Act.8:[ムーン] -新月の晩に-①
ストレングス、シエルの二人と別れて3日後の昼間。
ジャッジ達3人は森の中を進んでいた。勿論、そこが「野獣」と称される実験体崩れの住処であることは物心付いた頃から承知している。
「面倒だな。関所ってやつは」
「一々身分確認なんぞ受けていては一向に先に進めぬわ」
「それなら野獣の相手でもしていたほうがマシよね~?」
会話の通り、城に近づくに連れて増える小さな関所を避ける為の苦肉の策というわけだ。
最後尾で欠伸を漏らしたジャッジの前方、やる気の欠片も無いエニシアの剣が、ウサギに似た鳥型野獣の足を傷つける。覇気が薄いとはいえ、その程度のことは造作もないのだろう。痛みで暴れる野獣からバックステップで遠ざかったエニシアに代わって、ティスの刃が牙を剥く。こちらはこちらで気の削がれるような声を出しながらも、切っ先はしっかりと得物の喉笛を切り裂いた。
辺りにどす黒い鮮血が降り注ぎ、荒々しい地面を醜く染め上げる。3人はそれを迂回して先へと足を進めた。
「のうエニシア。一つ質問させて貰うぞ?」
「なに?」
早足で隣に並んだジャッジを、エニシアの気だるげな瞳が見下ろす。ジャッジはそれを見上げることをせず、前を向いたまま言葉を続けた。
「お主、殺しが好きな割には野獣との戦闘にやる気が見られんのう。何故じゃ?」
「さぁ。相手が人じゃないからじゃない?」
「殺生に変わりはないじゃろうて。それでもお主にやる気が起こらん理由に心当たりがあるのじゃが…」
「回りくどいよ。ジャッジ」
「では単刀直入に言うてやろう」
溜息で先を促すエニシアに頷いて、ジャッジは数日越しに話を穿り返す。
「野獣との戦いにやる気がないのはお主が言っておったように、人が嫌いだからじゃ」
「そうかもね」
「しかしそうなるとまた、疑問が出てくる。お主は最初に言ったな。ただの趣味だと」
わざわざ胸の前で腕を組み、小首を傾げる仕草までして、ジャッジはエニシアの顎を見上げた。
「嫌いだから殺すという明確な理由がありながら、人を殺すのが好きだと言い張るのは何故じゃ?」
「それって屁理屈?嫌いだから殺すってことは、嫌いな物を殺すのが好きってことにならない?」
「確かに、一理ある。しかしのう…」
ぶつかった青と金の眼差し。2人の細くなった瞳を見守るティスが、道を塞いだ大熊と対戦を始めた。
ジャッジから逃げるように駆け出したエニシアが、ティスを盾にして熊の腕を落とすと、緑色の体液が勢い良く噴出する。
「お主、逃げてはおらんか?」
声を大にして問うジャッジ。その間にもティスのサーベルが熊の心臓を貫いた。
「自らの過去から」
熊が倒れた振動音、その余韻に被せるように響いたジャッジの声に、エニシアの背中が返答する。
「逃げてなんかないよ」
「本当に?」
そのまま歩き始めたエニシアの腕に巻きついて、ティスが明るく首を傾けた。
「それなら話してみせよ。わしらに、お主の内側を」
逆側をジャッジに陣取られ、何時ぞやと同じく逃げられない体勢に陥ったエニシアは、諦めたように顔を覆って一言。
「思い出したくない」
「何故思い出したくないんじゃ?」
「思い出したらさ」
ジャッジの質問の合間、顔を覆った右手がゆっくりと下ろされると。
「斬りたくなるんだ」
エニシアの声から、眼差しから、黒く淀んだ空気が放出された。
「死ねなくても、死ななくても、死んでても」
彼は未だ前方を見据えたまま、しかし最後の言葉を吐き出す手前、瞳だけが自らを見上げるジャッジを捕らえた。
「周りに人間が居なくなるまで」
「それがお主の本性か」
嘲笑とも苦笑とも取れる歪んだ笑みが、エニシアの本心を受け入れる。エニシアは数秒後に殺気を収めると、溜息と同時に何時もの覇気の無さを取り戻した。
「だけどそんな疲れること、何時までもやってられないだろう?」
「だから思い出さないようにしたの~?」
「そうまでして押し込めねばならぬ感情とはなんじゃ?エニシア」
「貴方の過去になにがあったのー?」
「君達さ」
質問攻めの最中ピタリと立ち止まり、腰に下げた剣に手を掛けたエニシアは問いかける。
「死にたいの?」
