Act.8:[ムーン] -新月の晩に-②


 行く宛もなく彷徨っている訳ではないという事は理解した。しかし彼には何時まで経っても知らされることはない。これから出逢うヒトのことも、これから向かう先のことも。


「そのくらい、教えてくれたっていいじゃないか」

 小さく愚痴を零したエニシアは、現在宿屋のベッドの上に腰を据えている。その向かいで荷物を整理していたジャッジは、手を止めぬまま答えた。

「教えても構わんのじゃがのう」

「じゃあ教えてよ。次はどんな奴?何処にいるんだ」

「それをわしの口から言ってしまっては、味気がないじゃろう?エニシアよ」

「会ってからのお楽しみってやつね~?」

 備え付けの小さなテーブルで紅茶を楽しんでいたティスが話を締めくくると、エニシアの口から小さな溜息が漏れる。彼はベットの上に片っ端から荷物を開け広げるジャッジから目を逸らし、窓の外を見据えた。

 陽はとうに落ちており、部屋から見えるのは宿の裏手に広がる森の一部だけ。

 街道から離れた場所にひっそりと存在するこの村は、深夜0時という時間帯だけに既に寝静まっているらしく、部屋の外からは物音一つ聞こえない。尤も、こんな辺鄙な村に立ち寄る旅人は少なく、小さな宿屋に宿泊しているのも彼等3人だけなのだから、仕方の無いことではあるのだが。

 季節を感じ難いハイラントでも、この時期になると流石に冷える。それを証拠に、部屋に入るやいなや暖炉に火が灯され、その光は未だ失われていない。ジャッジが荷物を整理する片手間、「寒い」と言いながら薪をくべ続けているのだ。

 お陰で暑がりなエニシアは、着ていたシャツを脱ぎ捨てて腕まくりをするはめになった訳だが。ジャッジはお構い無しに彼の上着を拝借すると、些か大きすぎるそれを肩にかけて身震いしたのだった。

 そうしてエニシアが何をするわけでもなくぼんやり宙を眺めていると、紅茶を飲み終えたティスがゆっくりと立ち上がる。

「ちょっとお風呂行って来るね~?」

 暖炉の熱を利用して裏側で湯でも沸かしていたのか。ティスは着替えとタオルを手にバスルームの扉に手を掛けた。

「こんな時間に?」

「うん~」

 エニシアの呆れた問いかけに振り向いて、ティスは窓の外を指し示す。

「今日は月が綺麗だから」

 ふんわりと告げて、彼女はそっと扉に吸い込まれた。ふーん、と。気の無い返事と共に窓を開こうとするエニシアを、ジャッジが必死で止めに掛かる。根負けしたエニシアはそのまま座り込み、窓を背に目一杯上を向くと、微かに見える空にある筈の月を探した。

 この時期は2色あるうちの1つしか見えないだろうと高を括っていたエニシアが、並んだ2つの月を捕らえた時。

 不意に、部屋の入り口が開かれた。

 開かれたと言っても勢いは無く、丁度人一人が通り抜けられるくらいの隙間が出来た程度。不審そうに顔を顰めたエニシアの次に、異変に気付いたジャッジが首を回すと、見知らぬ人物が半分だけ顔を覗かせた。

「こんばんは」

 か細い声で呟いた彼は、ジャッジが口角を上げるのを待ってから部屋の中へと入ってくる。

「着きおったか」

「お久しぶりです。ジャッジさん」

 トランクを閉めて体ごと向き直ったジャッジに一礼したのは、真っ黒な髪に大きな丸眼鏡を装着した気弱そうな青年だ。彼はやはり蚊が鳴くような小声で挨拶を終えると、閉めた扉の前で俯き気味に立ち止まる。

