第六話

「ほら、行こう♪」


 はずんだ声で私の手をにぎり歩き出す。

 その背中にあの日視た彼女の姿が重なる。


 自分より小さな指先からじんわりと伝わる熱が私の中に残っていたわだかまりをかして自然、笑みがこぼれていた。


 いつもより可憐かれんで、大人びた彼女を見つめながら、私はをするのだった……。








          ◆◇


 一言で表すのなら、それは大好きな本の新刊と向き合う時の心持ちに似ていた。


 あの指先がふるえる錯覚さっかくと、胸が高鳴る感覚。

 目を閉じてぎゅっとめると、表紙のイラストや文字が脳裏に思い浮かぶ。


 今回はどんな物語がつむがれるのだろうか?

 あの二人はどんな経験をするのだろうか?    

 少しずつ距離きょりを縮めていけるのだろうか?


 その高揚こうようとした気持ちは読み終わると失われてしまう。それがさびしいと思いつつも、続きが気になる私はついつい文面を追ってしまう。




 彼女と相対あいたいする事――それは私にとって、ワクワクやドキドキといった様々な感情をさぶる本を読む時の心持ちに似ているのだった……。




 回遊魚みたいに室内を歩き回っていた。

 時々鏡の前で立ち止まり、前髪まえがみを手でくしくしとしたり、薄塗うすぬりのメイクを気にしてみたり、くるりと回ってもう何度も検討けんとうされた服装を確認する。


 彼女の事を思い浮かべ、にこにこしたり、ニヨニヨして、あわてて咳払せきばらいをする。気持ちを落ち着けようとベッドに座ると、無意識むいしきに彼女からもらった髪留かみどめにれていることに気付き、この前のお泊りデートでの彼女の笑顔や優しい言葉を思い出してしまい、ほおを染めて足をぱたぱたとするのだった。


 もう、ちょっとは落ち着きなさい!

 ローテーブルの上に置いてあるグラスを手に取り、ぐいっと一気飲いっきのみし、水が気管に入ってむせてしまう。


 涙目なみだめになりながら、ふと窓の外を見下ろしたとき、じんわりとにじむ世界の中に、ゆっくりと動くものをとららえる。


 ひらひらと手をられる。


 り返しながら気持ちが高揚こうようとしていくと同時に、こんな想いもいつかは失なわれてしまうのかな、とさびしさを覚える。


 それはまるで本を読み終わったときのように……。一度読み終わってしまうと、どんな本であっても、初めて感じた時の新鮮しんせんな気持ちは失われてしまう……。


 それでも……いや、だからこそ、今の気持ちを大切にしていこうと改めて思うのだった。








          ◆◇


 インターホンを鳴らすと予想に反し、現れたのは蓮花の母親だった。


 うちの母親と同級生らしいのだが、どう見積もっても二十代半ばぐらいにしか見えない。

 あるいはこれは姫宮家のなぞのひとつなのかも知れないな。

 ふむ。そう考えると蓮花がいつも幼く見えるのはこの遺伝子によるものと思えば少しは納得できる気がする。


「はーい。あら? 綾音ちゃんお久しぶり」

「あ、お久しぶりです」

「うん、やっぱり静香しずかに似て美人ねぇ~」

 一瞬いっしゅん考えて、自分の母親だと分かる。

「は、はあ……」

 比較対象ひかくたいしょうがあの母親と思うと素直に喜べない。というか、美人ではないと思うし、正直反応に困る。


「お母さん! 私が出るって言ったでしょ」

 ぱたぱたと階段をけ降りてきた蓮花が母親をぐいぐいと押している。

 この前の私と同じことをしていた。


「あいさつぐらいしてもいじゃないの、ねぇ?」

「ええ、まあ……」

「もう、そんな質問されても困るだけでしょ。ほら綾音、行こう」


 蓮花に手を引かれる形でクツをぎ、用意された私には可愛い過ぎるミッフィーのスリッパ(耳がピョコンとねている)にえて階段に向かった。


「蓮花、あとでお菓子、持ってくね~」

「いいよ、自分で持っていくから。それより、部屋に入って来ないでね」

「えー、つまんなーい」


 むーっ、とねた顔をする。

 そのやりとりは親子というよりも年の近い姉妹のようだった。



          *


「お菓子持って来るね」そう告げて、蓮花はいそいそと部屋を出ていった。


 蓮花の部屋へは、風邪かぜを引いたのとき以来の訪問だった。

 ペールピンクを基調とした室内には、手触てざわりの良さそうなクッションやミッフィー等の可愛らしい小物類が置かれている。

 ほんのりと甘味のある香りは、フレグランスによるものらしかった。


 机の卓上たくじょうカレンダーに気付いて手に取ると、目付きの悪い猫が肩をいからせてランウェイを歩くかのごとく、三列で堤防ていぼうの上をオラオラ歩きしていた。


 カレンダーを裏返すと案のじょう、私の部屋にけてある動物写真家と同じだった。


「一緒だね」とうれしそうにはにかむ彼女のことを思い出し、危うく頬が緩(ゆる)みそうになる。

 ひとり室内で彼女の妄想もうそうをしてニヨニヨするなんて完全にヤバい奴じゃないか。いや、カップルにとっては案外普通なのかな? 初めてのことだから判断はんだんがつかない。経験値が足りなかった。


 しばらくしてドアをノックされる。

 蓮花が両手でおぼんを持っていた。

 おぼんをローテーブルに置くと私にクッションに座るよう指で示したので、大人しくしたがうと、すかさず私のとなりに自分のクッションを寄せると、「それじゃ、食べよー♪」とうれしそうにするのだった。



