第五話

 初めての出会いは、よく覚えている。

 あれはまだ私が小学校に入る前。

 運動公園に家族で遊びに来ていた私とお兄ちゃんは公園内にある森の中を二人で探検していた。

 私は巣があることに気付かず、縄張りに入ったことで、ハチに刺されたのだった。


 先を歩くお兄ちゃんに声をかけたけど、気付かずにどんどん行ってしまい、急いで追いかけようとした私は転んでひざをりむいてしまった。


 ハチに刺された痛みと擦りむいたひざからにじむ血液、ひとりぼっちの寂しさに泣き出しそうになったとき――。




「ねぇ、大丈夫?」




 ふいに呼びかけられた。

 顔を上げると、私と同じくらいの女の子がじぃっとのぞき込むように見つめていた。

 女の子は私の隣に一緒になってしゃがみ込んでどうしたの? と聞いてきた。


 私はハチに刺され、お兄ちゃんに置いてきぼりにされてしまったことを伝えると、彼女はとっておきのおまじないだよと言って、「痛いの痛いのとんでけー!」としてくれた。




 そんなことで刺された痛みはちっとも変わらなかったけど、一人ぼっちの私に気付いて心配してくれた。その事実がうれしかった。




「お友達が困っていたら助けてあげなさい」

 かーちゃんに言われたからと言って、見ず知らずの私をお兄ちゃんが迎えに来るまでの間、頭をでながらハグしてくれた。




 別れ際、彼女から髪留めを渡された。

 断ると彼女はそっと私の髪に付けてくれて「うん、やっぱり可愛い!」と言って笑った。

 彼女に優しい微笑みを向けられていると、母親にでられている時とはまた別の温かなものを感じて、でもなんだかそれが恥ずかしくて、うつむいたままお礼を言った。






―それが私と綾音の初めての出会いだった―  






 綾音は覚えているかな?

 覚えていたらうれしい。

 けど、初対面が泣き顔だったのを覚えられているのはちょっと恥ずかしいかも。

 でもやっぱり覚えていなかったら、ちょっと寂しい。

 どちらにしても素直に喜べそうになかった。


 恋って不思議だ。

 一つの出来事をとっても、様々な感情がないまぜになっている。

 乙女心は複雑とは、よく言ったものだ。


 彼女は私のことを「好きなことにまっすぐでブレない所がすごい」と言ってくれたけど、全然そんなことはなかった。

 好きだからこそ、迷ったり悩んだりする。


 その時間は辛くもあり同時に楽しくもある。

 ただ、彼女と一緒に居る時の気持ちの高揚こうよう、それはなにものにも代え難いものだった。




 そんなことを彼女のあどけない寝顔を見詰めながら思っていた。

 ていうか、寝顔かわよ。

 うん、今日も私の彼女は可愛い。

 私の辞書では可愛い=綾音と同意語だったりしする。

 あ、のろけたと思いました?

 違いますよー、これは世界の真理です。

 どこの世界の?

 もちろん私という世界の真理です。

 反論は受付けません。

 生暖かい目で見つめたければどうぞ。

 ふふん、その程度で私の気持ちはブレませんから。

 可愛いといえば、昨日は綾音のいろいろな表情が見られて嬉しかったなー。








          ◇◆


「はい、蓮花ちゃん」

「ありがとうございます」

 お礼を言って蓮花がお泊まりセットを受け取る。

 荷物を渡しながら、母親が流し目で私を見る。

 口元はもちろん、ニヤニヤニヤリングである。いつにも増してウザいことこの上ない。


「いやぁ、綾音っちがうちにお友達を連れてくるなんて何年ぶりかにゃぁ~?」

 口を𝝎みたいにして猫なで声を出してくる。

「もう用は済んだよね?」

 腕を組みつつ、言外に早く出て行けと伝える。

 蓮花の手前、いつもよりおとなしめに対応する。

 それを悟ってか母親は可笑おかしそうに笑う。

「え~、あんたが自宅に呼ぶくらいの友達でしょ? 興味あるな~、ねぇ?」

 こらっ! 蓮花に同意を求めるな。

 蓮花が私とあんたの顔色をうかがってミーアキャットみたいになってるじゃないの!

 何これ可愛い♪ 動画撮りたい! えっとスマホスマホ。

「あんた大丈夫? 何か挙動不審になってるわよ」

 母親に頬をつんつんされる。

「うぐっ。もう、さっさと出て行けー」

 私は母親の背中をぐいぐいと外へと押し出す。

「それじゃまた後でね、蓮花ちゃん♪」

 全力の押し出しをものともせず、のんびりと退室するのだった。

 やれやれ……。


 彼女の元に戻ると苦笑まじりに声をかけた。

「騒がしい母親でごめんね」

「ううん。その、こちらこそごめんね。私のせいでからかわれちゃって……」

「あぁ。ま、あんなのいつものやり取りだから。気にしてないよ」

 平然と返すと蓮花が少し驚きながら顔を上げる。

「そ、そうなの?」

「うん、それこそ物心つく頃からずっとあんな感じ」

 渋い顔をする私に、蓮花がにこりとする。

「ふふ。仲、良いんだね」

「いや、それはない」

 即答で返す私にあはは、と蓮花笑う。

 むぅっ。

「というか、恥ずいからこの話題はもうおしまい!」

「うん。ところで、自宅に友達を呼ぶのって久しぶりなの?」

 蓮花らしい質問だった。

「家族に友達を会わせたくなかったしね、なんせあの母親だし」

「それ、分かるかも。友達に家族を見られるのって何か恥ずかしいよねぇ」

「そうそう。ちなみに、前にうちに呼んだ友達は小学生の頃の蓮花だよ」

「そうなの?」

「うん、蓮花ってば、学校が違ってもずっと一緒だよ! とか言って泣いてたよね」

「そ、そんなこと言ったっけ?」

 蓮花はかあっと赤くなる。

「そうだよ、泣き止むまでずうっとよしよしって頭をでてたんだから」

 記憶が曖昧あいまいなのをいいことに少し色を付けて話す。

 すると蓮花が珍しく反撃をしてきた。

「い、今の意地悪な顔、お母さんにそっくり」

 蓮花にしてはなかなかに鋭いツッコミだった。

 可笑おかしいな、蓮花はボケ担当のはずなのに。

 相手をにらみ付けながら、でも次第に頬が熱くなってくるのを感じる。

 蓮花の頬も呼応こおうするように染まっていく。

 怒ってる顔も可愛いと思ったのは内緒だけど、多分意味ないなぁと思った。








         ◆◇


 にらめっこはお互いが頬を染めたところで終わった。

 綾音的にはにらんでいるつもりなのだろうけど、それすらも可愛い……というかレアな表情を見れて嬉しいまであった。

 お互いに誤魔化すように顔をらしたけど、全然誤魔化せてなかった。

 せき払いが聞こえ、彼女を見ると頬をかきながら訊ねてきた。

「えっと、何、しよっか……」

 待ってましたとばかりに嬉々ききとして……と思われるのは恥ずかしいので平静をよそおって応えた。

「……その、あ、アルバムとか、観たいなぁ~」

「アルバム? あ、この前発売されたばかりのシエルの新曲の? 蓮花も今度買うとか言ってなかったっけ?」

 なんでやねん。

 内心綾音にツッコミを入れる。

「えぇと、ち、違くて……あ、綾音の写真とか見たいなって」

「ああ、そっちのアルバム。い、いいけど。そんな面白いものでもないよ?」

「いいのいいの!」

 綾音が本棚から取ってきてくれたアルバムを受け取る。

「ありがとう」

 はあああああ、これが保育園のアルバムかぁ。

 表紙の可愛らしい字体を見ただけでドキドキしてくる。

「あ、あのさ……」

 綾音が何かを言いかけて口をつぐむ。

 じっと見つめていると、若干頬を染めつつある綾音が少しねた感じの声で答えた。

「こ、今度私も蓮花のアルバム、見せてよね」

 それだけ言うとふいっと顔をらしてしまう。

 可愛い……。


 クッションを受け取ると綾音のすぐ隣に座る。

「ちょ、近い近い」

 綾音がやや上擦うわずった声をあげる。

 今までも隣に座って手をつないだりしてきたけど、部屋に二人きりという空間がまた違った緊張を生んでいるのかな?

