の後に残った小さな間を溜息で繋いで、ジャッジは一息に言葉を紡いだ。

「通常、契約は合意の上で行われると言ったであろう。合意した上で契約を切ろうとする者がおらんかっただけじゃよ。前例がない以上、契約を破棄した時に起こるリスクを考慮して「無理だ」と結論付けたまでの話じゃ」

「…どうして僕だけ、特別扱いなんだ?」

「そのうちに分かるじゃろうて」

「またそれ?勿体振るのもいい加減にしたら?」

「勿体振っておるわけではない」

 ジャッジの苛立ちが、エニシアのイライラを押し返さんばかりに溢れ出す。それは2人の間を歩くティスとカナタの肌を撫で、エニシアの手前で撹拌した。直後、ジャッジの声が諭すように響く。

「物事には順序があるのじゃよ。エニシア」

「それ、君が勝手に作った順序じゃなくて?」

「文句ばかり宣っても先には進めぬと言うておるのじゃ」

 エニシアの頭の中は木々に行く手を阻まれた現状そっくりそのままだ。図星を食らって口は閉ざしたものの、溜息で抵抗を見せる彼に気付き、ジャッジは小さく鼻を鳴らした。

「不服そうじゃのう」

「だったら、願ってみる?」

 歩調を緩めつつ会話に割り込んだカナタが、エニシアの冷たい視線を受けて微笑を浮かべる。

「無駄だよ。そんなの」

 エニシアはカナタに色の無い返事を浴びせると、諦めたように自らの疑問を吐いた。

「願ったところで叶うわけもないのに。そんなことしてどうするの?」

「叶うわけない、か。それは最初から諦めてる証拠?それとも神頼みはしないタチってことか?」

「どっちもだよ」

「叶うような願いじゃないのか。あんたの願いは」

「簡単にできることの筈なんだよ。本来なら、ね」

「そう嘆くでない。エニシアよ」

 出会ってからもう何度目になるか。強行突破を失敗して振り出しに戻されたエニシアを、ジャッジがなあなあに宥める。その背中を追いかけながら、カナタは二人の関係性をゆっくりと解釈し、数秒後には満足そうに頷いた。

「ふーん、成る程。なんか、分かった気がする」

「何が?」

「エニシアって、掴めないんだよな。他力本願かと思えば、実はそうでもないし。面白いかなって」

「なに言ってるの?君」

「んー?暇だからさ。見物でもしてやろうかと思って」

 ぼんやりと放たれた冗談だか本気だか判別の付かない発言に対し、エニシアの放つ空気があからさまに変化した。

「そんなに嫌そうにしなくても~」

 察知したティスが朗らかに笑うと、ジャッジも珍しくフォローに回る。

「カナタはそう厄介なカードではないぞ。今までお主が顔を会わせた中でもいちにを争う程まともな奴じゃ」

「どうだか」

「あ」

 短くも、透き通った声は3人の会話を見事に中断させた。

「やっと見えた」

 そう言って、微かに届いた星の光を指したカナタに視線が集まる。彼は遠く垣間見える星空を数秒間凝視すると、次に左方向を指し示した。

「ここから西に30分くらいの位置。あっちか」

 言い終えるが早いか、方向転換した彼の背に続くジャッジが能天気な声を出す。

「星のカードの化身だけに、便利だしのう」

「これで迷子にならなくて良くなるわねー」

「そんな高いのか?迷子率」

「知らないよ。僕は行き先を知らないことの方が多いんだから」

 怒っているのか呆れているのか、どちらとも付かぬエニシアに、ジャッジとティスの適当過ぎる言い訳が続いた。

「こうも小柄じゃとな、道の先がよう見えんのじゃよ」

「勘で進めば何時かは辿り着くかなーって?」

「成る程な」

 静かな空気に馴染む苦笑を上げたカナタは、隣に感じる気配に向けて手を伸ばす。

「苦労してるんだ。あんたも」

「知ったような事言わないで欲しいんだけど」

 勘で叩いた背中の感触を確認しながら、返ってきた素っ気無い返事に頷く彼は、未だ微笑を携えたままだ。

「まぁ、あんたが俺に「願わない」でいてくれるように、俺もあんたの邪魔にならないよう気をつけることにするよ」

 頭の後ろで手を組んで、次に来る反応を窺うカナタ。そんな彼に気付かれぬよう、小さく溜息を漏らしたエニシア。

「既に邪魔だと言いた気だな」

 鼻で言って、カナタは振り向いたエニシアの瞳を覗き込む。

「でもな、あんたがどう思おうと。最終的に選択するのは俺だから」

 闇の中に浮かぶ色違いの眼差しは、微かに歪んだようにも見えた。

「あんたも自由に選択したらいい。全てをジャッジのせいにするだけじゃなくてさ」

 カナタはそう締めくくり、ジャッジに代わって先頭に立つ。

「残り30分、せいぜい考えておくのじゃな」

 入れ代わりに横に並んだジャッジを見下ろして、エニシアは無言の反論を示す。

「次に会うカードは、カナタのように甘くはないぞ」

 対してジャッジは不敵に微笑み、金色の眼差しに様々な思いを込めて。

「覚悟を決めておけ、というておるのじゃ。エニシアよ」

 殊更低い声で言い放った。




彼らは未だ、真っ暗な森、道なき道を進む。

星に導かれ向かう先で、答えを呼び起こさんと。



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