          *


『もぐもぐタイム』が落ち着くと、彼女からアルバムをわたされて受け取……ろうとするのだか、なかなか手をはなしてくれない。


 蓮花を見るとややむくれ気味ぎみの顔――そこでようやく彼女にまだあの言葉を伝えていないことに気付く。

 手をはなすと、反省の意味も込めてそっと彼女のかみでる。


 彼女が目尻めじりを下げる。でも、こちらを見つめるひとみは「まだ、いてないんだからね」とうったえていた。

 そんな真剣なひとみで見つめられるとなんだかずかしくなってくるんだけど。


 彼女をそっとき寄せる。

「あ、綾音?」

 彼女がやや戸惑とまどった声をらす。その耳元に、内緒話ないしょばなしをするようにささやいた。


「蓮花、今日も可愛いよ」

「ふぁ、あ、ありがと。綾音も可愛いよ♪」

 甘えるような声でぎゅうっとされる。 

「いや、私なんて可愛くないし」

「そんなことないよ、可愛いっていう言葉を伝えるだけなのに、ほおしゅに染めて、私の視線からのがれるためにハグをして、それでも私に想いを伝えてくれた綾音はすっごく可愛いよ♪」


 ぐうの音も出ない。

 純粋じゅんすいな彼女の言葉なだけに効果はバツグンだ。というか、丁寧ていねいな解説とかマジでやめてください。ずかしさがよみがえってくるから。

 せっかく冷めてきたほおの熱が再加熱し始めそうだった。


「……このままハグしててもいい?」

「うん、いいよ」


 そう答える彼女の声が少し笑っているように聞こえたのは、気のせいだと思うことにした。








          ◆◇


 スマホのマンガアプリを読みながら様子をうかがっていた。


 彼女は私がアルバムを観る時とちがって、黙々もくもくとページをめくっていた。

 私ならいつごろの写真なのか気になってついつい質問をしてしまうんだけどなぁ。


「ねぇ」

 アルバムに視線を向けたまま、綾音が私に話しかけてくる。

「なになにー?」

 おしゃべり出来るのがうれしくて、肩がれるくらいの距離きょりまで近寄って、「ちょっ、近い近い」と笑いながら注意をされる。


 でも綾音ははなれようとしなかった。

 おせんべいの表面にあるザラメみたいに分かりやすい私の甘えアピールもしっかりと受け入れてくれる綾音に、改めて彼女の彼女で良かったなと思い、そんな想いに自爆。ちょっぴり照れる。


 その写真は、私がまだ幼いころに家族で出掛けたお祭りの写真だった。

写真には浴衣姿ゆかたすがたの私とお兄ちゃんが写っている。


 お兄ちゃんがどや顔をしてダブルピースしているのに対し、写真がずかしい私は、指をフレミング左手の法則ほうそくみたいにした出来損できそこないのピースをして、うつむいて、小さなりんごあめで口元をかくしている。


「この写真がどうかしたの?」

「そろそろ、夏休みも終わりだねぇ……」

「え? う、うん。そうだね」


 いや、全然話がつながってないけど?

 首をかしげつつ、話を合わせる。


「まだ少し夏休みがあるけど、蓮花はまたどこか出掛けたいところとかはある?」

「え? うーん、あ、海とかどうかな?」

「海……いやー、海は止めたほうがいいんじゃないかなー? もうおぼんぎたしー、クラゲとかウヨウヨしてそうだしー」

「ん、そだね」


 そう言えば、以前海へ行きたいと綾音に言った時も色々な理由を並べ立てられてことわられていたんだった。

 まあ、いいけど。綾音は充分じゅうぶんにスリムだと思うんだけどなー。

 言っても信じてくれなさそうだけど。




「……とか、どうかな?」




「え?」

 いつの間にか話が進んでいたらしい。

「ああ、いや、べ、別に蓮花がいやならいいんだけど……」

「えっと、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」


 綾音はアルバムをテーブルに置くと、バッグから紙を取り出しそっとわたしてきた。


 そこには大輪たいりんの花をかせた花火とそれを見上げるカップルがシルエットでえがかれ、中央のあたりに花火大会の文字。


「そ、その、バイト先にチラシが置いてあってさ。聞いた話だと、浴衣ゆかたで行くと商工会のお店でちょっとした割引きもあるらしいんだよね……れ、蓮花は、浴衣ゆかた持ってる?」

「多分、中学生の頃のがあったと思う」

「そ、そっか」

「綾音は?」

「わ、私? 私は昨年買ってもらったばかりの浴衣ゆかたがあるよ」

「ふーん」

「う、うん……」

「……」

「……」

 彼女の意図いとに気付きつつ、私はだまって次のセリフを待った。


 ゴールデンウィークのデートは二人で一緒いっしょに決めたけど、綾音は私の行きたい所に付き合ってくれる形だった。

 この前の都内デートやお泊まりデートも私が進んで計画したものだった。


 もちろん、今までに彼女からたくさんの優しい言葉や温かい気持ち、それにちょっぴりずかしくもうれしいれ合いから私を大切にしてくれているというのは充分に伝わっている。


 でも、彼女から聞けていないセリフがあって、それが今まさに、聞けるチャンスなのだ。

 そんなにあなたは聞きたい? と問われれば、もちろん私は――聞きたい、聞きたい♪      




 だから私は知らんぷりを通す。

 だって、好きな人からの初めてのさそい文句は、やっぱりちゃんと聞きたい。


 彼女は少し困ったように私を見つめていた。


 ねぇ? 気付いてるよね?

 もちろん、気付いてるよ。

 どうしてその一言を言ってくれないの?