 普段はクールぶってる(全然クールじゃないけど)のに、意外に繊細せんさいな所もあるんだよなぁ。

 そのギャップもまた、可愛いんだけどね♪

 もう少し彼女の困る顔を見たいと思った。

 そのまま肩に頭を乗せると彼女の体がわずかにびくりとする。

「ごめん、嫌だった?」

「べ、別にいいけど……」

 明らかに無理をして強がっているのがわかる。

 その姿に口元がゆるみそうになるのをこらえつつ、弾んだ声を出した。

「それじゃ、一緒にアルバム見よ♪」 








          ◆◇


「綾音のお母さん、面白いね」

 クスクス笑う蓮花と対照的に私はむっつりとしながら一緒に階段を下りた。

 まったく、あの母親め……。



       ――少し前――      



「ただいまぁ」

 アルバムの質問に応えるうちに、自然二人の距離は縮まってゆき、肩を抱き寄せ合いながら観ていた。

 次第に会話は途切れ途切れになり、相手から香る匂いや温もりに胸の鼓動こどうが速まるのを感じていた。

 今キスしても、大丈夫かな?

 いつしよう。

 このページが終わったら……あ。よ、よし、じゃあ、次のページをめくったらにしよう――そんなどきどきが最高潮に高まりつつある時に、階下から父親の帰宅する声が聞こえてくる。

 しばらくして玄関に出迎えた母親が開口一番。

「お帰り! お寿司~♪」

 私の部屋まで聞こえる大声が先程までの雰囲気を一瞬でぶち壊したのだった。



          *


「いただきまーす! 綾音、そこのしょーゆ取って……て、何よそのふくれっつらは、久しぶりのお寿司なんだからもっと嬉しそうに食べなさいよ。可愛くないわねー」

 こちらの想い等伝わること無くあっさりと一蹴いっしゅうされた。

 というか可愛くないは余計だっつーの!

「あ、あのぅ、僕の取り皿が無いんだけど……」

 父親がひかえめに言うと、

「それくらい自分で用意してよね」

 母親にピシャリと言われ、すごすごとキッチンへ歩いていった。


「あのさ、コトミンはどのお寿司が好き?」

「コトミン言うなし!」

「こら、目上の人に対して失礼でしょ」

 注意をすると、妹は頬をふくらませて

 プイッとしてしまう。

「なにねてるのよ」

「はぁ? す、拗ねてねーし!」

 相変わらず分かりやすい反応だなー、どっかの彼女さんみたいだ。

「綾音、私は平気だから。琴美ちゃん、私の玉子あげるね」

 そう言って蓮花は割り箸を逆にして、自分のパックから玉子を挟むと琴美の取り皿の隅にそっと置いた。

「……ありがと……」

 頬を染めてぽしょりとお礼を言う妹に、蓮花はにこりする。

 その向かい側では「お、お母さん? ぼ、僕のウニといくらと中トロが半分に切断されてるんだけど……」と悲し気な声を上げていた。

「あぁ、お父さん来週人間ドックだったでしょ? 昨年数値がヤバいって精密検査受けてたから気を効かせてキッチンハサミで半分にしといたわ」

 父親は雨に濡れた老犬のような瞳で「う、うれしいなぁ」と今にも泣き出しそうな声をしていた。

 なんとも対照的な光景だった。

 相変わらず容赦ないなぁと私は小さく息を吐いて、取り皿にサーモンを……。

「って、誰よ! 人の取り皿にガリを山盛りにしたの!」

「ほらお父さん、子供じゃないんだからそんないたずら止めなさいっていったじゃないの!」

「えぇ? ぼ、僕なの?」

 いや、バレバレだからね。

 私がにらみ付けるも、母親は視線を逸らして「穴子うまぁ」とか言ってお寿司を食べ続けていた。








          ◆◇


 ろーかに出るとねーちゃんの部屋の前でレンカが立っていた。

 リビングに麦茶を飲みに行くにはねーちゃんの部屋を通過しないといけない。

 仕方ないので待つことにする。

 レンカはノブに手をのばしたと思うと引っこめ、手鏡を取り出してかみをいじったり、メイクのかくにんなのか、鏡とにらめっこしている。

 ようやく手鏡をしまいノブをつかんだと思ったら、すぐにはなしてパジャマのえりを引っぱり鼻をひくひくさせている。

 今おフロに入ったんだから、におうとかないと思うけど……何かほっぺた赤くしてるし。

 本当ナゾ多き生き物レンカである。


 私はため息をつくとレンカの横に立ち一言。

「ねぇ」

「きゃっ」

 ビクッとしてこちらを見る。

 前にもこんなことあったな。

「早く入ったら?」

「あ、コトミン」

 だからコトミン言うなし。

 それよりその明らかにムリしてる笑いが気に入らなかった。

「あのさ、さっきから身だしなみとか気にしてるみたいだけど……」

「え? あー、見てた?」

「別に見たくもなかったけどさ、リビングに下りたかったから」

「そっか、邪魔してごめんね」

「いーよ。それより、うちのねーちゃんは人の身だしなみなんか気にしないと思うよ」

「そうかな?」

「うん。てゆーか、ねーちゃんはだらしねーちゃんだからな。この前だってへそ出してねてたし」

「へ、へぇー」

 ずい。何かキョリが近い気がする。

「あとはブラウスのボタンを段ちがいにしてたり……」

 ずずい。いや、まちがいなく近い。

「ちょ、近い近い!」

 いいにおいがして、キラキラしている目で見つめられて、こちらの頭がぐるぐるしてくる。

 私が後ろにとびのくと、子犬のようにしょんぼりとされ、なぜかこちらが悪いことしたみたいな気分になってくる。


「と、とにかく。私が言いたいのは、うちのねーちゃんはそんな細かいことで人をキライになったりしないから、もっと気楽にしてなよってこと。ねーちゃん、レンカをすごい好きっぽいし」

