Act.6:[ハイエロファント] -守護の規律-③


 真っ白な壁を見上げながら、美しく舗装された道を踏みしめる。

 青空に映える佇まいに目を細め、エニシアは小さく溜息を漏らした。

 彼等3人が辿りついたこの場所は、城の3つ手前に当たる大きな関所の一つ。周囲は俄かに活気付き、大通りを明るく染め上げる。

 荷を運ぶ馬車、遠く聞こえる呼び込みの声、不平を漏らす商人の呟き、佇む兵士の沈黙。その全てを受け入れる巨大な門は、通りの先を輝かしく示していた。

 その先に向かえば更に王都が近くなる。気候も温暖になり、通りの周囲には美しい景色が広がって、然も「高級な我が国」を見せびらかすかのよう。  逆に王都から離れるに連れて寂れていく様を見てきたエニシア達は、何処か冷めた眼差しで道の先を見据えていた。

 あちら側に渡るには、ここを通るか深い森の中を抜けるしか道が無い。エニシア達が一度迷子になった時は、森を徘徊しているうちにいつの間にやら王都に近い崖下にまで到達してしまったが、その後更に森を抜けて国の中腹にまで戻って来た事になる。何故なら崖下から王都に上がるには街道を通るしか道がないから。

 王都があるのが国の最南端、国境が国の最北端。それがこの国の全貌だ。

 最北端では毎日のように隣国との戦が行われており、そこに向かう兵士達が逆走するエニシア達を怪訝そうに眺めている。しかしそんなことはお構いなしに、ジャッジは横道を指して進行を促した。

 門の脇に据えられた細長い建物こそが役所であり、この中には多くの要人が詰まっていることになる。壁沿いに右に進むと建物はコの字型に折り返されており、開いた空間には庭園が広がっていた。

 ジャッジは庭園の手前、立派な柵の前に立つ厳つい門番を見上げる。

「ヤボ用じゃ。通してもらうぞ?」

 知り合いなのか?とエニシアが顔を歪めるも、良く良く見れば門番も彼と同じような顔でジャッジを見下ろしていた。

「友達に会いに来たの~」

 ティスが相手の様子に構うことなく、ふわりと微笑み距離を詰める。後ろから呆然と眺めるエニシアと、今にも門を開こうとするジャッジを。

「関係者以外立ち入り禁止だ。それ以上進めばとっ捕まえるぞ?」

 当たり前に一蹴した門番は、手に持った槍で行く手を塞いだ。

「通せぬと言うのであれば、中にファンという者が居るじゃろう。繋いでくれ」

「知らん。とっとと立ち去れ。目障りだ」

「ふーん?それがあなたのお仕事?」

 素っ気ない対応に顔を顰めたジャッジを庇うように、前に出たティスは鼻先がくっつきそうなほど顔を寄せて門番を見据える。

「どういう意味だ!」

「そのままの意味だよー?」

「もういいだろ。面倒だから斬れば?じゃなきゃ大人しく帰る?」

 話が長くなりそうな予感がしたのか、エニシアは頭を掻きながら提案し、3人が振り向くと同時に剣に手を掛けた。

「そこまでだ」

 止めに入ったのは鋭く低い声。エニシアの立つ位置とは逆方向、柵の中から響いたそれを振り向いた3人は、反射する光に瞳を細めることとなる。

「来たか。そろそろだと思っていたぞ」

 挨拶がてら薄く微笑むのは眼鏡の優男だ。ジャッジとティスの空気が微かに変わったことで、エニシアも構えを緩めた。

「ご苦労。後は自分が代わろう」

 男は兵士に断り門を開けると、3人を敷地内に招いて歩みを進める。人工物とはいえ、緑豊かな庭園には安らぐ音だけが響いていた。

 4人が庭園の丁度中央辺りに差し掛かったところで、先頭を歩いていた男が振り返る。

「悪いが、先に部屋に向かってくれんか?コレを持っていれば怪しまれることもない」

 片腕に抱える本を示した彼は、逆の手でジャッジに何かを手渡した。ジャッジは迷うことなくそれを受け取り、目一杯首を持ち上げて微笑を浮かべる。

「すまんのう。有り難くそうさせてもらうぞ」

 頷き、踵を返した男とは逆に向けて歩き始めるジャッジとティス。エニシアは無言のまま2人に続く。

 広い建物の細く長い廊下には、ただ只管に赤い絨毯が敷き詰められている。もふもふと連なる足音を聞きながら5分ほど進み、階段を上った先で左に折れ、更に数分歩いた場所で、ジャッジの足が止まった。

 それなりに長い道のりの間、すれ違ったのはたったの一人だけ。これだけ広い建物だというのに、人の気配も殆どしない。加えてすれ違った人物は3人の顔は愚か、男がジャッジに託した”国のエンブレム”すら見ることもせずに通り過ぎて行った。