 そんなの、綾音の口から聞きたいからに決まっているでしょ。




 言葉にしなくても伝わる想いはあるけど、それでも時にはちゃんと言葉にして伝えて欲しい想いもあるんだよ。




 あ、少しむっとしてるみたい。

 口元に笑みが浮かびそうになるのをおさえつつ話しかける。


「ねぇ、綾音」

「な、何?」

「綾音の可愛いおねだり、聞きたいなぁ~」

「お、おねだりじゃないし!」

 明らかにむっとされる。

 最近の綾音は思いのほか分かりやすい。

「ねぇ、ちゃんと言って欲しいな。私は綾音の言葉で、ちゃんと聞きたいよ」

「……」

 綾音は姿勢を正すと目を閉じ、ひとつ息をいてから、まっすぐこちらを見据みすえる。




「蓮花、私と一緒いっしょ浴衣ゆかたデートしよう」 




 初めて綾音からデートにさそってくれた、その事実がうれしくて、ほおを赤らめて肩に寄りかかってくる彼女のかみを私はそっとでるのだった。








          ◆◇


 無料動画配信サイト等で色々調べてみたけどうまく出来ず、あきらめて母親をたよることにした。


 昼食を終えた母親が洗濯物せんたくものたたみ始めると、そのとなり一緒いっしょなって座り手伝う。

 母親は手を止めて不思議そうな顔をしていたが、すぐに黙々と作業を再開する。

 終わったタイミングで声をかけた。


「あのさ今日夕方祭りに行くんだけど浴衣ゆかたの着付けしてくんない?」

 早口で一気に言い切り、息をいた。

 母親はそんな私をじっと見つめたのち、何度か小さくうなづいた。

「ふーん、そういう事か」

 こういう時、母親に余計よけいなことを言うとヤブヘビになるのは経験上分かっていた。


「それじゃ、お願いしたからね」

 さっと立ち上がり、部屋にげようとする――が、手首をつかまれ、座らされる。

「ちょいちょーい、まあ待ちなさいってそこのプリティ・グアール♪」

 無駄むだに良い発音が神経をザラリとなぞり、あせりから来る苛立いらだちに顔をしかめる。


「な、何?」

「誰と行くのん?」

「別に、だれでもいいでしょ」

「蓮花ちゃんと浴衣ゆかたデートかぁ、いいねぇ、夏ぃねぇ!」

「で、デートじゃないし」

ほおを赤くして言われても説得力ないしぃ」


 あわてて顔をかくす私に「まあ冗談じょうだんなんだけどねー」と笑われる。完全に母親の手のひらでおどらされていた。


「とにかく! 浴衣ゆかたの着付けたのんだからね」

 手をはらうとそれだけ伝え、ドアへ向かうと背中に声をかけられる。


「おーい」

 ドアノブに手をかけたままり返る。

 母親がにこにこと笑いかける。

「合わせてヘアアレンジもしてやろうか?」

「……お、お願いします」

 今の私の顔は、きっと人にお願いをするときの顔ではなかったと思う。それでも母親は特に気分を害する事なく、むしろうれしそうに「りょうか~い」とうなづくのだった。








          ◆◇


 洗濯物せんたくものを手にドアを開けると、ムッとした娘がたたずんでいた。


「お母さん、ノックしてから開けるように前に言ったよね」

 そんな事を言われたような気もするなぁ。

「うっかりしてたわ~」


 あははーと笑って受け流す。

 それにしても、ついこの間まではそんな事を一言も言われなかったのに。

 少し遅い反抗期はんこうきかしら?

 洗濯物せんたくものを蓮花にわたした時、ふと机を見ると花火大会のチラシに気付いた。


「花火大会に行くの?」

「う、うん」

「いいわね~、今から楽しみねぇ」

「ま、まあね」


 会話が広がらないように無愛想ぶあいそうな返事をしているのに、口元がゆるんでいるのがアンバランスで微笑ほほえましかった。

 可愛いなぁ、この娘。誰の娘かしら? ああ、私の娘かぁ。うんうん、可愛く育ってくれてお母さんうれしいわ♪


「やっぱり綾音ちゃんと行くの?」

「べ、別に誰でもいいでしょ」

 軽くたずねてみただけなのに、ほおしゅに染めて回答をこばまれる。分かりやすいなぁ。


「……そ、その、お、お願いがあるんだけど……」

「なぁに?」

「え、えっと……ゆ、浴衣ゆかたで行きたいなって思ってて……それで……」


 彼女の意図いとはすぐに理解出来たけど、最後までくことにする。

 指をもじもじさせながらこちらをチラチラとうかがう姿が何ともいじらしくて、ついついじっと見つめていたかった。


 話を聞き終えるとふたつ返事で了解した。

「着付けとヘアアレンジね。うん、お母さんに任せて。そうと決まればこれからお出かけしましょうか」

「え?」

 娘がきょとんとする。

「だって、あなたに浴衣ゆかたを買ったのって中学一年生のころよ。さすがにサイズが合わないわよ」

「あ、ありがとうお母さん」


 満面の笑みで頭を下げる彼女に笑顔で返し、出かける準備をするために部屋を後にするのだった。








         ◆◇


 電車に乗り込みシートに座る。

 なんとも、ふわふわとして落ち着かない心持ちだった。


 うぅ、ずかしい……。

 自分で提案ていあんしておきながら、後悔こうかいし始めていた。

 そんな事を今さら思ってみても、仕方のない事なのに。こんなとき、いつもの私ならさっさと気持ちを切りえられるのに、なぜだか今回はうまくいかなかった。

 目を閉じて、気持ちを落ち着けるべく、深呼吸をひとつしようとして、ふいに気になって巾着きんちゃくから小さな手鏡を取り出すともう何度目かの髪型かみがたのチェックをする。


 そうこうしているうちに、電車はとなりの駅に到着していた。


 ドアが開き、目が合った瞬間しゅんかん――こめかみのあたりがわずかにふるえ、目のおくで小さな火花がはじけたような錯覚さっかくがした。


 一本の三つみにまとめられた黒髪くろかみしゅあいで描かれた花柄はながら浴衣ゆかたに身を包む姿は、少し大人びていて、今まで視てきたどの彼女とは一味違ひとあじちがった魅力みりょくあふれていた。

