Act.7:[ストレングス] -手に入れた力-③
辿り着いたのは小さな小さな小屋だった。
我が家の前で立ち止まったシエルは、道を教えたわけでもないのに迷うことなくこの場を目指した3人を不思議そうに見上げ、更にはティスの厚かましいまでの発言に目を丸くすることとなる。
「今日泊めてくれないかなー?宿が見つからなくてね~?」
ふわふわと詰め寄られ、更に彼等はグスの友人でもあるのだから断るわけにもいかず、シエルは苦笑交じりに申し出を受けることにした。
彼はスラックスのポケットから小さな鍵を取り出して南京錠を開ける。ジャッジ、ティス、エニシアの3人は、シエルの荷物片手にそれを見守った。鈍い音と共に錠が外れ、鍵の意味すら無さそうな木造の戸が開かれる。
外観から想像出来る通りの狭いワンルーム、奥に据えられた小さなベットには人が横たわっていた。
「ただいま。お婆ちゃん」
シエルが笑顔で声をかけるも返答は無い。それでも彼は躊躇うことなく3人を中に通した。”お婆ちゃん”と呼ばれた人物は、恐らく意識が戻り難い状態なのだろう。
「狭くてすみません。適当に寛いでいてください。今、お茶入れますね」
「お構いなく~」
「宿泊料くらいは置いていくからの。安心せい」
台所に立ったシエルは、既に各々寛ぎモードの客人を見て微かに頬を緩める。
そうして3人がシエルに入れて貰った薄いお茶を啜りながら、夕食作りに追われる彼の背中を眺めていると、なんの前触れも無く玄関が開かれた。
「あ」
「久しぶり~グっちゃん」
「元気にしておったか?」
客人の姿を見るなり間の抜けた声を出すグスに構わず、ティスとジャッジはマイペースに挨拶する。
「お帰りなさい、グスさん」
「お帰りじゃないよ。なんでこいつらを入れたんだ?」
「え。まずかったですか?お友達だと仰っていましたし、宿がないって…」
「友達ではない。ただの…ああ、なんだ?っていうか宿って。もしかしてなに?」
「一晩泊めて貰う事にしたのー」
シエルに詰め寄っていたグスは、ティスのトドメの一言で大きく溜息を漏らした。彼はそのまま手をはためかせてシエルの意識をキッチンに返す。
「まったく。相変わらずやってくれるな」
どかりと床に腰を据え、手付かずだったエニシアのお茶を飲み干して。グスはジャッジとティスに短く抗議する。しかしそれはあっさり流された。
「こやつはストレングス。力を司りしカードじゃよ。エニシア」
クッションを抱えて寛ぐジャッジが説明すると、壁に寄りかかったまま微動だにしなかったエニシアが面倒くさそうに顔を動かす。視界に入る色合いに違和感を覚えていた彼が眉を顰めると、グスは瞳を細めて息を吐き。
「あんたがエニシアか。成る程ね」
と、独り言のように呟いた。
エニシアは自分に注がれるしげしげとした眼差しを見据えたまま、グスが纏う服を指し示す。
「それって、軍服じゃないの?」
エニシアの言葉通り。グスはこの国の軍人が着るベージュの軍服を身に付けていたが、それはとても簡素に見えた。本来なら見せびらかして歩くべき勲章やら、マントに腕章など飾りの全てが抜け落ちているせいだろう。
「落ちていた服を拝借したんだそうですよ」
シエルが追加のお茶片手に代弁すると、エニシアは納得したのかしていないのか、微妙な相槌を返した。
「ほんと、物好きだなジャッジは。また嫌いそうなタイプをパートナーに選んで」
「選ぶのはワシじゃないじゃろうて」
「ま、そうなのかもしれないけど。っていうかなんでティスが居るんだ?」
「面白そうだったから付いてきたのー」
「……あ、っそ」
ティスを横目に頷いて、グスはジリジリと移動を始めた。何故ならティスが近付いてくるから。
その後もティスを避け続けるグスの挙動からしても、彼は彼女が苦手なのだろう。現に夕飯を囲む今も、斜め前という微妙な位置取りをしている。
