Act.6:[ハイエロファント] -守護の規律-②


 そこには人が居ないわけではない。寧ろ沢山存在し、個々が動いているにも関わらず、何処もかしこも”賑やか”とは言い難い。


 明るい空に照らされる地上の風景は、光に似合わぬ淀んだ空気で溢れていた。そんなこともお構いなしに、諸悪の根源である国の象徴…黄金に輝く雄大な城は、今日も存在し続ける。


 それはまるで、国民を嘲笑うかのように。

 上流から大量の汚水を流して下流を汚染させるかの如く。


 そうして今日も北に向かう兵士で溢れる街道を、見事なまでに逆流していく3人の人影があった。

「そう言えばお主、指名手配などされてはおらんのか?」

 幅広い道の隅を進む彼等のうち、小柄な一人が徐に空を仰いだ。久々の青に瞳を泳がせ足動かすうちに、覇気の無い答えが返ってくる。

「僕を軍に突き出して食を繋ぐ気なら、止めておいた方がいいよ」

 前方を見据えたまま言い切ったのはエニシアだ。対してジャッジは薄笑いと皮肉を口から漏らす。

「ほう。一文の得にもならんか?殺人鬼とて大したことはないのう」

 彼の穏やかで無い発言は決して冗談ではない。この何処から見てもやる気の端もない男…エニシアは、「殺人鬼」として噂される犯罪者なのである。

「懸賞金のケの字も無いのは確かだけど、それは僕の力が弱いせいじゃない」

 別段怒るわけでもなく呟いて、エニシアは何処か遠くを見るような眼差しで溜息混じりに続けた。

「例え目撃者が居ても、訴える人間が居なければ捕まることはないからね」

 彼の言葉の真意を推測し、ジャッジは盛大な溜息を漏らす。

「つくづく、おかしな国じゃな。ここは。お主もそう思わんか?」

「そうねー。確かに、ちょっと変かもしれないけどー。こうして順風満帆に旅をしていられるのはー、そのお陰かもね?」

 ティスがほわほわと言うように、もしもエニシアが指名手配を受けていたとすれば、平和な旅は続けられないであろう。しかしエニシアの特徴を知っている上で、彼等3人を目にしてしまった通行人にとっては溜まった物ではないのも確かだ。

「ジャスティスの発言とは思えないな。それ」

「どうしてー?正義なんて人それぞれだよー?この国が悪人の正義を尊重してることになるだけじゃないー?」

「僕と同じで、やる気がないんだな。君も」

「そんなことないよー?私は、もっと色んな正義が見てみたいのー」

 前を行くエニシアに並びつつ、反論らしくない反論を返すティスの背中を見据え、最後尾を行くジャッジが一人妖しい笑みを浮かべる。

「ではティス。この青臭い若造に、お主の見解を伝授してやってはくれぬか」

「んー?いいよー。これを機に、エニシアくんにもージャスティスが産まれるかもしれないものねー」

 聞く者全てを脱力させる勢いで意気込んだティスは、微かに歪んだエニシアの顔を覗き込んで微笑んだ。

「私が2人に合流する前にねー?何処に行ってたか聞きたくない?」

「別に…」

「パートナーだった人の最後を見に行ってたのー」

 拒否を華麗にスルーして言葉を繋げたティスの鼻先に、エニシアは当たり前に溜息を注ぐ。

「その人、泥棒だったんだけどー。悪い人から盗んだお金を、貧乏な人に配るっていう正義を持ってたのー」

 だんまりを決め込んだのか、早々にそっぽを向いたエニシアを気にも留めず、ティスは次々と言葉を生み出した。

「でもねー、泥棒は泥棒でしょー?警察の人は捕まえないといけないのー。犯罪者を取り締まるのが、彼等の正義だものねー?」

 その泥棒が指名手配されてしまったのは、被害者である”悪人”とやらを始末しなかったせいだろう。面倒なことになるのが分かっていて、なぜ殺さないのか。殺してしまえばいいのに。…そんなことを頭の片隅に、エニシアはぼんやりと一言。