「こ、こんばんは」

「……う、うん……」

 なんとか返事をして、手元にある巾着きんちゃくをぎゅっとにぎり込む。

 しずしずと歩いてくると私のとなりに座った。


「なんか、着慣きなれてないから、ちょっぴりずかしいな」

「わ、私も。ずっと落ち着かなくて……」

 お互いに口元をもにょもにょさせて照れ笑いを浮かべる。

 蓮花が周りをキョロキョロしてから、そっと私の手を包むように自らの手を重ねる。

「えへへっ、一緒いっしょだね」

 いつもの笑顔を向けられたおかげで、気持ちがしだいにしずまっていく。

「……可愛い」

 ほろりと、本音がれていた。

「ありがとう。綾音もお団子髪だんごがみ可愛い♪ 浴衣ゆかた向日葵柄ひまわりがらもよく似合ってるよ」

 蓮花がかみをそっとでる。

 ちょっとずかしくて、でもうれしくて。ぼそぼそと小さな声でお礼を伝えた。


「今日はお祭り、楽しもうね♪」

 不意打ちに耳元で蓮花が甘くささやく。

 思わず飲み込んだつばは、砂糖が含まれているように甘く感じた。

 うつむいた私は、彼女の重ねられた手をそっと恋人繋こいびとつなぎにするのだった。








         ◆◇


「はぐれたら大変だから」


 改札を抜けると多くのお客さんで駅の構内こうないはごったがえしていた。

 親子連れ、大学生や高校生のカップルや友達グループ、小学生中学生、おじいさんおばあさんの集まり等、エトセトラエトセトラ……。

 他にも待ち合わせ中なのか、かべや柱に寄りかかりながらスマホをいじったり本を読んでいる人々もいる。


 この中のどれくらいの人がお祭りに行くのかは分からないけど、いつも以上の人手に駅は活気があふれていた。

 その光景に圧倒あっとうされ、たたずんでいる私の手を取って、彼女は先程さきほどの言葉を告げたのだった。


 先を歩く背中を見つつ、別に理由なんてなくても私の手はいつもあなたから差し伸べられるのを待っているのになぁと思い、でもそういう物言いをするところもまた、彼女らしいなと微笑ほほえましく思うのだった。



           *


 駅前ロータリーに出ると一様いちように同じ方角へ向かう流れが出来ていて、私達もその流れに乗る形になる。


「ねぇ、綾音はお祭りで何が食べたい?」

「え? んー、たこ焼きとお好み焼きと焼きそばかなー」

「焼いてるのばかりじゃん」

「ほんとだ、蓮花は?」

「チョコバナナとかき氷にりんごあめかな」

「全部お菓子じゃん」

「あはは、そうかも」

「それなら、お互いに買ったのを半分こしよっか。そうすれば色々食べられるし、それに……か、カロリーも半分で済むし」

「え?」

 後半がごにょごにょとして聞き取れず、聞き返してもかたくなに彼女は教えてくれなかった。








         ◆◇


 花火は川の上で打ち上げられるため、屋台は川沿いにある土手の道にのきを連ねるようにして設営せつえいされていた。


 店主の呼び込みの声、誰かのおしゃべりや笑い声、鉄板で何かが焼ける音、鼻を刺激しげきするあぶら香料こうりょうのにおい、その中を行き交う人々。

 様々な声や音やにおいなどと昼間の夏の残滓ざんしけ合い、賑々にぎにぎしい活力と熱気に満ちていた。


 どこからか流れてきた祭囃子まつりばやしの音に胸が独特の高揚感こうようかんを覚える。

 それは彼女も一緒いっしょなのか、微笑ほほえみながら鼻歌を口ずさんでいた。



          *


 チョコバナナを一緒に食べて、かき氷とお好み焼きを買うと道から少し外れた所にあるベンチの空席を見付けた。


「……ちょっと疲れたかも」

 ベンチに座ると蓮花がため息を吐いた。

「うん、思った以上に人混みがすごいからね。飲み物買ってくるよ、何がいい?」

「あ、私も……」

 あわてて立ち上がろうとする蓮花を制して首を振る。

「いいよ、私ひとりで行ってくるから休んでなよ。近くにあるの見つけたからすぐ戻るよ」

「ありがとう。じゃあ、お茶をお願い」

「了解」


 お茶と水を買って戻ると蓮花がぼんやりと夜空を見上げていた。

「絵になる」とはこういう事をいうのかな? 絵心の無い私にはよく分からないけれど、そのたたずまいはとても美しくて、いつまでもながめていたかった。



          *


 休憩きゅうけいを終えると、花火の時間まであと三十分くらいだった。

 たこ焼きの列に並んでいると、すぐ後ろから聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「知ってる? タコってみんなが頭だと思ってる所って本当は胴体どうたいなんだよ」