「誰?」

「ムーンじゃ。近くに居ると言うんでのう。寄って貰ったんじゃよ」

 エニシアの訝しげな問いにジャッジが軽く答えるのを待って、ムーンはエニシアに向けて大袈裟すぎるほど頭を下げた。

「はじめましてエニシアさん。夜分遅くに失礼します」

「ほんと、もう寝ようと思ってたのに」

「す、すみません」

 溜息のように吐き出された皮肉にこれでもかと縮こまるムーン。その反応を見てエニシアは目を丸くする。

「これエニシア」

 ひょいっとベットから降りて、ジャッジは未だ床に座り込むエニシアの頭を小突いた。

「正直、先の例から言ってそんなに萎縮されるとは思わなかった」

「仕方が無かろう。今は新月じゃ」

「は?」

 適当な言い訳に返された言い訳。エニシアは意味を理解し兼ねて空を仰ぐ。そこにはやはり、煌々と輝く2つの月が丸に近い形で並んでいた。

 消化不良のエニシアが首を捻り続ける間、ジャッジは立ち尽くすムーンを椅子に座らせようと試みるが、彼は滅相も無いと断り続ける。最終的にムーンが折れて着席するまで、実に10分を要した。それでもジャッジは満足気にベッドに戻る。

「で。新月ってどういう意味?」

「そのままの意味じゃよ」

「じゃあ僕の目がおかしいの?あそこにちゃんと見えるけど」

 エニシアが空を指差すと、ジャッジはふっと微笑んでムーンに視線を流した。

「あの…」

「あームゥちゃん久しぶりー」

 ムーンの言葉を遮ったティスが、バスルームからひらひらと手を振ってみせる。彼女を振り向いた3人は、それぞれの反応でそれに答えた。何時もの事だと特別反応することもないジャッジと、関心どころか邪魔されたことに溜息を漏らすエニシアと。

「わ!ティスさんもいらっしゃったんですか?!」

 顔を真っ赤にして慌てながら、俯きそっぽを向くムーンと。

「そんな慌てなくてもいいじゃないー。みんなして酷いなぁー」

「その格好じゃ無理もないと思うがのう。服くらい着てきたらどうじゃ?」

 ティスがムーンの反応に膨れて見せると、ジャッジが問題を指摘する。バスタオル1枚でその場に佇んでいたティスは、悪びれる様子も無くバスルームに戻っていった。

「みんな…?」

「ココに来る前にグスに会ってきたのじゃよ」

「ああ、成る程…」

 2人の関係性を知っているのであろう。補足を聞いただけで納得を示すムーンの声は、相変わらず小さいままだ。しかし不思議と聞き取ることが出来るのは、周囲が静かなせいだろうか?どちらにしても、彼が普段からあの声量で会話を行っているのだろうことを、エニシアはなんとなく察した。

「あの…?」

「どうしたムーン」

 ムーンはきょろきょろと周囲を見渡しながら、4つあるベットを視線で数える。わざわざ数えずとも分かる数あわせを終えた彼は、小首を傾げるジャッジに向けて恐る恐る問いかけた。

「彼女もこの部屋で…?」

「そうなるのう」

「節約しないと、またファンのとこ行かないといけなくなっちゃうからねー」

 再登場したティスの言葉にムーンが何度か頷いてみせる。先ほどのように赤くなることはなかったが、眼鏡の下では確実に視線が泳いでいた。何故ならティスは大きく肩の出た服一枚しか着てこなかったから。彼女はムーンの動揺も意に介さず、欠伸交じりにゆったりとベットに辿り着く。