 不審に思ったエニシアが眉間にシワを寄せて扉を眺めていると、ジャッジがノックもせずにそれを押す。重厚な茶の扉が独特な音を立てて開いた。

「邪魔するぞ」

 開けて直ぐにジャッジが一言。

開ききった扉の向こうには山と詰まれた大量の書類。そして先ほどの男とは違う服を纏う、金髪の男の背中が見えた。彼は椅子に座ったままチラリとこちらを見て、また直ぐに正面を向くと、無機質に言葉を吐く。

「…ファンの客人か。狭いが、好きにくつろいでくれ」

「ありがとー」

 ティスの朗らかな返事の後、三人は部屋の隅へと移動を開始する。紙山の間を縫うようにして辿り着いた先には、キッチンとは呼び難い簡素な設備と、大きな緑のソファーが2つあった。ティスとジャッジが揃って手前に腰掛けるのを見据えながら、エニシアはなんとなく背後を振り返る。

 これだけ積み上げられた紙山の中、不思議なことに、その場所からは窓と男の背中が良く見えた。だからだろうか?エニシアが振り向いて数秒後、金髪男の顔が持ち上がる。

 視線を交わした2人の瞳の色は、全く別の意味を持って瞬いた。

「……貴様、あの殺人鬼だな」

 虫けらでも見るかのような目つきで問いかける金髪の男。

「そうだって言ったら、どうするの?」

 だから何?と言わんばかりに覇気の無い眼差しで呟くエニシア。

 答えを聞いた男はふっと息を漏らすと、体ごとエニシアに向き直った。

「どうもせんさ」

 俯いた彼を凝視して、エニシアはゆっくりと言葉を紡ぐ。

「捕まえるのは君の勝手だし、僕も別に構わないけど」

「仕方があるまい。君をしょっ引く為の法律が、この国にはないのだからな」

 苦笑とも嘲笑ともつかぬ調子の言葉を浴びせ、男は再びデスクと向き合った。エニシアはそれでも彼から視線を逸らさない。ただ、理解できないという表情で男の背中を見詰め続ける。

 男もそれに気付いたのか、動かしていた手を止めて苦々しく言葉を吐き出した。

「どうしても死にたければ戦争にでも行き給え。その方が、こちらとて都合が良い。君のような殺人狂、のさばらせておく位なら有効活用するべきなのだから」

「足かせをしたまま戦争に送りつけるよりは、同意を得て人殺しをさせるほうが有意義だと言うのか?お主は」

 ソファーの背もたれに両腕を乗せ、2人の背中を見据えるジャッジが話に割り込んだ。男は苦笑交じりに返答する。

「それで戦争が終結するのなら、それにこしたことは無いのだが…まあ、まず有り得んだろう。そんなことよりも私は、これ以上国民の中から死人を出したくないのだよ」

「随分勝手なことを言いおる」

「そうだ、私は勝手だ。身勝手で傲慢で………いっそこの場で殺して欲しいとすら思うくらいにな」

 声を荒げることもせず、棒読みのように続けられた男の台詞に反応したのは、青い殺人鬼。

「じゃあ、殺してやるよ」

 すらりと剣を抜き、刃を立てて。目にも留まらぬ速さで振り切ったエニシアの一撃は、男に到達する直前で何かに阻まれた。

 弾かれた剣に籠めた力をゆっくりと抜き、目を凝らす。男を囲うようにして、見えない壁が確かに存在した。見覚えのある魔法陣と共に。

「その辺で勘弁してやれ。ジャッジメント」

 不意に響いた通る声。ハッとして振り向くと、入り口に眼鏡の男が佇んでいた。彼が歩み始めると同時に、金髪の男を守っていた壁が実態を無くしてゆく。

「思ったよりネガティブな男じゃのう」

「それがこやつの持ち味だ。さぁ、座ると良い。紅茶でも入れよう」

 ジャッジの皮肉をさらりと流し、男はエニシアの背を押した。

 エニシアは、そこでやっと確信する。全ての情報よりも、肌で感じた奇妙さに教わって。

「何時もすまんのう」

「構わんよ。汚い金なら山ほどあるからな。ココは」

 ジャッジに答えた眼鏡の男は、早々に書類と向き直った金髪男を横目に苦笑する。

 ポットに水を注ぎ、薪をくべ、焜炉に火を点し終えると、彼は自らもソファーに身を沈めた。ジャッジとティスが並んで座る正面、つまりは必然的にエニシアの隣に座った事になる。

「改めて。はじめまして、エニシア=レム。自分はハイエロファント。ジャッジメントやジャスティスには、ファンと呼ばれている。君も好きに呼ぶがいい」

 微笑を交えて自己紹介を終えたファンは、テーブルを占領していた本を退けると、背後の戸棚からクッキーの入った籠を取り出した。エニシアはやはり違和感を覚えながら、ファンの仕草を追いかける。

 違和感は何処から来るのか。答えは至極簡単、エニシアが名乗る前に、ファンがエニシアのフルネームを唱えたこと。

 指名手配がされていないのだから、「特徴」を認識していることはあっても、「名前」までは公表されていない。だからこそ、金髪の男もエニシアを「あの殺人鬼」と呼んだのだ。

 そういえば。エニシアはふと思い出す。先日ハングに出会ったときも、そうであったことを。

 何故だ?