 以前、車の中で見た時のニヨニヨとゆるんだ横顔を思い出す。

「本当?!」

「ちょっ! よるなよるな!」

 と、後ろで音がしてねーちゃんが出てきた。

「琴美、何を騒いで……って蓮花、お風呂終わったの?」

「うん、お待たせ」

「てゆーか、琴美、何二人で話してたの?」

「べっつにぃー、何でもねーよーだ!」

 んべっと舌を出して、私はさっさとリビングへ下りるのだった。

 まったく、何で私がアイツなんかのためにフォローせにゃならんのだ。

 ま、これで玉子の借りは返せたよな。








         ◆◇


 私は一人部屋の中で綾音がお風呂から戻ってくるのを待っていた。

 静まり返る主不在の部屋は、よそよそしく感じられる。

 綾音と一緒にいることで初めて私はこの部屋に居場所を見つけることが出来るのだろう。

 溜め息をいた時、ふと壁にかかったカレンダーに気付いた。

 立ち上がり、カレンダーをよく見ると私の好きな動物写真家の猫カレンダーだった。

 カレンダーは二つ折りで、上半分が猫の写真で、下半分に日付等が印刷されている。

 カレンダーには縁側で寝そべる猫の背中が映っていて、風鈴が揺れ、遠い空に夏の雲がかかっていた。

 綾音もこの写真家が好きなのかな? それとも猫だから? どちらにしても共通の好みを発見してうれしくなる。

 机の上には私がプレゼントした青い花のペーパーウェイトが置いてあった。

 机の前に立ち、それに手を伸ばしているとドアをノックする音。

「蓮花ちゃん、いるー?」

 手を引っ込めて返事をした。

「は、はーい」

「悪いけど、ドア開けてくれない?」

「今行きます」

 小走りで近付くとそっとドアを開く。

 布団を持った静香さんがゆっくりと入ってきた。

「わあ、て、手伝います、手伝います!」

「いいからいいから、ちょっと離れてて」

 床にそっと布団を置くと一息吐く。

「す、すみません。私が自分で取りに行けば……」

「いや、蓮花ちゃんがいきなり綾音の部屋に敷く布団を貸して下さいっていうのも変でしょ? いや、それはそれでちょっと斬新ざんしんで面白いな」

 あはは、と笑う。

 確かに。じゃあどうするのが正解だったのかな?

「いや、そんな真面目に考えなくても。綾音にとっての友達なら家族からしたら、大事なお客さんだからさ」

「お客さん」

「そ。変な友達だったら速攻で追い出してるけどさ、蓮花ちゃんは小さい頃から知ってる良い子だし、気にしなさんな」

 お客さん、か。

 ……そりゃあそうだ。綾音が私達の関係の事を家族に話している訳もないし。


 例えば、この場で静香さんに私は綾音の彼女ですと言ったら、どんな顔をするのだろうか。

 信じてくれるだろうか?

 冗談半分にスルーされるのだろうか。

 もし、信じてくれたとして反対されるだろうか? それともすんなりと認めてくれるのだろうか?

 分からない。静香さんなら大抵のことは受け入れてくれそうな気がする、けれど……。


 静香さんは普通に結婚をして、子供を産んで、家庭を築いている人だ。

 そんな人からしたら私の存在は異端なのではないだろうか。

 昔に比べればテレビやメディア等で同性愛に対して肯定的に捉えられている事もあるけど、果たしてそれが自分の家族とか身近な話になったとき、どれだけの人がその事実を受け入れられるだろうか……。

 

「蓮花ちゃん」

「あ、は、はい」

「ぼーっとしてどしたん? あの子に一日付き合わされちゃって疲れたかい?」

「い、いえ。いつも楽しい時間を過ごさせて貰ってます」

「そう? ま、あんなので良ければ遊んでやってよ」

「はい。とても頼りになる可愛い女の子です」

「あはは、頼りになる? 可愛い女の子? えーと、一応聞くけどマジな回答でオーケー?」

「は、はい」

「ふぅん。今度からかってやろ」

 静香さんが悪い顔をしていた。

 またネタを提供してしまったみたいだ。

 どうやってフォローしようかと悩んでいると、静香さんが話し始めた。

「あの子さ、最近まで朝寝坊がひどくてさ、起こすと不機嫌になるし、中学の頃なんてしょっちゅうケンカしてた」

「あの綾音がですか?」

 私の知ってる綾音とは大分違う。

「うん。ま、反抗期の真っ只中ただなかってのもあると思うけど、いつも何かにイライラしているようだった。あんまりにも生意気だから学校でイジメられないか心配したものよ。でもさ、それが高校に入って少ししたら徐々に収まって来たのよね」

「そうなんですか」

「……多分それってさ、蓮花ちゃんのおかげなんじゃないかな」

「私が?」

「母親のカンってやつかな。本当のところはわからんけど。ま、少なくとも平日寝坊しなくなったのは毎朝蓮花ちゃんと会えるからなんじゃないかな?」

 静香さんがにひひっと笑う。

「あの……わ、私、何もしてませんよ」

「分かりやすい反応をありがとう」

 照れ隠しに俯いたのはバレバレだったようだ。

「うぅ……」

「可愛いなこの子。まあ、きっかけなんて案外そんなもんでしょ。好きな友達と会えるなら、眠くても何とか起きようって思うもの。ありがとね、蓮花ちゃん♪」

「は、はい」




 この人は綾音の事を大切に思っているんだな……と分かった。

 そりゃあ家族なのだから、当たり前かも知れないけど。

 でも、彼女が家族に大切に思われているという事実がすごくうれしいかった。


 いつの日か、私も静香さんに負けないくらい、彼女を思える存在になりたい。

 そのために、もっと彼女のことを私は知りたい。知って理解したいと、改めて強く思った。

 そうして、それでも彼女への想いが変わらなければ、今抱いてる彼女への気持ちはより強く、本物へと近付けると思うから。




 いつか、その時が来たら、ちゃんと静香さんに伝えようと思った。




「蓮花ちゃん? ぼんやりとして、どーかしたかい?」

「い、いえ、その……わ、私も、綾音のお陰で毎日学校に行くのが楽しくなりました」

「そっか、じゃあお互い様ってことかな。っと、この話はあの子には内緒で頼むよ」

 静香さんが唇に人差し指を立ててウインクする。

「はい」

「ありがとね♪」




 そう言って、照れ臭そうにする静香さんの笑顔は、少し幼くて、でもとても魅力的だった。








          ◆◇


 蓮花と他愛のないおしゃべりをする。

 時計が九時を差す頃に彼女が欠伸あくびをしたので、いつ頃に寝てるのかと訪ねると十時だと言う。

 今時、中学生でももう少し遅い気がする。

 今日は都内に初デートをして歩いたから余計に眠いのかも。

「それそろ、寝ようか」

「え? ま、まだ、大丈夫だけど!」

 拳を握ってふんすっとしているけど、すぐにくぁっと欠伸あくびをしている。

 つられて私まで欠伸あくびが出てくる。

「私も眠くなってきたし、明日はお互いにバイトだからもう寝ようよ」

 渋々といった感じでこくりとうなづく。

「分かった。でも、寝る前にひとつだけお願いしてもいいかな?」



         *


 蓮花は寝る前にシエルの歌を聴いてから布団に入るのだそうだ。

 ヴィヴィッドで前向きな歌が多い中で、蓮花が選んだのはしっとりとしたバラードだった。

 最近の曲ではないけど、アコースティックライブでラストアンコールに使われる等、ファンの間で根強い人気がある歌のひとつだった。

 目を閉じて歌に聞き入る横顔を見つめていると、ふと再会した時の頃を思い出した。


 電車の中、肩が触れ合うくらいの距離でシエルの歌を聞いていた日々。

 少しずつ彼女に対する想いが育まれていった。


 トラブルがきっかけとはいえ、初めてハグをした日。あの出来事がなければ、私達はまだお互いの気持ちを伝えられずにいたのかも知れない。

 そう思うと、あのハチはある種、キューピッド的な存在だったのかも知れない。


 蓮花の想いを知って、幼なじみから彼女へと変わった日から、まだ数ヶ月しか経っていない。

 不思議だ。もっとずっと前から、こうして彼女と一緒に居たように思う。

 それくらいに彼女との日々は生き生きと、印象的なものが多かった。


「綾音? どうかしたの?」

 呼ばれてふと我に帰る。

 歌はもう終わっていた。

「いや、何でもないよ。おやすみ、蓮花」

「うん。おやすみなさい、綾音」


 並んだ布団の中、天井をぼんやり見ていると、彼女の手が伸びてきて、きゅっと恋人繋ぎをされる。ひんやりとして滑らかな心地よい指先を握り返すと、じんわりと胸の奥が温かなもので満ちていくのを感じる。