「へぇ」

「つまり、タコの体は上から胴体どうたい、頭、手と足になるんだよ」

「それは分かったけどさ、何でたこ焼きを食べる前にお前はそんな話をするんだよ」

「そんな気持ち悪い生き物をあなたの代わりに全部食べてあげようという私のあなたに対する愛と勇気と優しさなのさ」

いやがらせにしか思えないんだが」

 振り返ると数人をへだてた所にいつもの凸凹でこぼこコンビの二人がいた。

深谷ふかや本庄ほんじょうじゃん」

「おー、綾音ッチッチじゃーん」

 深谷が手をぶんぶんとってくる。

 「ッチ」が増えていた。増やすな。まだそれ続いてたのか。というかずかしいから大声やめい。


 たこ焼きを購入こうにゅうすると四人で歩きながら話す形になる。


「よ! 久しぶり」

「ぶりー」

 本庄のセリフの最後二文字だけで深谷があいさつを済ます。相変わらずのマイペース&適当ぶりだった。

「二人もお祭り来てたんだ」

「まーな、こういうのがないとこいつ、毎日うちの家に来てだらだらしていてウザいからさ」

「じーちゃんの家にご一緒いっしょしましたけど?」

「それは別。というか、。てかいつまでうちのじーちゃんの家に付いてくるつもりなんだ」

「そこに本庄が行く限り」

「すごいなお前」

「どやぁ」


 深谷がえらそうに胸をらすと、ゆさゆさとれて、私の劣等感れっとうかんさぶられ、同時に暗い感情が芽生めばえそうになる。

 いつも深谷といる本庄にちょっと尊敬そんけいの念をいだきそうになった。

 それはさておき深谷、

めてないぞ」

めてないよ」

「そうなの?」

 ユニゾンで返された深谷が少しおどろいたように蓮花に話をる。

「え? えーと、か、カッコいい、ねぇー」

 幼子おさなごすら誤魔化ごまかせないレベルの大根役者ぶりを発揮はっきしていた。

「どやどやぁ」

 深谷のウザさが5割増しした!嬉しくねぇ。


「えっと、この子が前に学校で話してくれた幼なじみちゃんかい?」

 深谷のほおを人差し指でひとしきりグニると本庄がたずねる。

「うん。蓮花、この二人は私と同じ高校に通ってる友達で……」

「深谷さんと本庄さんね」

「初めまして、本庄です。よろしくね」

 本庄がぺこりと頭を下げるとその頭を手でおさえながら深谷も頭を下げる。

「深谷です。こいつのよめです」

だれよめだ!」

 すかさず本庄が深谷の手をはらいのけついでに胸をはたき、深谷から頭をたたかれていた。

「ああん?! やる気かこらぁ?!」

「わー」

 棒読みですったかすったか深谷が土手を降りるのを本庄が同じく追いかけるのだった。


あらしのような人達だったねぇ」

 蓮花が目を丸くする。

「まあ、いつもあんな感じだよ」

 多分、彼女達なりに気を使って早めに切り上げてくれたんだろう。

「……でも、ふたりともすごく仲良しさんみたいでうらやましいかも」

 蓮花が二人の方をながめ、微笑ほほえんでいた。

「そ、そうかな? わ、私達も負けてないんじゃないかな」

 つい、口をついて出た言葉は思いのほか、子供っぽく聞こえ、ずかしくて

 ふいっと顔をらすと、余計にねているみたいになってしまった。


 そんな私に彼女がそっと頭をでる。

「うん、そうだね。私達は私達のかたちではぐくんでいこうね」

 ふわりと、羽毛に包まれるようにやわらかであたたかな言葉に、つい無愛想ぶあいそうな反応で応えるのだった。








          ◆◇


「おりょ? 蓮花じゃん」


 声のした方を見ると美波みなみちゃんとしおりちゃんがいた。

「二人もお祭りに来たんだ」

「うん、しおちゃんとよく来てるんだー♪」

「しおちゃん言うなし! わ、私は別に行くつもりなかったのに、美波に無理矢理連れ出されただけよ」

「だってしおちゃんさ、有明ありあけのイベントに向けた作品作りとか言って、夏休みだってのに、全然外に出ないんだもの」

「お祭りなんて陽キャイベになんて興味きょうみないのよ。それより今回初めて受かったのよ! 絶対に落とせないんだからね!」

「その割りには昨日から今朝けさにかけて机に向かったまま、一文字も書けてなかったじゃん」

「そ、そういう時もあるの! でもそこであきらめたらいつまでっても完成しないじゃない」

「そうかもしんないけどさ。たまには外に出て気晴らしもしないとー」

「……一理いちりあるわね」

 うぐぐっと栞ちゃんがうなっていた。

 しゃかまえたような態度たいどを取ることの多い彼女だけど、基本は素直なのだ。

「……って、いきなりこんな身内話をしちゃっててごめんねー」


 美波ちゃんが綾音のほうをチラリと見て頭を下げ、綾音が首をる。

「蓮花、そろそろおとなり黒髪くろかみのご麗人れいじんを紹介してくれないかしら?」

 栞ちゃんが綾音を紹介してとうながしてくる。

「えっと……」

 一瞬いっしゅんなんて伝えようかにまようと、綾音が口を開いた。

「姫宮さんの幼なじみの蒼海あおみです」

 ……あーうん、そうだよね。それが一番無難ぶなんな回答だよね。うん……。

 なんとも言えないもやもやとした気持ちをつば一緒いっしょに飲み込んだ。

「蓮花の友達で栞です」

「同じく、美波だよー。幼なじみ……あ、一学期の時に話していた人かな?」

「う、うん」

 と、栞ちゃんがあごに手を当ててぼそぼそと話し出す。

「……ま、まさか女の人だったなんて……ん? 久しぶりに再会した幼なじみは実は女の子だった……ベタだけど展開としては色々アレンジが効きそう。よしこれで行こう! さ、美波帰るわよっ!!」

「え? まだ何も食べてないんだけど?!」

「いいネタが思い付いたのよ、ほら行くわよ」

「あ、ちょっと……もう! ごめんねー」

 軽く頭を下げると栞ちゃんの後を追いかけるのだった。


「……えっと……」

 突然とつぜんのことに綾音が困惑こんわくしていた。

「ごめんね、基本いい子なんだけど、時々ああいう所があって」

「ううん、優しそうな人達で安心したよ」

 その眼差まなざしはこの前、私に内緒ないしょの話をしてくれた時の彼女のお母さんに少し似ていた。

「蓮花、どうかしたの?」

 綾音が不思議そうにたずねる。

 本人に伝えてもきっと否定したり嫌な顔をするんだろう。

 そう思い、何でもないよと告げるのだった。



           *

 

 二人でりんごあめを食べ終えると、綾音がお好み焼きを買ってくるというので待っていたら、何故なぜか目付きの悪い女の子を連れて戻ってきた。


 黒の薄手うすでパーカーとチャコールグレーのキュロット姿の女の子は、長い茶髪ちゃぱつをツインテールでまとめていた。

 女の子はうでを組んで綾音の事を無言でにらみつけていた。


「綾音、その子は?」

「えっと、私も知らないんだけど、この前バイトをしていた時にからんできた人」

 綾音が苦笑しながら応える。

「そっか」

 うん、全然意味が分からないなぁ。

 むしろなぞが増した気がする。


「あんた、今日はあいつと一緒に居ないのね」

「あいつ?」

「何よ、この前はでおしゃべりしていたじゃない。どうせこのお祭りにも連れてきて……」

 仲良く二人きり? ふーん。

 私の視線に気付いた綾音があせったように相手の言葉をさえぎる。

「な、何の事よ!」

「とぼけないで! 一緒にデートに行ってプレゼント交換こうかんしたくせに!」

「デート? プレゼント交換こうかん? 」

「それで付き合ってないなんて言わせないんだからね!」


 私は大きく手をたたくと、二人がこちらに注目をする。

 大丈夫、ちゃんとニコッと笑えている。

 綾音が青ざめた表情をしているけど、それにはかまわず私は手を挙げた。




     「三者面談を要求します」      




          *


 土手を少し降りた所にあるそなえ付けのイスとテーブルを見付ける。

 先客のカップルが座っていたけれど、私と目が合うとそそくさと何処いずこかへと去っていった。

 名前も知らない二人の気遣きづかいに内心で感謝かんしゃしつつ、三人で席につく。


 テーブルをはさんで綾音と黒崎くろさきさん(移動中に教えてもらった)が座り、私はテーブルの側面から二人の横顔をうかがい、よく会社役員さんがするように手を組んだ上にあごを乗せて二人に視線を走らせる。

