Act.7:[ストレングス] -手に入れた力-①
白い天井に並ぶ窓ガラスの持つ色彩が、人工芝の上を池のようにたゆたっている。光を浴びて目を細めた少年に向けて、木陰で寝そべる青年がうっすらと微笑んで見せた。
ここは魔道学校の人工庭園。昼休みも終盤。殆どの生徒が教室に足を向ける中、少年と青年はぼんやりと空を仰ぐ。
「いいのか?行かなくて」
「次の授業、休講なんです」
青年の問いに少年が答えた。僅かな間の後、断続的に響いた知らせのチャイムが、最後に高音を残して拡散される。少年…シエル=トワは、その間も考え事を続けていた。
この先のこと。
これからのこと。
ここは国が戦争のために魔道士を育成する学校。入学するには多大な資金が必要となる。勿論一般人に大金が用意できる訳は無く、殆どの生徒は金持ちの子供だ。
しかしシエルの家はとても貧乏で、片親は亡く借金まみれ、加えて様々な事情から現在は病気持ちの祖母と2人暮らし。そんな彼がこの学校に在席するのには理由がある。
「素質」を持つものには特例が適用され、全ての学費が免除になるのだ。
シエルには素質があった。この国が必要とする「魔道士」になるだけの素質が。そして「魔道士」になることが出来れば、多額の借金を返す為の稼ぎが得られることも。シエルは良く心得ている。
シエルは悩んでいた。
自身の潔白を守るか。
守るべきモノを守るか。
「魔道士」とは。
戦争で大量の人間を殺す為の兵器として量産されているモノ。
厳密に言えば、それは「白魔道士」と呼称される人々を指す。しかしシエルは白魔道士になりたい訳ではないのだ。
だからと言って拒否すれば「稼ぎ」はなくなり、守りたいモノが守れなくなってしまう。
短く息を吐き出したシエルは、近付いてくる気配に眉を顰めた。複数人がシエルの周囲を覆いつくすと、当たり前に周囲は暗くなる。後ろ手に座ったまま、シエルは上から注がれる級友達の眼差しを受けた。
「この間はよくも…」
拳を鳴らす眼帯の少年が呟くのと同時、にじり寄ってくる10人の男子生徒達。
シエルは立ち上がり、ゆっくりと全員を見渡した。
「僕はただ、抵抗しただけです」
「落ちこぼれの分際で抵抗するなんて、生意気だって言ってるんだよ!」
「抵抗しなければ…また僕が傷付けられた」
「満足に魔力も制御出来ない奴が、偉そうなこと抜かしてんじゃねえ!」
眼帯少年の言葉は正しい。
確かにシエルは、1ヶ月前まで抵抗すら出来ずにいた。ほんの数週間前までは落こぼれだった。
「僕はもう、昔とは違う」
しかしシエルは今、強い意志を持って、強い力を持って、場の空気を変化させる。
「落ちこぼれなんかじゃ、ないんだ!」
シエルから湧き出た魔力が地を走り、間近に居たクラスメイトを後退させた。
自然と後ずさるのも無理はない。彼等も魔道を学ぶ者の端くれ。その強さを、効果を、体で覚えているのだから。
シエルは円状に離れた彼等を見渡して緊張の色を読み取ると、魔力を消さずに忠告する。
「分かったら、もう関わらないで下さい。無駄な争いは嫌いなんです」
それを聞いた少年達は、歯噛みして庭園を後にした。数日前、シエルに返り討ちにされた際に負った傷跡を押さえつけながら。
彼等の背中を見送って、シエルは体中の力を抜く。自分の内側に魔力が収納されるのを認識しながら、悲哀の眼差しを無理矢理空に流した。
「流石」
声に続き、軽快に手を叩く音。木陰に隠れていたのだろう青年が、元の位置に座り直して肩を竦めた。
「なかなか板に付いてきたな」
言い終えて、大きく伸びをして。
「今のはちょーっと、かっこよかった」
不適に微笑んだ青年は、両手を頭の後ろへと回した。
「貴方のお陰ですよ。グスさん」
シエルは曖昧な笑顔を青年に向ける。
数ヶ月前まで上手く制御することすら出来なかった魔力。それが今は、自分の思うままに扱えるようになった。
シエルの瞳に宿る光が、グスの半開きの瞳に映る。
「俺は力を制御する方法を教えただけ」
それが2人の契約。
「あとは君の好きにしな。俺も好きにやらせてもらう」
それがグスの望んだもの。
言葉の後、ゆったり過ぎるほどの低速で立ち上がったグスは、シエルに背を向けて歩き始める。
彼が普段どう過ごしているのか。彼が一体なにを考えて、なにを思うのか。シエルは知らなかった。
それでもグスはシエルにとって、大切な恩人なのだ。
「夕飯、なにがいいですか?」
去り行く背中に声を注ぐと、グスは振り向き気味に笑顔を浮かべる。
「そうだな。キッシュがいい。ホウレン草の」
「分かりました。じゃあまた、夜に」
「ああ。夕方には帰る」
2本の指で別れを告げて、彼は学園を後にした。
シエルはその背中が見えなくなるまで見送って、大きく大きく伸びをすると、また思い出したように天を見上げる。
「空って、こんなに綺麗だったんだ…」
彼の美しい紫の瞳に、薄っすらと浮かぶ涙の意味を知らぬまま。空はゆっくりと時の流れを示してゆく。
青く青く澄んだ空。
その色は全ての人間を否定するかのように美しくて。…ただ只管に美しくて。
だからこそ切なくなる。
きっと僕はもう、そこには戻れないから。
戻ることが許されないから。
シエルが頭の中の言葉を切って、再び思考を切り替えた時。
遠く離れたある場所で、青年の独り言ではない独り言が空に昇る。
「今日も無事帰れそうだ」
聞き届けたのは彼の主人。そして反りの合わぬ同士。
「まぁ、命令には従うよ」
面倒臭そうに呟いて、グスは大きく息を吸い込んだ。そしてそれを吐き出さぬまま妖しく微笑むと。
「彼がその力に自惚れないうちは…な」
皮肉の言葉を瞳に宿し、風の誘うまま、歩みを再開した。
彼の望んだ自由のままに。
彼の思う信念のままに。
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