 その心地よい熱に包まれながら、静かな眠りへと落ちていった。








          ◆◇


 目を覚ますと見慣れない天井があった。

 ぼんやりとした思考のまま、ふと横から聞こえる寝息に視線を送る。

 そこには小さく口を開けたあどけない表情の綾音が眠っていた。

 そうだ昨日、彼女の家にお泊まりしたのだった。

 スマホで時間を確認すると、綾音が起きる予定の時間を少し過ぎていた。

 アラームセットしなかったのかな。

 静香さんの話だと朝が弱いみたいだし、無意識にアラームを消していたのかも。

 起こしてあげようと思い、改めて綾音の方を向いたとき、あることに気付いた。

 パジャマ姿の私と違って、綾音はTシャツにホットパンツというシンプルな服装をしている。

 Tシャツは少し大きめのをゆるく着ていて、先程もぞもぞ動いたせいでブラのひもが片方覗いていた。またよれているせいで胸元のガードも甘くなっていて……ひも以外の物まで見えそうになっている。

「……」

 いやいやいや。なんとか理性を保ちつつ、目を閉じてその耳元にささやく。

「あ、綾音~、あ、朝だよ~」

 ちろっと様子を伺うために、(もちろん他意はなく)、ちろっと目を開くと、視界の端に先程のひもと同じ色の何かが見えた気がして、バッと顔を背ける。

 綾音はというと、人の気も知らずにもわずかにぞもぞするだけだった。

 さてどうしようと思いつつ、綾音を見下ろすと今度はTシャツがめくれて小さなおへそがあらわになっていた。

 危うく指先が延びそうになる欲求を抑えて一枚だけパシャリ♪

 うん、手は出してないからセーフ。


 その後も頬をぷにぷにしながら呼びかけてみたり、目を閉じて肩を揺すってみたりしたけれど、一向に起きる気配がない。

 ここはもう、あれしかないのかも……。

 そう、それは古来、神々の神話時代より語り継がれる、神聖なる儀式。

 最近のアニメやマンガでは使われ過ぎたためかとんと見かけなくなっているけれど、王道は王道に違いない。

 私から彼女にするのは初めてだ。

 う、うまくできるかな。

 耳から垂れる髪をかき上げながら彼女の耳元に優しく話しかける。

「あ、綾音~、は、早く起きないと……そ、その……き、ききキス、し、しちゃうぞ~」

 肝心な部分でやっぱり声が裏返ってしまった。

 幸い綾音が起きるわけもなく……。

 この幸いは、裏返った声を聴かれていなかったことにたいしてだけだからね!

 まったく。まったく綾音はもう、仕方ないなぁ。うん、これは仕方ないことなんだよ。お寝坊さんな彼女をバイトに遅刻させるわけにはいかないしさ、さっきから私のお腹がきゅるきゅるって鳴り始めているし。

 そろそろと、綾音の頬に唇を近付けて行く。

 頭が熱に浮かされたようにぼんやりしてくる。

 口から漏れる吐息に目の前がかすんできて、視界には寝息を立てる彼女の横顔しか見えなくなる。

 布団に片手をついて、ゆっくりと頭を下ろしてゆく。

 あと少し――わずかに唇の先端が触れそうになったとき――ふと小さな違和感を覚……。


 突如、乱暴にドアをノックされる。

「オラー! ねーちゃんいつまで寝てんだー!」

 思わず飛び退くと同時にドアが開かれ、小さな影が綾音目掛けてダイブしていた。

「いっつ~~~~~~!! こんの、バカ美!!」

 綾音が飛び起きると同時にまくらをドアに向けて放る。

 逃げる背中にまくらが当たりそうになるも、すかさずしゃがみ込んだコトミンの頭の上を通過、ドアに弾かれた。

「べー!」

 あっかんべーをしてゆうゆうと去って行った。


 悔しそうにする綾音を見つめながら私は先程感じた違和感を確かめるため、つぶやいた。

「あの……綾音? もしかして起き……」

「れ、蓮花おはよー」

「……」

 じぃっと見つめていると、綾音は布団を頭からかぶりながら観念かんねんした。

「……だ、だって、せ、せっかく蓮花がキスをしてくれそうだったからさ……や、やっぱり、そ、そーいうのって、あ、あこがれるじゃん……」

 綾音が乙女な顔でねる姿とか、可愛い好きぃ……。


 彼女の頭をよしよしとでるとその額にそっとキスをした。

 そこは頬じゃないのかい!