 お互い無言のまま時間ばかりが過ぎる。

 もたもたしていると花火が始まってしまうので、仕方なく私は司会役をつとめる事にした。


「黒崎さんの言うあいつって、誰の事?」

 うであしを組んだ黒崎さんが綾音をにらみ付けながらしゃべりだした。

「この前まで私が付き合っていた人の事よ」

「付き合ってた人?」

 彼女の視線のするどさから、薄々うすうす感じていたけど、やっぱりそういう人のことか。


「そう。シスコンで、いっつもデートの時間に遅刻ちこくして、ひまさえあればソシャゲばっかりやってるゲーマーの廃課金者はいかきんしゃ

「素シャケ? げえまあ? 肺か箘?」

 私の反応に綾音がコソッと説明してくれる。

 なるほどねー……て、結構けっこうくせの強い人と付き合ってたのね。

 黒崎さんへ同情の視線を送りそうになる。


「……でも、そんな奴でもさ。私が困ってる時にはちゃんと話を聞いてくれて手を差しべてくれるんだ」

「そうなんだ。例えば?」

「え? い、言わないとダメかな?」

 私の問いかけに黒崎さんがほおを染めながら見上げてくる。

「うん、是非ぜひ聞きたいですね」

「そ、その……モンスター○ンターの限定クエストがクリア出来ない時とか、レア素材を分けてくれたり……」

 またしても綾音から説明を受ける。

 ふむ、こちらもゲーマーさんなのかな?

 私の不思議な生き物を見るような視線に少しひるみつつも黒崎さんが話をまとめる。


「とにかく、この女はそんな私の彼をうばった泥棒猫どろぼうねこなのよ!」

 泥棒猫どろぼうねこ? あー、以前に読んだ百合ゆりマンガでもそんなセリフあったなー。

 綾音に猫耳ねこみみとか、似合いそう。黒猫くろねことかちょっとイメージ近そうだし。

 そんな私の呑気のんきな感想を他所よそに会話は進む。


「だから勘違かんちがいだって言ってるでしょ」

「なら、あのキーホルダーは何なのよ?」

 キーホルダー? キーホルダーで思い出すのは忘れもしない、この前のデートでのことだ。

 んー? 何か話が読めてきたかも。

「キーホルダーって、自転車のカギに付いていたやつのこと?」

「そうよ。だって、あんたの名前は蒼海綾音あおみあやねでしょ? 何でRのイニシャルなのよ」

「それは……」

「大切な人のイニシャルなんじゃないの?」

「ふぁ……」

 不意打ふいうちに私は変な声をらしてしまう。

 黒崎さんがこちらに一瞥いちべつをするも気にせず綾音を見る。

「うぅ……」

 弱々しくうなった綾音がほおを染めながらこちらをチラリと見てくる。

 ちょ、綾音、このタイミングで視るのはやめて! こちらまでずかしくなってくるじゃん。

「どうしてだまってるのよ? ちがうとは言わせないんだからねっ!」

 ここが攻め所と視たのか、語気と圧力を強強つよつよにして追及ついきゅうをする黒崎さん。


 頑張がんばれ! 黒崎さん!! 

 いつの間にか私までワクワクして彼女の応援おうえん側に回っていた。

 だって、綾音が黒崎さんにどんな説明をするのか、興味きょうみがあったから。

 だから、別に彼女の困ってる顔が可愛いから見ていたいとか、照れ照れしながらずかしいセリフを言うのを期待してるとか、べ、別にそんなよこしまな気持ちなんて私の中に全然含まれてないんだからね!

 ついツンデレなセリフを口走っていた。

 しかし黒崎さん、いつの間にか私まで味方に取り込んでいるなんて、なかなかの策士さくしだった。


「そ、そうだけど」

「前にググって調べたけど、あのキーホルダーはあの水族館限定のグッズなの。だからあんたと彼が水族館に行ったのは確実……」

「ちょ、ちょっと待って!」

「何よ? 水族館に行ってないっていうの?」

「い、いや、もちろん水族館には行ったわ。それに、あれは私にとって大切な人との思い出の品というのも事実だよ。でもそれは……」




「……やれやれやっと見付けたぞ」




 ふいに背後から声がして私達はり返った。

「り、陸人りくとくん?!」

 真っ先に反応した黒崎さんが席を立って陸人――私のお兄ちゃんの元にけ寄る。


 え、お兄ちゃんの友達? にしては距離きょりが近い気がする。

 すると綾音がおそおそたずねる。

「あの、ちがっていたら申し訳ないのですが、その方は、お兄さんの彼女さんですか?」

 綾音さん、単刀直入過ぎません? 態度たいどと言動が一致いっちしてないよ。


 イーッと綾音に向けてあっかんべーをする黒崎さん。

 お兄ちゃんはそんな黒崎さんのこめかみを手のひらで包み込むと――――




      ギリギリギリッ!!




「痛い痛い痛いっ!」

 アイアンクローをお見舞みまいいしていた。

 突然とつぜんの光景に私達は唖然あぜんとする。

 しばらくして解放された黒崎さんはほうほうのていでこちらまでげてくると私の肩に手を置いて涙目なみだめのまま、今度はお兄ちゃんへ向けてフーッと威嚇いかくをしていた。

 この人、前世ぜんせねこなんじゃないだろうか?