「ファンさんの支援で旅をされているんですね」

 なんとか気を取り直したムーンは、小さく納得の言葉を吐き出した。

「君もそうなんじゃないの?」

 エニシアがなんとなしに訊ねると、ムーンは首を横に振る。

「いえ、僕は旅の途中、街で仕事を頂いて生活してます」

「その性格で?」

「す、すみません。裏の仕事でしたら、喋ることも少ないですし」

「そういうお主はどうしておったのじゃ?エニシア」

 またも申し訳無さそうに下を向いてしまったムーンの代わりに、ジャッジが会話に割り込んだ。エニシアは然も当然と返答する。

「街1個潰しちゃえば暫く困らないから。金には」

「潰した挙句金品強奪とは…やりおるのう」

「さすが殺人鬼と呼ばれるだけのことはあるわねー」

「そ、そそそそそ…そんなことをしてらっしゃるんですか?」

「少し前までの話だけど」

 なんでもなさそうに答えるエニシアを見ていたはずのムーンが、白黒させていた瞳をとうとう真っ白にしたのは数秒後のこと。静かな空間に突如騒音が響いたわけだが、先に言ったように宿泊客は彼等だけなので、問題なく話は進む。

 座っていた椅子ごとひっくり返ったムーンを悠長に指差して、エニシアはベットの上のジャッジを見上げた。

「…気絶しちゃったけど?」

「あらら~」

 どうでも良さそうなエニシアの声と、気の抜けるようなティスの声が連なる中、ジャッジはトテトテと水場に近付き、コップに水を汲んでムーンの前に歩み寄り。

「しっかりせいムーン」

 無情にも顔面にその全てを注いだ。さぞ驚いたであろうムーンはがばっと起き上がると、犬のように水を弾いて眼鏡を外す。

「あああ…またやってしまいました」

「仕方ないわよ。今は新月なんですものー」

 服の裾で眼鏡を拭きながら、あからさまに落ち込むムーンをティスが宥めた。先のジャッジと同じセリフに顔を顰めたエニシアは、続くムーンの言葉で思考を中断されることになる。

「いつかは彼女みたいになれたらな…って思うんですけどね。まだまだです」

「彼女?」

「僕の尊敬する人です」

 疑問に対し微笑むムーンを見たエニシアは、理解不能だと言いたげに首を傾けて見せた。一方ムーンもエニシアを見て不思議そうに瞬きする。

「貴方にはいないんですか?尊敬する人」

「いないじゃろうな。エニシアには」

「いないな、間違いなく」

「人が嫌いなのよー。エニーは」

 3人揃っての回答に驚くでもなく、しかし「うーん」と唸ったムーンは、エニシアと同じ方向に首を倒して小さな声を出した。

「では、その、人でなければなにかありますか?」

「人じゃないものを尊敬する奴なんているのか?」

「自然物とか、現象とか、そんなものに思いを寄せる方もいらっしゃいますよ?」

「へー」

 本来なら関心した時に使われるはずの相槌も、エニシアにかかれば「無関心」なものとして発せられるのだから不思議だ。

「生憎僕は、そんな思い持ち合わせていないよ」

 ムーンは傾けていた首を垂直に直しながらも、相変わらず不思議そうにエニシアを見詰めている。エニシアは不意に上を向くと、新月とは程遠い月を視界に収めた。

「何かを尊敬したところで、なにも変わらないからね」

 それはまるで独り言のように。

「僕は僕だ。それ以上でもそれ以下でもない」

 それはまるで、自分に言い聞かせるように。

 吐き出したエニシアは小さな溜息と共に立ち上がり、追いかけてくる3人の視線を掻い潜ってベットに潜り込む。

 それを見届けたジャッジとティスは顔を見合わせて、次にムーンの表情を窺った。

 ムーンは俯き気味の口元を三日月のように緩めたままエニシアを見据え、次にジャッジに向けて微かに頷くと、2人が就寝準備に入るのを待って、自分もベットに身を埋める。

 数分後。

 3人の寝息を確認するまで身動き一つせずにいた彼は、夜の闇に浮かぶ光に視線を向ける。


 窓から漏れる月明かり。

 淡い光の先にある光源を思い起こしながら。


「敬わずとも生きていけるのなら、それに越したことはないんですけどね」


 ムーンはぽつりと呟いて、隣で眠るエニシアを羨ましそうに眺めたのだった。

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