 内心自分に突っ込みつつ、へたれな私にはこれが限界だった。

「おはよう、綾音」

「うん、おはよ。なんか元気ない?」

「ううん、ソンナコトナイヨー」

「あはは、久しぶりかもそれ」

 ニコニコ笑う綾音にまあいっか、と気持ちを切り替える。


 これが彼女との初めてのモーニングコールだった。



          *


 朝食は牛乳にサラダとハムエッグ、そしてトーストだった。

 イチゴジャムを塗ったトーストの耳をかじるとサクッという音と共に焼きたてトーストとイチゴジャムの甘酸っぱい味が口の中に広がる。

 ふと顔を上げると、頬杖をついた綾音がこちらをじっと見ていた。

 食べ終わってから訊ねる。

「え……と、何かな?」

「どうしたらそんなに嬉しそうに食べられるのかなって思いまして」

「んー、ジャムトースト好きだし」

「いや、そうじゃなくて」

 頭の上にいくつもの疑問符が生まれる。

 どうやら彼女の求めていた回答とは違ったようだ。

 コミュニケーションて難しい。

 そして、私だけが恥ずかしい思いをしているのがちょっと悔しい。

 頬に指を当て考え込む。

「いや、そんな律儀りちぎに悩まなくてもいいけどね」

 うーん、うーん……あ。

「お、何か思い付いた?」

 すかさず聞かれる。すごい、綾音ってばエスパー? あるいは私が顔に出過ぎという可能性もあった。

「うん。ただ……」

「ただ?」

 すっごく恥ずかしい答えだった。

「ええと、その、い、言わないとだめ……かな?」

「もちろん」

 まさかの即答、容赦ようしゃなしだった。

 そしていつの間にか静香さんみたいな表情をしていた。

 目をきゅっと閉じ、口を開いた。

「えぇと、……つ、つまり、こうして綾音と一緒に朝食を食べられて幸せだなぁって。好きな人とおいしいものを食べている時間って嬉しいなあって、お、思い……まして……」

 ふあぁ、めちゃくちゃ恥ずかしい。

 ぱたぱたと顔を仰ぎつつも、彼女の反応が気になってそっと目を開いた。

 目が合うとぷいっと視線をらされてしまう。ズルい。

「へ、へー。そ、そう、なんだ」

 なるべく平静をよそおっているつもりだけど、声がふるえているし、耳が少しピンク色をしていた。

「綾音は?」

「え?」

「綾音は、そういう時間、好き?」

「ま、まあ嫌いじゃないかな」


 素直じゃないなぁと思いつつ、でもそんな少し意地っ張りな彼女と食べるトーストは、さっきより軽やかな音を立て、甘酸っぱさに自然、口元がほころぶのだった。








          ◆◇


 蓮花をバイト先の図書館に送り届けると、名残惜なごりおしそうに、何度も何度も振り返りながら手を振ってくる。

 まるで小さな子供みたいだった。 



         *


 バイト先のコンビニ裏手に自転車を停めると丁度バックヤードのドアが開き、蓮花のお兄さん、陸人りくとさんが出てきた。

「おはようございます」

「おはよ、今日もよろしくな!」

「まだバイト始まるまで結構時間がありますけど」

 陸人さんはいつも私よりも早く来ていた。

「ん? ああ、敷地内にゴミとか落ちてないかチェックしてるんだ」

「なるほど」

 店長からバイトリーダーを任命されるだけはあるなぁと少し感心する。

「ま、それだけじゃないんだけどな……」

「え?」

「いや、何でも無い。それよりごめんな」

「何がですか?」

「蓮花が急に泊まるとか言ってきて驚いただろ?」

「えぇ、まあ……」

「いやぁ、冗談のつもりで蓮花をき付けてみたら本気にしちまうんだものなぁ」

 て、犯人はあんたかーい!

「まあそちらの親御おやごさんに了解は得ていたみたいだけどさ」

「いえ、多分それはうちの母親だけです。父親のほうはすごく驚いてましたから。というか、同じ部屋で寝る当人の了解を得ずに許可するとかどういう神経をしているんですかね、あの母親は」