「な、何すんのよっ!」

「お前こそ、何でうちの妹とその友達にケンカふっかけてるんだよ!」

「陸人くんが水族館デートしたからよっ! 証拠しょうこにRのイニシャルのキーホルダーだって持ってたんだからねっ!」

「Rのイニシャル?」

 お兄ちゃんは腕組うでぐみをしてしばし考え、ひとつうなづくと黒崎さんを指差した。


「お前は勘違かんちがいしている」

「え?」

 黒崎さんが目をパチクリさせてほうけた顔をする。

「確かにこのチケットは俺が知り合いからゆずってもらったものだ。でも、実際じっさいに出かけたのは俺とじゃなくて、蓮花と蒼海さんの二人だぞ」

「え? この二人で? で、でもキーホルダーのイニシャル……」

「前に教えただろ? 俺の妹の名前は蓮花れんかって言うんだ。蓮花と陸人りくと。どちらもイニシャルはR。つまり蓮花と蒼海さんでお互いのイニシャルのキーホルダーを交換こうかんしたんじゃないか?」


 お兄ちゃんがそうだろ? と言うようにこちらに視線を送る。

 私は巾着きんちゃくから家のカギに付けたAのイニシャルのキーホルダーを見せた。

「そ、そんな、だ、だって綾音さんは大切な人との思い出の品って……」

「それは……」

 口籠くちごもる綾音に私はどう声をければいいのか迷ってしまう。


 いっそ、二人は付き合ってますと素直に言えたらどんなに気持ちが晴れるだろう。

 でも私一人では決められない……。

 私はそっと綾音の方をぬすみ見ると、わずかにうつむいたままなにやら考え込んでいた。


「バッカだなぁ!」


 笑い飛ばすようにお兄ちゃんが声をあげた。

「んなもん、親友だからに決まってるだろう! 親友との出かけた思い出なら、それは大切な物だろうが。なぁ?」

「う、うん」

 勢いのまま同意を求められ、うなづいた。


「二人とも、邪魔じゃまして悪かったな……ほら、いい加減もう行こうぜ!」

「あ、ちょ、ちょっと待ちなさいよっ! こ、この前のファミレスでの件、まだ私は許してないんだからねっ!」

 黒崎さんは私に頭を下げるとばつが悪そうに綾音に「わ、悪かったわね」と独り言のようにつぶやいて去っていった。


 二人を見送ると綾音の元に歩み寄る。

「綾音、お疲れ様」

 綾音はぼうっと手元を見つめていた。

「綾音?」

 再度呼びけるとこちらに向き直る。

「ん? ああ、ごめん。ちょっとぼーっとしてただけだから……」

 気にしないで、という笑顔。

 そこに私は安堵あんどよりも不安を覚える。

 でも、彼女を問いただすような事はしない。その場を丸く治めるためとはいえ、先にウソをついたのは私だから。

 そして、彼女にそんな表情をさせたのはだれでもない、私自身なのだから。


 ねえ、綾音は何て応えるつもりだったの?

 知りたいような知りたくないような……ふらふらと、くらげのように思考があちらへこちらへ気持ちがうまく定まらないのだった。


『お待たせしました。まもなく本日のメインイベント、打ち上げ花火の開演となります!!』


「ふう、ようやく始まるみたいだね。ところで、さっき私に何か聞こうとしてなかった?」

「ううん、なんでもない。ほら、行こう♪」

 かぶりってウソをつくと彼女の手をきゅっとにぎり歩き出す。




 今はこの時間を楽しもう。

 今しか体験出来ない思い出を二人で共有すること、それも私にとって大切な事だから。








          ◆◇


「ほら、行こう♪」


 はずんだ声で私の手をにぎり歩き出す。

 その背中に、水族館デートの時に幻視げんしした浴衣姿ゆかたすがたの彼女と像が重なる。


 自分より小さな指先からじんわりと伝わる熱が私の中に残っていたわだかまりをかして自然、笑みがこぼれていた。


 好き――大好き……。

 出来ることならこの手を引き寄せて、彼女をぎゅっとしたかった。


 彼女はどんな反応をするのかな? おどろいた後、注意するだろうか? あるいは照れくさそうにはにかむのだろうか? 

 

 


 いつもより可憐かれんで、大人びた彼女を見つめながら、私はをするのだった……。



          *


 蓮花が案内してくれた場所は土手の下にある小さな神社だった。


 神社に入ると小さな木製もくせいのベンチが設置せっちされている。外からは分かりづらい位置にあるためか利用客はおらず、遠くからひび祭囃子まつりばやしの音と夏虫のさえずりだけがシンとした境内けいだいこえるだけだった。


「こんなところよく知ってたね」

 おどろく私に彼女はほおを染めながらぽしょぽしょとしゃべる。

 可愛らしい反応に悪戯心いたずらごころ刺激しげきされ、他の人が居ないことをいいことにぐいぐいと彼女に身を寄せる。


「なになに? よく聞こえなかったんだけど」

「ふぁ、ちょ……近い近い!」

 こういう反応を見ると、着飾きかざっていてもやっぱり蓮花は蓮花だなぁと気持ちがなごんだ。


「だって、声が小さくてこえないからさ。いやならはなれるけど」

「好き……あ、いや、いやではないよ、うん」

 何か今、さりげなく告白されたような気もするけど、取りえずスルーしとこう。


「それで? どうしてここを知ってたの?」

「うぅ……笑わない?」

「もちろん! 今まで私がそうやってたずねて笑ったことなんてあった?」


 自信満々じしんまんまんに言ったのに、何故なぜかビミョーな表情をされた。

 うん、さすが蓮花。私のことをよく分かっていらっしゃる♪

 私の検定があったら多分彼女は免許皆伝めんきょかいでんの域に達していることだろう。

 だって、私の次に私のことを理解していると思うからね。

 ……うん、こういう思考は自室に一人のときにしておこう。さすがに照れる。

 無言でじっと見つめていると、観念かんねんした蓮花は種明たねあかしをしてくれた。

「その……前もって、下見に来てたんだ」

「何でそんなこと……」


 その時、蓮花が歓声かんせいを上げた。

 