戻りかけた闇をかわすように、肩を竦めた2人はエニシアの腕を引いて進行を再開した。
「それなら代わりに教えてはくれんか」
ジャッジは舌打ちと共に従うエニシアに微笑を注ぎ、再び彼が振り向くと同時に台詞を繋げる。
「お主がここに来るまでに気付いたこと」
「そして~、これからどうするべきか」
「言ったところで、答えてくれるわけじゃないんだろ?」」
「その見解が正しいか、正しくないかくらいは答えてやろう」
いつもと違う流れに眉を顰めたエニシアは、訝しげながらも最初の見解を口にした。
「君達、僕を仲間に引き合わせてるんだろ?」
「是」
「何故そんなことをする」
「どうしてだと思うー?」
「僕を改心させる為?」
「非」
「……僕がどうなるか見届けたいって言ってたけど」
「是」
「それと、僕を仲間に会わせるのは関係ある?」
「是」
「その「仲間」の中に、あの女も数えられているのか?」
「是」
「……黙って付き合えってことか」
「そうじゃのう」
思わず舌を打ったエニシアではあるが、逆を言えばこのまま言いなりになってさえいれば、アイシャに辿り着く事になる。気を取り直してジャッジを見下ろしたエニシアは、更なる疑問を投げかけた。
「君達カードは、知識を共有出来たりするわけ?」
「非」
「それならどうして、初対面の奴等が僕の名を知っているんだ?」
問いに対して「ふむ」と一言置いたジャッジに、逆隣からティスの柔らかな声が助言する。
「気付いたのなら、教えてあげてもいいんじゃない~?」
「そうじゃのう」
同じ事を考えていたのか、すぐさま頷いたジャッジはエニシアを見上げて言い切った。
「わし等カードはアイシャと繋がっておる」
「どうやって?」
「アイシャが道を繋げる事で、お互いの距離を無視して会話が可能となるのじゃよ」
「君も会話した?僕と会ってから」
「是」
「……何故僕の過去を詮索するんだ?」
アイシャに読み取られた筈のそれを、わざわざ面倒くさい方法で調べるジャッジ。そこに何の意味があるというのか。
エニシアが理由を知るにはまだ時期が早すぎる。彼はまだ知らないことの方が多いのだから。それはそう、ジャッジがわざと遠回りさせているからに他ならないのだが。
ジャッジは答えを言わぬままエニシアを見据え続ける。諦めて前を向いたエニシアは、呆れたように小さく呟いた。
「どうでもいいんだろう?理由なんて」
「言ったでしょう?聞いてみないと分からないから、聞くの」
いつに無く低いティスの声。エニシアは彼女を振り向くと同時に問いかける。
「聞いてどうするんだよ」
「判断するのじゃよ」
逆側から飛んできた返答に振り向いて、エニシアは眉根にシワを寄せた。
「なんのために?」
「お主の為に」
「意味が分からない」
「分からぬ上で、お主はどうするのじゃ?」
またしても思考から逃げようとするエニシアを繋ぎとめるように、ジャッジは眼光を研ぎ澄ます。
「どうって?」
「道を開く為に自らと向き合うか?」
「それとも、何も考えないまま長生きしてみる?」
2人の鋭い視線に挟まれたエニシアは、頭を抱える代わりに俯いて歯を食いしばる。何故自分が考えることを嫌うのか、その理由も分かっているはずなのに。
「まぁ良い。時間はまだまだあるからのう」
「ゆっくり悩むのもいいわよね~?」
そう言ってエニシアを解放した2人は、彼を置いて先へと進む。
「最後に聞かせてくれよ」
エニシアはその背中を声だけで追いかけた。振り向いた2人が2度瞬きするのを待って、彼は静かに問いかける。
「僕が死ねる確率はどれくらい?」
彼の眼差しは薄い殺気を纏う、何処か悲しげな色を持っていた。ジャッジとティスはその色に気付かなかったふりをして、前方に向き直る。
「五分五分じゃのう」
「そうね~?今の所は」
頷きあいながらそんな返答をする2人の背中。エニシアは仕方なしに後を追う。
「やっぱり、意味が分からない」
思考を止める事を許されず。
最初から変わらぬ意思を持って。
方法を理解しながら先へと進めぬまま。
苦悩すら何処かへ押しやって。
彼は歩く。
ただ自らの死を求めて。
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