 それを聞くと、陸人さんは目を丸くした後、うはははっ、と大笑いした。

「マジで?」

「マジです」

「蒼海さんのお母さん面白いな♪」

「あの人の判断基準は面白ければ何でもいいんですよ、まったく。こちらの身にもなって欲しいです」

「はは、それについてはごめんな」

 陸人さんが手を合わせて謝る。

「いえ、許可をしたのはあの人ですから。気にしないでください」

「でも、蓮花が迷惑かけてるだろ?」

「そんなことないですよ。蓮花といる時間は楽しいですから」

「そっか、なら良かった。それにしても本当、面白いお母さんだな。そのうち会ってみたいな!」

「はあ……ただの変人ですよ」

「大丈夫、俺もよく言われる」

 ビッと親指を立てる陸人さんを見て、『混ぜるな危険!』という文字が頭に浮かんだのだった。



         *


 午前中のパンやお弁当の検品作業を終えると陸人さんに声をかけてゴミ袋を裏口にある物置へ持っていく。

 物置の前に立ち、ポケットに手を突っ込んだ時――「ねぇ」

 死角から不意打ちで声をかけられ、驚いてポケットからカギを落とした。

 物置のカギと一緒に自転車のカギを落としてしまう。

 しゃがんでカギを取ろうとすると、手が伸びてきて自転車のカギをサッと拾い上げる。

 振り返る――そこには黒いパーカーを着たツインテールの女の子が立っていた。

 見かけない女の子だった。

 背は蓮花より低いから中学生くらいだろうか。

 物置のカギを回収して立ち上がり声をかける。

「あ、あの……」

 女の子は、カギに付いたキーホルダーをじっと見ている。

 それは昨日蓮花と交換した水族館のペンギンキーホルダーだった。

 しばしキーホルダーを眺めた後、今度は無言で私をジロジロと見つめてくる。

 一瞬、昔の知り合いかとも思ったけどこんな顔の友達は記憶にない。

 苛立ちと共に薄気味悪さを覚えつつも、簡潔に用件を伝える。

「大切なものだから返して」

 私は彼女に手のひらを向けて返すよううながす。

「大切なもの? これが?」

 そう訊ねる女の子のセリフからは明らかな敵意のようなものがにじみ出ていて、その雰囲気に飲まれそうになる。

 でも、退くわけにはいかない。

「そうよ」

 カギは家に帰ればスペアがあるけれど、キーホルダーは、蓮花の私への想いがつまった大切なものだった。

 すると彼女はキーホルダーを持った手をぎゅっとにぎめてギッとにらみ付けてきた。

「な、何よ」

「そんなの自分の胸に聞いてみなさいよっ!」

「だから、何のこと……」

「おーい、蒼海さーん。ゴミ捨てまだかい? お客さんが並んできてるんだ」

 バックヤードのドアが開いて陸人さんの声が聞こえてくる。

 振り返って返事をする。

「すみません、すぐ戻りまーす」

 とはいえ、どうしようこの状態。

 ため息をいて前を向くと、いつの間にか女の子は消えていて、足元には自転車のカギが落ちていた。

 拾ってみると、そっと置いて去ったのか幸い表面に目立った傷跡はなかった。

 お店に戻ると、陸人さんが心配そうに声をかけてきた。

「遅かったけど、どうかした?」

「いえ……その、何というか野良猫みたいのにからまれていたといいますか……」

「なんだそりゃ?」

 陸人さんが笑いながらレジに戻って行く。

 本当、何だったんだろうあの子は。



         *


「それじゃ、お疲れさまでした」

「はいよお疲れー。蒼海さん仕事覚えるのが早くて助かるよ」

「いえいえ、陸人さんの流れに付いていくのでいっぱいいっぱいですよ!」

「コンビニのバイトはさ、基本マニュアル通りだから、慣れれば反射的に動けるようになるよ」

「そうですかね」

「大丈夫だって。それよりこれから蓮花を迎えに行くのかい?」

「はい、多分到着する頃には彼女もバイトを上がる時間になると思いますので」

「そっか。じゃあまたな」

 そう言って、陸人さんは車に乗り込むと去って行った。








          ◆◇


 そろそろかな。

 私は彼女が来るのを今か今かと待っていた。

 そんな私を見て、つむぎが「どうしたの?」と声をかけてきた。

 何でもないと首を振ったけど、多分誤魔化せてないだろう。

 どうにも私はウソをついたり隠しごとが苦手みたいだ。


 私、姫宮蓮花は蒼海綾音と付き合っています。

 いつか、みんなに伝えられればいいなと思う。

 大切な人を皆に知って欲しいという想い――でも、それが大切な人を傷付けることになるのではと思うと、その一歩を踏み出せずにいた。


 女同士というのは一般的ではないから……。


 綾音と一緒にいられるなら周りの人たちが離れていっても構わない。

 ただ、私が気持ちを伝えることで綾音が嫌な思いをしたり、何かをあきらめたりする未来は歩んで欲しくない。

 もちろんそんなのは子供の描く絵空事のようなものだということもわかっているけれど。


「蓮花ちゃん? どうかしたの?」

 気が付くと隣に汐莉しおりが立っている。

 彼女は少し年上の大学生のお姉さんだ。

 ちょっと抜けてて頼りないところもあるけど、誰かの悪口を言ったり、人の意見を否定せずにちゃんと最後までいてくれる。

 おっとりした優しいお姉さんだ。


 彼女なら、私の気持ちを否定しないでくれるかな? でも、もし引かれてしまったら、他の誰に打ち明ければいいのか分からなくなってしまいそうだった。


「蓮花ちゃん、難しい顔をしてどうかした? 悩み事なら相談に乗るよ……って言っても私なんかじゃ頼りないかもだけどさ」

 あはは、と照れ笑いを浮かべる。

 優しい気遣いに少しだけ気持ちが晴れる。

「いえ、ありがとうございます。汐莉さんの気持ち、すごくうれしいです。機会があれば、その時はお願いします」

「うん、いつでもどうぞ」

 汐莉が優しく微笑む。

 こんなお姉ちゃん、欲しいなぁ。

「あー、またお姉さんぶってる」

 いつの間に来ていたのか、紬が棚の間からひょこりと顔をのぞかせる。

「紬ちゃん」

「蓮花ちゃん、この人こんなカッコつけてるけどさ、この前コンビニのパンを電子レンジで温める時に、袋開けないでしてうっかり袋を破裂させたんだよ」

「ちょ、それは秘密って言ったでしょー!」

「秘密とは聞いたけど、わかったとは言ってないし」

「確かに」

「いや、それで納得するのかい」

「え?」

「もういいよ。と、それより蓮花ちゃんに探し物をお願いしたいお客さんが受付に来てるよ」

「私に?」

「うん、ほらほら早く行きなー」

「う、うん」

 紬の意味ありげな視線に首を傾げつつカウンターに向かう。

 何で私? そう思いつつカウンターに立っている後ろ姿に気付いた。

 もう、紬ちゃんめ!

 められたという思いよりも、嬉しさの方が勝っていた。

「綾音」

 ポニーテールの女の子がゆっくりとこちらに振り向いた。

「蓮花、お待たせ」

「う、ううん。バイト中だし全然待ってないよー」

「そう? 蓮花のことだからバイトしながらまだかな、まだかなーなんてそわそわしているんじゃないかと思ったんだけど……」

 うぐ……鋭い。いや、私が単純なのかも。

 あるいはその両方?

 黙り込む私に、「図星かよー」と笑っていた。

「綾音は?」

「え?」

「綾音は、バイト中私の事、考えたりしなかったの?」

 じっと見つめ続けると、綾音は目をらして頬をかきながら、「……ま、まあ……時々考えたり、してました」

 そっかぁー、うんうん。素直でよろしい。

 ……な、何かこれって想像以上に恥ずかしい質問なんじゃないかな?

 意識するとぶわぁっと頬が熱くなってくる。

「な、何かこの話、結構恥ずかしい?」

「い、今更かーい」

 私の問いに、綾音が努めて軽めの返しを試みるも、勢いも声量も足りなかった。

 そうしてお互いが相手を見つめ、もじもじして全然隠せていない照れ隠しの笑みを浮かべる。


「あの、イチャイチャするのはせめて人目をしのんでやってもらえませんかね?」


 パッと離れて背後を振り向くと紬が私たちを見ていた。

「ところで……」

 ずいっと、紬が私と綾音の間に入る。

「あなたは本当に蓮花ちゃんの親友なの?」

「ええと……」

 答えにきゅうする綾音に目配せする。

「い、一応?」

「ちょ、い、一応って。一応って何? しかも疑問系?」

 今度は私が紬と綾音の間に入り、腕を両手で抱き寄せて問い詰めていた。

「ちょ、れ、蓮花?」

 あわあわする綾音。可愛い♪ いや、違う! 違くないけど、今じゃない。自制しろ私!

 様々な感情にこころがわたわたしつつ、紬に宣言した。

「し、親友だよ!」

「ふぅーん、ま、いーや。今度詳しく聞かせてね、綾音ちゃん♪」

 ニコリと笑う紬。

 え?

 サッと綾音を見ると私より一瞬早くスッと視線をらす。

 怪し過ぎる。

「おっと、そろそろバイト終了の時間だ。またねー」

 紬は時計を確認するとあっさりと去ってゆき、気まずい雰囲気の私達だけか残る。

「……」

「……」

 無言で見つめる私と不自然に顔を合わせない綾音。

 しばらくして、咳払いをした綾音がぽつり。

「……えっと、き、着替えてきたら?」

「今度詳しくって、どういうことかな?」

 口元には笑みを作って優しく訊ねた筈なのに、何故か綾音はびくりとしていた。

 綾音は何度か口を開いては閉じるのを繰り返してから、ようやくあきらめたのか素直に白状した。

「その、れ、連絡先を交換しました」

「え? 二人って以前から面識あったの?」

「いや、は、初めてだけど……。その、少し話してみたら意気投合しちゃいまして」

 それにしても早過ぎる気がするなぁ。

「……本当に?」

「半分は……」

 半分? 

 首を傾げつつ、じぃっと見据えると私の視線に耐えられなくなったのか、素直に説明を始めた。

「えーと、話してみて意気投合したのは事実だけど、連絡先を教えてくれたら、これをあげるって言われて……」

 そう言うとスマホを取り出して蓮花という専用フォルダを開き、写真を何枚かスワイプさせる。

 私がバイト中に子供へ手を振っている写真や牛乳プリンを食べて頬をとろけさせている写真……その最後には私が汗をかいて着替えている時の写真が一枚……。

 やば、と小さな声が聞こえたということは、この写真は伏せておくつもりだったのだろう。

 固まる私に綾音が弁解する。

「いや、これは違うから! 私は蓮花がちゃんとバイト出来ているか気になってその様子を知りたくてさ! だから、別にやましいことは無くてね!」

 そんなに必死に否定されるとますますウソっぽく聞こえるなぁ。

 わたわたする綾音を半眼で見据え、一言。

「えっち……」

「うぅ……」

 しょんぼりとする綾音を見ていると、何かこんなシーン、マンガとかでよくあるなぁと思った。

 正直なところ、私は別に怒ってはいなかった。

 綾音が私のことをちゃんと気にかけてくれているのは嬉しかったし、そ、それに……わ、私の下着姿とかにも少しは興味を持ってくれているという事実は恥ずかしいけど、でもちょっぴりお互いの想いが通じ合えてきてるのかなぁ……って、な、何考えてるの私っ?!

 慌てて頭に浮かんだ妄想を書き消すのだった



          *


「ごめん」

 図書館の駐輪場に着いたとき、ふいに綾音が謝ってきた。

「え?」

「蓮花に黙って紬ちゃんと連絡先交換したの、嫌だったかなって」

「そんなことないけど、ただ……」

「ただ?」

 私は横に立つ綾音を見上げる。

「その、紬ちゃんと連絡先を交換した理由は本当に、さっき話しただけ……だよね?」

「うん。どうして?」

 不思議そうに訊ねてくる。

「だって、紬ちゃん私よりも可愛いし、すぐに友達になったみたいだからさ。その……いつか、彼女と私より仲良くなってフラちゃうんじゃないかって……」

 急に心配になったのだ。

 俯いて黙り込む私は彼女の足元を見つめ続ける。

 そっと、彼女の手が私の肩に触れたと思った瞬間――ぎゅっと抱き寄せられた。

 一瞬のことにびくりとする私の耳元に綾音の柔らかな声でささやかれる。

「大丈夫だよ。私の彼女は蓮花だけだから」

 その声音に息が止まりそうになり、首の後ろの辺りから熱が生まれるとじりじりと頬に流れて来る。


 私ってば、本当、チョロ過ぎでしょ。

 思いつつ、その甘い幸せをめるように彼女の胸に頬をうずめるのだった。








          ◆◇


「えーと次は……うぇっ、牛乳二本。こっちはしょうゆ、みりんに砂糖、みそ……ここぞとばかりに重いものばかり注文してる」

 もちろんポイントカードも抜け目なく渡されていた。

「あはは、なんか静香さんならやりそうかも」

「蓮花も分かってきたみたいだね。そういう人なんだよ」

「でも一緒に居ると楽しそうだけど」

「それは隣の芝生しばふだからそう見えるだけだよ」

「あ、牛乳みっけ♪」

 とててっと、蓮花が嬉しそうに冷蔵コーナーから牛乳を回収してカートにあるかごに入れる。

「ありがと。何か蓮花、楽しそうだね」

「綾音は楽しくないの?」

「まあ、買い出しという名のパシりだからねぇ」

「そだね、でもここに好きなお菓子一つ買ってもいいってあるよ」

 いやいや、今どき女子高生がお菓子一つで喜ぶってどうなの?