 大輪の花がいていた。

 次いで、どん! と、胸を打つような衝撃しょうげき鼓膜こまくふるわせる。


 燦然さんぜんかがやく花々はけるように消える。そして再び別の色が紺碧こんぺきの夜空を染め上げた。


 人々の想いを乗せて、炎の花は生まれては消えてゆき、散っては花開くのだった……。




 美しくもはかな泡沫うたかたなる花のまい――その光景を彼女はじっと、固唾かたずを飲んでながめていた。




 彼女がおだやかな表情で息をらした。

「終わっちゃったね」

 頭にそっと手を乗せると、彼女が私の肩に頭を預けながら、そっと手を重ねてくる。

「うん……すっごく綺麗きれいだった。こんな素敵すてきな夜を綾音と一緒に過ごせてうれしいな」

 しっとりとした雰囲気ふんいきつぶやく彼女の声に、胸の鼓動こどうが高鳴るのを感じる。




「――ねえ、なんで私がお祭り会場を下見してたのか、知りたい?」

「う、うん」




 すると顔を上げた彼女が口元に手をえていつもの内緒話ないしょばなしの仕草をする。

 私達以外にだれも居ないのに。

 そう思いつつ「はやくはやく~」と嬉々ききとしてうながすいつもの子供っぽい彼女の様子に笑みを浮かべつつ、ほおを寄せた。




「……こういうこと、するためだよ……」




 くぐもった声がして、やわらかくてあたたかな、湿しめった熱の感触かんしょくが私のほおともる。




「綾音、大好き……」




 とろりと耳がとろけるようなささやきと共にはなれる彼女から、りんごあめの甘酸っぱい香りがした。




「……れ、蓮花っ……?!」

 それきり絶句ぜっくする私に、耳までまっ赤に染めた彼女がぽしょりとつぶやいた。


「えへへ、りんごみたいだね」 


 それは蓮花の方じゃないのと思った瞬間しゅんかん、自分のほおにある熱に気付き、ふとこんなことを思ってしまった。


 それは、まるで彼女のくちびるにある熱が私のほおに流れて赤く染め上げたようで……それ以上はつとめて意識しないようにぎゅっと目を閉じるのだった。




 夏休みも残りわずかだというのに、私達の間にある夏の残滓ざんしは、まだまだ消えそうになかった。




          *


 私の話が終わるまで彼女は口をはさむことなく静かにいていた。


「この考えを蓮花に強制きょうせいするつもりはないし、結論けつろんを急ぐつもりもないよ。だから蓮花なりに考えて答えが出たら、私に教えて欲しい」


 彼女がうなづくのを見て、思わず息がれた。

 顔を上げると、車内の電光掲示板でんこうけいじばんにまもなく到着とうちゃくする駅名が流れる。

 彼女の最寄もより駅が近付いていた。


 花火を見る彼女の横顔を見つめながら、想っていた。

 だれかに大切な人は誰かと問われれば、間違まちがいなく彼女の名を伝えるだろう。


 でも、さっきお兄さんに親友だろうとたずねられた時、私は答えらなかった。

 もちろん大人しく同意する方が正しい。


 ただ、それは一般的なかいであって、私にとっての答えではなかった。


 好きという気持ちは異性同士も同性同士も同じはずなのに……なのに、私はあのとき答えることに躊躇ちゅうちょしたのだった。


 このままでは、私の彼女に対する想いがらいでしまうのではないか。

 一抹いちまつの不安が脳裏をよぎったのだった。




 だからこそ、私達の関係を周りの人に話して知って、みとめてもらいたい。

 それが私の決意したことだった。




 そうすれば、私達はもっとお互いの気持ちに素直に生きていく事が出来るはずだから。


「多分、この問題はどちらが正しいなんて事はないと思う。ただ、だからこそ、この考えはお互いに共有しておいた方がいいと思うんだ」 

「うん……」

 それきりだまんだ私の手を、彼女がそっとにぎっていた。


 駅のホームに彼女がりる。

 改札のあたりには彼女の父親の姿が見えた。


「今日は楽しかったよ♪ じゃあ、またね」

 蓮花が満面の笑みで私に向かってぶんぶんと手をってくれる。

 その姿に私は応えようと、出来るだけ優しい笑顔で見送るのだった。








          ◆◇


 お風呂から出てリビングでミネラルウォーターを飲んでいると、玄関げんかんからお兄ちゃんの声が聞こえてきた。


「お帰り」

「ただいま、今日は邪魔じゃまして悪かったな」

「ううん」

 お兄ちゃんが私の表情に気付くと笑う。

「そんな顔すんな。大丈夫、あいつとはちゃんと仲直りしたからよ」

「あの人がこの前放置しちゃった彼女さん?」

「ああ。そんなことよりも、お前の方はちゃんと楽しめたのか?」

 ホッとしていたところに出しけにたずねられて反応におくれる。

「……え? あ、う、うん。へーきへーき」

 あははと愛想笑いを返しつつ、内心失敗したなぁと思う。

「そうか? その割りには元気ないな」

 案のじょうかんの良いお兄ちゃんにあっさりと看破かんぱされる。

「そ、そんなこと……」

「心配ごとがあれば言え、相談に乗るからよ。ま、お金以外ならな」

 うははっと笑う、いつものバカっぽい笑いに気持ちがふっと軽くなった。

 もしかしたら、今までも私は何度もこうやってお兄ちゃんに救われていたのかな、ふいにそう思った。

「うん、ありがとうお兄ちゃん……」


 せっかく心配してくれたのにごめんね。この問題は私ひとりで考えて決めないといけないことだから。

 人にたよったら、うまくいかなかったとき気持ちの弱い私は、きっとその人のせいにしてしまうから……。


「蓮花、これだけは言っておくぞ」

 お兄ちゃんが私の頭をそっとでる。

「何があっても俺はお前の味方だからな」

 思いがけない優しい気持ちにれて、私はただうなづき返すことしかできなかった。



           *


 ふとんに入り天井をぼんやりと見上げているとスマホの通知が鳴った。


 手に取って添付画像てんぷがぞうを確認するとほおゆるみ、笑みが生まれる。


 それは綾音のスマホで撮影さつえいした一枚だった。

 ベンチに座り、二人でほおれ合うくらいの距離きょりで画面にピースサインを送っていた。


 いで、ひとつのメッセージ。




   月が綺麗きれいですね……。   




 この前、彼女の家で花火をした時には気付かなかった言葉の意味を、今の私はすんなりと読むことが出来た。

 スマホをめて呪文じゅもんのようにつむぐ。




     大丈夫、きっとうまくいく。     




 空を見上げても月は見えず、分厚ぶあつい雲が居座いすわっていて光の気配すら感じられない。


 それでも、見えていなくても、確かにそこには綺麗きれいな月があるはずだった。

 



 大丈夫、この気持ちは二人一緒ふたりいっしょだから。





 月に願いをささげるように、私は目を閉じて眠りに落ちるのだった……










―――――――――続く―――――――――

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