キッシュを食べる時でさえ、ティスと目を合わせないよう努めるグスを可笑しそうに見守っていたシエルは、早々に食事を終えたエニシアを見て表情を変えた。
「そう言えば、あなたはなにを対価に占ってもらったんですか?」
遠慮がちに問いかける彼を、エニシアの細めた瞳が見据える。
「こやつの対価はモノではない」
「と、言いますと?」
「左の瞳をアイシャのモノと交換したのじゃ」
ジャッジの代弁に目を丸くしたシエルは、エニシアのオッドアイと記憶の中のアイシャの眼差しを比べて微かに顔を赤くした。
「それで瞳の色が違うんですね」
嬉しそうに頷いたシエルに溜息を浴びせ、エニシアは小さく独り言を漏らす。
「あの女、一体何を基準にして盗品を選んでるんだ」
「あなたの瞳が綺麗だと思ったんじゃないですか?」
「それはどうか分からないけど」
シエルの反応に嘲笑を浮かべつつ、会話に割り込んだグスがエニシアに視線を流した。
「何か知っているんですか?グスさん」
楽し気に問い返すシエルに肩を竦め、彼はジャッジに言葉を投げる。
「アイシャはあれだ。あいつの目に憧れてたろ?」
「良く言ってたよねー?ファンのオッドアイが綺麗だって」
「羨ましいとも言っておったのう」
「そんなくだらない理由で?」
ティスとジャッジの返しを聞いて呆れ声を漏らすエニシアに、ジャッジの笑みが向けられた。
「理由なんぞ、他者から見れば殆どが「どうでもいいこと」じゃよ」
「まぁ、確かに。共感出来ない限りは至極どうでもいいよな」
グスの相槌に頷いて、ジャッジは続ける。
「だから、お主が持つ理由も、ワシ等から見ればどうでもいいことなのかもしれんのじゃよ」
貫くような上目遣いを受けたエニシアは、顔を歪めて苦言を搾り出した。
「なら、聞くなよ。理由なんて」
「聞いてみないと分からないから聞くのよー?」
張り詰めた空気は、ティスの声色により仲裁される。訪れた短い沈黙を破ったのは、シエルの震えた声だった。
「あの」
集まった視線に身を縮めた彼は、それでも真っ直ぐにエニシアを見据える。
「あなたは、あの噂の殺人鬼…ですか?」
「そうだって言ったら?」
「お聞きしたいことがあるんです」
弱弱しかった声に強さが戻ったことで、エニシアの瞳もシエルを捕えた。
「どうして人を殺すんですか?」
「趣味で」
「人を殺すのが好きなんですか?」
「そうかもしれない」
「どうして好きになったんですか?」
「さぁ」
「剣を振るのが好きだったからですか?」
「いや。殺しを始めた方が先」
「殺人鬼をするうちに、強くなったんですか?」
「そうだな」
「逆に殺されてしまうかもしれない、と思ったことはなかったんですか?」
「そう思ったから強くなったんじゃない?」
「死にたい訳ではないんですね」
「昔はね」
「…初めて人を殺したのは、何時ですか?」
「覚えていない」
「初めて人を殺した時…貴方は、なにを思いましたか?」
「どうしてそんな事を聞くんだ?」
「どうして、平気で人を殺せるんですか?」
最後には椅子から立ち上がり、食い入るように質問攻めをするシエルは真剣そのもので。それでもエニシアは流すように、面倒くさそうに、溜息同等の素っ気なさで返答する。
「さぁ」
「きちんと答えてやってくれよ」
前のめりになるシエルを座らせて、正面のエニシアを促したグスは、彼がカード達の様子を盗み見るのを認識した。
「……敢えて言うなら。人が嫌いだから」
エニシアは観念したかのように答えた後、そっぽを向いて頬杖を付く。シエルはその横顔を見据えてうわ言のように呟いた。
「人が…?」
「そう」
「僕も?」
「ああ」
「彼等も?」
「そう」
「そこに寝ていることしか出来ない、おばあちゃんも?」
「そうなるな」
「…あなたは、人になにをされたんですか?」