 そう思っていたら、蓮花が手元をいじいじさせながら話し始めた。

「というか、一緒にお夕飯の食材とかをスーパーに買い物に行くとか、まるで同棲どうせい生活してるみたいだなーとか、思っちゃったり、思っちゃったり……」

 思っちゃったりしまくりだった。

 蓮花と同棲かぁ……もし、このまま付き合いを続けていけば近い将来、例えば高校を卒業してお互いに親元を離れて大学とかに通うことになればあり得る話なのかもな。


 彼女と付き合い始めてから今のところ特に不満とかはなかった。

 時々面倒くさいとか、このままだと太りそうだなぁとか、思わないこともないけれど、大きな不満点はなかった。

 そういうものだと慣れてしまえば、さして気にならないし、何よりもそんなことはどうでもいいと思えるくらいには彼女が好きだ……て、何を考えてるんだ、自分は!

 慌てて脳裏に描かれた蓮花の可愛い表情集を振り払う。

「綾音?」

「うぇ?!」

 彼女に視線を戻すと、鼻が触れ合いそうな距離に顔があった。

「顔、赤いけど大丈夫?」

 そういって額に手のひらをぺたりとする。

 冷たくてすべすべな指先に余計熱が出てきそうだった。

「んー、大丈夫そだね」

「うん、だいじょぶだいじょぶ!」

 むしろこの、状況のほうが全然だいじょばないのだが。

 手を離し、一歩後退すると手元のメモを読み上げた。

「えっと、砂糖、砂糖取って来て!」

「りょうかーい♪」

 調味料コーナーに消える背中を眺めながら内心の想いがバレなかったことにホッとするのだった。



          *


 夕飯の食器を片付けていると、琴美が近付いて来て、耳打ち……しようとしたけど、あきらめてしゃがむようにジェスチャーしてくる。

 身長が足りない。

「ねーちゃん、例のブツは買って来てるんだろーな」

 何とも怪しげな物言いである。

 まあ多分あれのことだろうと当たりをつけつつ、すっとぼけることにした。

「何のこと?」

 するとさっきまでの偉そうな態度から一点、おどおどする。

「ま、まさか忘れたのか?!」

 答える代わりに首を傾げる。

 ガッカリした彼女がとぼとぼとリビングを後にしようとする。

 その背中に蓮花が声をかける。

「こ、コトミン!」

 首だけで振り向く琴美に、蓮花が愛想笑いを浮かべる。

「あ、後で一緒に牛乳プリン食べよ! コトミンのも買ってきたから」

 何とも健気な可愛らしい彼女である。

 そういうところも好き♪

 しかしその言葉も空しく、無言で向き直った琴美の表情は曇天どんてんの如くどんよりとしていた。

 ドアノブに手を伸ばし、ため息と共にリビングを後にしようとする琴美の背中に、流しで洗い物をしている母親から声がかかった。

「コトミ~ン、もう少しで洗い物終わるから、お父さんと花火の準備しとけー!」

 パッと振り返るその顔は驚きと嬉しさに目を輝かせていた……けど、私達の視線に気付くとすぐにムッとした顔に戻りつつ、一言。

「だから、コトミン言うなし」



          *


「コトミンコトミン! こっちの花火も綺麗だぞ!」

「う、うん。て、こっちに向けないでよ!」

「片手空いてるでしょ、これもあげるよ」

「いーよ、危ないから」

「両手で持ったほうが二倍綺麗でしょーが」

「でも二倍早く終わっちゃうよ」

「子供がそんなこと気にするなって! じゃあじゃあ、私が文字を書くから当ててみ」

「ちょっ! だからこっちに炎を向けるなー!」

「コラ、逃げるなー!」

「にげるわー!」

 バタバタと走り出す二人。

 ご近所さんに迷惑だし、恥ずかしいから本当止めて欲しい。

 父親はそんな二人の光景を微笑ましそうに眺めている。こちらはこちらでもう少し妻の暴走を止めてくれないだろうか。まあ勝ち目はなさそうだけど。


 溜め息を吐く私に、蓮花がクスクス笑う。

「綾音のお母さんは優しいね」

「優しい? いや、ただ子供なだけでしょ」

「そうかなぁ? 一緒に娘達と楽しもうとしているように見えるけど」

「いやいや、あの母親にそんな他意はないって。あれは単純に自分が楽しんでるだけだね」

「そうかなぁ、何か誰かに似て……あ、お兄ちゃんもいつもあんな感じなんだよ」

「あー」

 何か分かるかも。

 陸人さんと二人、本当気が合いそうだ。


「うちの母親は、子供のまま大きくなったような感じだよ。あんな性格だからさ、中学の頃なんてしょっちゅうケンカしてたよ」

「そ、そうなんだ……あのさ……」

「ん?」

 蓮花は手元の花火を見つめながら、そろりと訊ねる。

「中学生の頃の話、聞きたいな」

「中学の?」

「うん。あ、もちろん話したくなかったら、無理にとは言わないけど」

「んー、全然面白くないと思うけど」

 正直明るい話題ではないし気が進まなかった。

 けど、彼女が知りたいと言うのなら、話そうと思った。

「面白いとか面白くないとかじゃないの。私は綾音のことをもっとたくさん知って、理解したいんだ」

 よくもまあ、そんな恥ずかしいセリフを臆面おくめんもなく言えるなぁ。

 聞いているこっちのほうが恥ずかしくなってくるじゃん。

 苦笑しつつ、蓮花を見詰める。


 彼女のまっすぐな瞳、そこには幼い頃よりブレることのない静かな光があった。

 彼女は真剣に一生懸命に、私を知ろうと想ってくれている。


 それが彼女なりの私への愛情表現なのだろう。

 嬉しいけど、ちょっと重いかも。


 ゆっくりと一度、息を吐き出すと話し始めた……。



          *


 理由は分からないけど、中学生の頃、私は常に何かにイライラしていた。

 例えばクラスメイトがおっさん教師のダジャレに笑う中、私は一人ムスッとしていた。だって、全然面白くなかったから。

 面白くもないのに、笑うなんて変だから。

 普段、顧問の指導を素直に聞いている部員が、顧問の居ないところで陰口を言い始めると、私は聞こえないふりをして距離を取った。

 部員の適当でなあなあな態度が嫌で、一人で黙々と練習をしていた。

 幸い陸上部だったため、多少の意地悪めいたことをされても活動に支障はなかった。


 温厚な父親とは違い、母親とは些細ささいなことでしょっちゅうケンカをしていた。

 部活の帰り道に私を見付けると、必ず声をかけてきてすごくウザかった。

 母親は夏になると決まって暑くてダルーいと言ったり、冬には寒くて動くのが面倒だーと言ったりした。思ったことを考えもせず何でも口に出しているみたいで、その姿がクラスで何かにつけて騒いでいる奴らと重なりイライラした。