 エニシアの考察を邪魔したのは、デスクに向かう金髪男の独り言。何かを呪うかのような呟きが、呻き声となって部屋中をのた打ち回る。薬缶の軋む音だけが独り言に反応していた。

 聞き入るように静まり返った4人は、金髪男の言葉を吸収する傍ら、考察する。反論か、同意かは個々によって異なるであろう。しかしその中に苦笑を浮かべるものは存在しない。

 ファンは彼等の様子を眺めながら静かに席を立ち、ティーポットにお湯を注いだ。

 数分後、紅茶が4つのカップに注がれると同時に独り言が収束する。3人は配られたカップを前にそれぞれの反応を示した。

 ジャッジは小さく肩を竦め、ティスはいつも通りニコニコと微笑んで。数十秒後。そんな2人に顔を顰めたエニシアが、当然の疑問を口にする。

「何をしてるんだ?あいつは」

 ファンはエニシアを横目にかなりの間を置いて回答した。

「法律を作っている」

「成る程。くだらないな」

 エニシアの相槌にふむ、と漏らしたファンは、やはりゆったりと紅茶を啜り、微笑を傾ける。

「君はそう思うのか。確かに、一理ある」

 呟きの後、ファンは顎に手を当て頷いて、クッキーの一つを手に取りながら、独り言のように言葉を並べた。

「規則なんぞ、作る側によってなんとでもなるただの免罪符に過ぎない。規律や法律でこの世の理を決めようと言うならば、それは傲慢に他ならないだろう。しかしな、こうして人間が共存しておる以上、多少なりと枠は必要なんだ。その枠を破るか破らないか、それは個々の自由ではあるが…」

 菓子の表面に付着する粒子でも見透かすような眼差しでクッキーを眺め、言葉の合間にクッキーを口に放り込んだファンは、スローモーションさながらの速度でエニシアを振り向いた。

「破った先に何が待っているか…その程度は各々理解しているだろう?」

 ファンの話を聞く間に、エニシアは「またいつものが始まった」と愚痴を零した訳だが、ファンだけは愚痴に気付く様子も無い。

「規則とはそういうものだ。平穏を望むか、争いを望むか、基盤が異なるだけで。規則を守る集団から「はみ出たもの」が罰せられる、単純明解なシステムなのだよ。」

 悠長に言葉を並べ、合間合間で紅茶を消費しながら。

「善も悪も規則次第。支配する人間にとっては便利なものだな」

ファンは持論を締めくくる。と。

「振り回される方はたまったもんじゃないけどな」

 意外にもしっかりと聞いていたのか、エニシアが漏らした一言を聞き付けて、ファンの瞳が微かに細まった。

「その通りだ」

 何処と無く鋭いファンの眼差しが緩んだことで、エニシアの瞳が細くなる。

「…君は、どっちのミカタなの?」

「どちらでも」

 首を振り、左手の平を天井に向け。

「自分はただ、規則の行く先に何があるのか…どんな現象、事象が起こるのか…そこに興味があるだけでな。どちらを肯定も否定もするつもりはないのだよ」

 ファンは皮肉混じりに言い切った。エニシアは短い相槌の後、苦笑交じりに皮肉を返す。

「お気楽なものだね」

「それは君とて同じであろう」

「意味が分からない」

 常人では気付かないだろう、微かにしか変化しないエニシアの表情を意図も簡単に汲み取ったファンは、ふっと微笑んで紅茶を置いた。

「そうか。それはすまなかったな」

 頷くと同時に呟いて、彼は徐に背後の戸棚を開く。そこに詰まっているのはクッキーの追加ではなく、大量の札束だ。

「自分は君達を邪魔立てするつもりは毛頭無い。また何か困ったことがあったら、何時でも立ち寄るが良い。門番には、良く言い聞かせておこう」

 そう言ってテーブルに札束の一つを置いたファンに、ティスの朗らかな笑顔が進言する。

「本当にー?じゃあ今晩泊めてくれないかなー?」

「君は相変わらずのようだな。安心した。隣の部屋を使いなさい」

 にっこりと微笑んで、部屋の脇に存在する扉を示したファンは、エニシアの訝しげな眼差しに混ざる疑問に対して、敢えて別の答えを返す。

「構わんよ。どうせ今日も徹夜だろう」

 浮かべられた笑顔の意味にも気付けぬまま、エニシアはファンから顔を逸らした。



 その夜。

 金髪の男の独り言を聞きながら、眠りに付くことが出来ぬまま横たわるエニシアは。

 一つの決意に行き着いた。


「やっぱり、ハッキリさせないと駄目なんだな」


 呟きは頭の中だけで。



「めんどくさいな…」



 続いて漏れた小さな声を。

 しかと聞き届けたジャッジが、眠りの中でうっすらと笑みを浮かべた。

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