殊更低い一言が、エニシアの瞳に変化を呼ぶ。
貧困の中に生き、同級生に虐められて尚その感情が呼び起こせないシエルの中に巻き起こる疑問は尤もで。しかしエニシアは数分経っても口を開こうとしない。ただ沈黙に抗うことなく身を固め続ける彼に、シエルの眼差しが注がれ続けた。
「……最後に、一つだけ聞かせてください」
長い拮抗の後。シエルが呟くと、エニシアの瞳だけが彼を向く。
「あなたは、自分のことも嫌いですか?」
「そうだな」
即座に示された肯定に、シエルの身がピクリと揺れた。
「人であることに、変わりは無いから」
言いながら正面に向き直ったエニシアは、自身に宿る闇をシエルに提示する。特別なにをした訳でもないのに溢れ出す殺気が、その場に居た者に寒気を与えた。それでもシエルは問い続ける。
「それなら、その力で自分を殺そうとは考えなかったんですか?」
「自分で自分を殺すくらいなら、誰かに自分を殺させて、苦しませる方が効率的だろう?」
当然のように言い放たれたエニシアの持論に対し。
「ってことは、あんたも苦しんでるわけか」
不意に割り入んだグスの一言を聞いて、エニシアは眉を寄せた。
「なにに?」
「人を殺したことに」
グスの浮かべる薄笑いを否定するように。立ち上がったエニシアは、それでも動じない面々を見渡した。まるで威嚇でもするかのように。
「そうじゃなきゃ、「苦しむ」なんて言葉、出ない筈だ」
両手を広げて言葉を繋げたグスが、何処か苦し気なエニシアを見て身を乗り出した。逆にエニシアは全てを投げ出したかのように、椅子に座り湯飲みに手をかける。
「すまんのう、グス。こやつは心を殺しておる最中なんじゃ」
白熱しかけた議論が早々に終結し、目を丸くしたグスはジャッジの弁解に苦笑を浮かべた。背もたれに身を預け、頭の後ろで手を組み、エニシアが湯飲みを置いたのを確認して、グスは呟く。
「でも、望んでいるわけじゃないんだな」
「なにを?」
「一緒だな」
「なにと?」
「俺と」
「意味が分からない」
「今は分からなくても、そのうち分かるさ」
視線が交わらないままそんなやりとりをする2人を、シエルの視線が行き来する。グスはシエルの頭に手を置いて、エニシアを見据えた。
「あんたには悪いけど、俺はあんたの意思を邪魔させて貰うことにするよ。仲間は多い方がいいからな」
妖しく言い切って、グスは静かに目を閉ざす。疑問を持ったエニシアの、強い眼光から逃れるように。
また、沈黙が訪れた。無言の圧力をかけても答えが返ってくることはない。エニシアは諦め半分に小さく息を吐いた。それを皮切りにグスが目と口を開く。
「最後に教えてやってくれよ。シエルに。そうやって、心を殺す方法を」
「…君さ、言ったよね?僕と君は一緒だって。それなら君が教えてあげたらいい」
「残念ながら、俺は「何かを殺す方法」を知っている訳じゃない」
エニシアに意図が伝わったことを確認し、グスは続けた。
「俺が知ってるのは「力の使い方」。俺はそれを教えただけ。力を使うのは教わった側だ。それに、心だけを殺す力なんて何処にも無いからね」
「あるよ」
「へえ。なに?」
「感情」
短くそう言って、エニシアは湯飲みを傾ける。グスはふっと息を吐き出すと、率直な感想を漏らした。
「………深いな」
「そうねー。深いわねー」
「どうじゃ?少年よ。少しは悩みが解消されたか?」
久方ぶりに聞いたティスとジャッジの声。問われたシエルは薄く微笑んで固い頷きを返した。
「やっぱり、僕が変わらなければ意味がないんですね」
俯き気味に囁いて。
「生かすも殺すも、僕次第なんですから」
シエルは、悲し気な笑みを喋らぬ家族へと向けた。
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