「でも君は泥棒にミカタしていたわけだ」

「うーん。その人の正義ってね、珍しいじゃない?だから近くで見て居たかっただけー。味方していた訳じゃないのー」

「珍しいか?ただの偽善だろ?」

「偽善でもねー、それを実際に行動に移している人は珍しいでしょうー?」

 ティスの言葉に思うところがあったのか、それとも理解不能だったのか、エニシアは数秒の間を置いて、話を別のところに持っていった。

「で?なんでパートナーを辞めたんだ?」

「彼が、自分の正義に溺れてしまったから」

 ティスの瞳に影が落ちる。それを認識したエニシアは、横目で彼女の横顔を観察した。

「正義は持つ物、貫き通す物。溺れる物ではないの」

 エニシアの視線に気付いてか、口調すら変貌していくティスの表情は何処か妖しく、不気味で。

「私は正義が死ぬ瞬間を見に行った。あなたが人を殺すことを正義としない理由を確かめるために」

「意味がわからない」

 思わず目を逸らしたエニシアは、その瞬間に思考を殺した。

 ティスはそれを見越して笑顔を呼び戻すと、人差し指をエニシアへと向ける。

「それだけ沢山の人を殺しているのに、何の理由も持たないことが不思議で仕方が無いのー。正義と理由は紙一重だからー」

 振り向いた鼻先にそれを押し付けて、ティスは真正面からエニシアの瞳を捕らえた。

「理由から正義が生まれ、正義から理由が生まれる。泥棒の彼の「正義」の死の理由は、自らの過信。そして彼自身の死の理由は、法律を違反したこと」

 瞬時に変化したティスの瞳に貫かれ、歩みを止めたエニシアに2人が従う。周囲の喧騒は確かに存在するのに、3人に流れる空気に触れることは無い。

 ティスはエニシアが密かに固唾を飲んだことを確認し、ふっと柔らかく微笑んで見せた。

「どっちも本当にいけないこと?」

 再び一転した様子に瞳を細め、エニシアはゆっくりと顔を逸らす。

「さぁ。正直、どうでもいい」

 無理矢理流し込まれた感情にすら興味が無いと言わんばかりに、素っ気なく呟いた彼であったが、ティスはその「興味の無さ」すら肯定してしまう。

「そう。それは人の感性によって決まること。だけど私には許せないことが一つだけある」

 強制的にエニシアを振り向かせ、ティスは更に自らの「思考」を注いだ。

「正義を曲げること」

 苦痛に顔を歪めるようにして、エニシアはティスの瞳を見下ろす。それに笑顔を注ぎ込み、彼を解放するティスの口から穏やかな結論が言い渡された。

「彼は自分の欲の為に正義を曲げた。だから私は彼の元を離れたのー。分かる?」

「君が離れたことで、その彼が死んだんだろうってことは想像が付いた」

「そう。私が見捨てたの」

 うんうんと頷いて。ふわりと身を翻し、エニシアとジャッジを振り向いたティスは、後ろ歩きで前に進む。

「正義の為に泥棒を殺した私は、犯罪者かしらー?」

「知らないよ。そんなの。自分で考えたら?」

「それならあなたも自分で考えてみてー?」

 進行を再開したエニシアを待って。ティスはまたもエニシアの目の前に人差し指を突きつけた。

「あなたは、犯罪者?」

「………」

「ほうら。答えられない。あなたには正義が無いから」

 然も楽しそうにそう言って、ティスはくるりと前を向く。

「誰の目にも正しい正義なんて、この世には存在しないのよ」

 空に向けて言葉を上げて、次に顔だけをエニシアに向けたティスは、瞳を三日月形に緩めて見せた。

「だからあなたが自分自身で定めた正義を貫けば、それがあなたの正義になる。私は善も悪も、どちらでもなくても。真っ直ぐな正義である限りは見届けたい。ただそれだけなのー」

 真意を聞き終えたエニシアが、一息置いて口を開く。

「じゃあ試しに聞かせてくれよ。この国の正義は?」

「この国に正義なんて存在しない」

 即答に固まって、一瞬だけ歩みを止めたエニシアに。

「あるのは、欲だけ」

 ティスの妖艶な薄笑みが静かに回答する。

「エニシア。あまりティスを見縊るでない」

 硬直しかけの背中を叩き、エニシアに並んだジャッジの嘲笑が告げるのは。

「軽視すると、後が怖いぞ?」

 警告なのか忠告なのか、ただ只管にエニシアの中に渦巻く胸騒ぎを大きくするのを手伝った。

 エニシアは精一杯見上げてこちらを凝視してくるジャッジを見下ろしながら、それでも前方に足を動かす。そこにティスが舞い戻り、エニシアを挟む形で横に付いた。

「反論、しないのー?」

「いや」

 顔を上げて、前を見据え。

「欲が正義、ってことは無いのか?」

 エニシアは疑問を口にする。

「どんな手を使ってでも自分が欲しいものを手に入れる正義?」

「おかしいのう。それは正義ではない。ただの欲じゃ」

「それなら、僕のもただの欲だ」

 どうでもよさそうに呟いては自らの掌を見下ろしたエニシアを見て、ティスの嬉しそうな笑顔が頷いた。

「それで良いのー。だから私はあなたが好き」

 後ろに手を組んだまま、前方に向けられたティスの微笑が嘲笑に変化するのをエニシアが捕らえる。

「自分にしか役に立たない理論を、正義で通そうとする人間なんかより、ずっとね」

「最近、そんな輩ばかりだからのう。この国は」

「そうねー。特に上の方は、ね?」

 肩を竦めあうジャッジとティス。挟まれたエニシアは溜息混じりに前方を指差した。

「そう言いつつ。今向かってるのって…」

「役所じゃ」

「君達の思考回路って、狂ってるの?」

「お主に言われたくないのう」

「じゃあ、役人を惨殺でもする気?」

「行けば分かるわよ~?」

「またそれか」

「そうじゃエニシア。焦るでない。ゆっくり行くと決めたであろう?」

「意味合いが全く違うと思うんだけど?」

 ゆっくりと歩みを進める3人は、やはりゆっくりと目的に向かって進んでゆく。

 ただ一人、その目的がなんであるかを知らぬエニシアを巻き込んで。

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