 大人なら何でも口にするのではなく、我慢したり考えて発言して欲しいと思った。

 中でも一番ウザかったのは、家を出る時に必ず玄関までついて来て私の目を見て送り出すところだった。


 その視線を今でも時々思い出す。

 今にして思えば、あれは私を心配しての事だったのだろう。

 私がちゃんと学校でやっていけているのか――要はイジメられたりしていないかと。


 私が話し終えると、彼女は俯いたまま、黙り込んでいた。

「ごめん、白けちゃったね」

 やっぱり、こんな話するべきじゃなかった。

 自然、深い息がれる。

 琴美達の方を見ると、最後のシメの線香花火をしていた。

「ちょっと花火もらってくるね」

 逃げるようにその場を後にした。


「あんたらので最後だから最後の後始末よろしくー」

 それだけ言って、両親と琴美はさっさと中に入ってしまった。

 ま、まあ逃げてきたわけじゃないから、別によゆーですけどね。


 二人向かい合って、線香花火を見つめる。

 線香花火の小さな火花を見ていると少し気持ちが落ち着いてくる。

「……ひとつ、聞いていい?」

「なぁに?」

「まだ、時々イライラしたりするの?」

「ううん、最近は全然ないよ」


 何故だかは分からないけど、イライラした日々はいつの間にか終わったようだった。

 始まりの理由が分からないのだから、終わりの理由が分かるはずもなかった。


「そっか、良かったぁ」

 彼女がホッと息を吐いて微笑む。

「私のことなんだから、蓮花はそんな気に病むこと無いのに」

「それは違うよ。大切な彼女のことなんだから、気に病むに決まってるじゃない」

「あ、ありがと……」

 照れ隠しにふいっとする私の背中に彼女の優しい笑い声が聞こえた。


 そう、蓮花は――彼女は私に対して全面的に優しい。

 彼女と居ると、ささくれだった気持ちが温かく柔らかな何かに包まれて、いつの間にか、まあるくなってしまう。


 中学時代、蓮花が居ない日々は、灰色の霧に包まれているようにかすんでいて、常にこころのどこかがうつろだった。

 こころの底から楽しいと思えた日々なんてほとんど無かったように思う。


 それが、高校生になって、蓮花と三年ぶりに再会し、意識し始めた時から、少しずつだけれど、私の中で様々なものが色付き出した気がする。

 目を閉じれば、蓮花との様々な体験や表情を思い起こすことが出来る。




 ああ、そっか――ふいに理解した。

 何故私が中学の頃、イライラしていたのか。




     私は、寂しかったんだ。     




 ずっと仲良しだった蓮花と離れ離れになって、それでも意地っ張りな私はその事実を認めようとせずに、何とか自分の力だけで中学生活を乗り切ろうと躍起やっきになって、その気持ちが反抗期や新たな学校生活等と相まって、性格をこじらせてしまったのだろう。



 小学生の頃、私は蓮花を守っていたから。

 彼女に泣き言を言うなんて出来なかった。

 でも、今なら……彼女同士となった今なら、少しくらい甘えても、いいよね。




 線香花火が珠と成って、最後の灯火ともしびを静かに終える。

「終わっちゃったね」

 ゆっくり立ち上がり、蓮花がバケツを取りに向かう――その腕を引き寄せて、ハグをした。

「あ、綾音?」

 どうしたの? というように頭をポフポフとでられる。

「……しばらく、このままでいたい」

 いいよ、と応える代わりに彼女の腕が私の背中に回され、ぎゅっとする。




 ふわりと彼女の髪が香り、私と同じシャンプーの匂いがする。




 彼女とまたひとつ、一緒のものが増える。





 不思議だ。






 たったそれだけのことで、何故、こんなにも胸が暖かくなるのか……。







 見上げた空はあいにくの曇り空で、雲間からわずかばかりの星がまたたいているだけだった。


 ハグを解くと、空を見つめながら言った。









「月が、綺麗だね」









 蓮花が後ろを向いて空を見上げる。

「んー? 月なんて見えない……」

 つぶいて、不思議そうにゆっくりとこちらへと振り返る――頬に、そっと口付けをした。

「ちょ……あ、綾音?!」

 蓮花が目を白黒させてはわはわとする。


 そんな彼女に笑いかけながら、私は二回目の告白をする。   





 あなたはいつでも私を明るく照らしてくれている。

 あの頃、気持ちが落ち込んで何もかもにみ付いて、斜に構えていた私を、あなたは月のように柔らかな光で優しく私を包んでくれた。




 あなたと再会して、中学生の頃の自分は救われた。




 あの三年間があったからこそ、今の自分があると思えたから。




 私にとっての幸いは、あなたと一緒に居ること。




 その事実を知って、もっと彼女が好きになって、胸がめ付けられるくらい、愛しくて、愛しくて……ただただその想いを伝えたくて……でも、気持ちをストレートに伝えるのはやっぱり恥ずかしくて、でも言葉にせずにはいられなくて、だから、だから私は……あの日、誤って伝えたセリフに、今度はより深いこころを込めて、つむいだ。







       月が綺麗ですね








 これが今の私が彼女に思っている、嘘偽りのない、真実の言葉ことのは、だった。




 意味を悟った蓮花がニコニコする。

「あ、ありがとう。す、すごく嬉しいよ」

 てへへ、と蓮花が照れくさそうに笑う。


 もちろん、彼女には私の思いが完全に伝わることは無かった。でも、それで充分だった。

 自分の想いを言葉にして彼女に伝えられることが大切だから……。


「ううん。こちらこそ、ありがとう」

「何が?」

「それは、まあ……い、色々だよ」

「何それ、テキトー」

 蓮花がクスクスと笑う。

 ちょっと悔しいけど、本当のことを伝えるのは、今の私には恥ずかし過ぎるし、ちょっと重いかな……と思うのだ。

「それよりさ」

「ん?」

 私は彼女の前髪のものをそっとでる。

「花の髪飾り、まだ付けてくれてるんだね。うん、やっぱり可愛い♪」

「?! お、覚えててくれたの?」

「そりゃあ、もちろん。だってそれ、私が初めて誰かにあげたプレゼントだったからさ」

「初めての、プレゼント……」

「そうそう、あの後母親にその件で怒られそうになったんだけど、理由を素直に話したら許してくれて……て、蓮花? 泣いてるの?」

「だ、だって……不意討ちだよぉ……うぅ……」

「え? 何が?」

「い、色々ぉ~」

「ふふ、蓮花もテキトー♪ って、ごめんごめん! そんなに泣くなよ~」

 本格的に泣き出したその瞳からこぼれ落ちる涙は外灯の光を反射して、空に散りばめられた星々のようにとても綺麗だった。






 気持ちが落ち着くまでの間、私は彼女を抱きながら、ずっと頭を撫でるのだった。











―――――――――続く―――――――――

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