第7話 帰宅

 木村がふり返ると、布にくるまれた三味線を抱える女が、夕日に照らされ立っていた。

 木村のはすむかいに住む三味線の師匠だった。深川の芸者に、稽古をつけにいっていたのだろう。黒のたてわくの着物をいきに着こなす女へ、木村は返答した。


「ああ、似合っていると褒められた」


 長屋の粗末な屋根に落ちる落日。まぶしく目を細める木村へ女はうれしげにかけより腕をからめ、枝のように細い体をしならせ寄りかかる。


「冬吾さんは、華があるからあかるい色がいいと思ったんだよ。ねえまた、日本橋にいこうよ」


 甘えた声を出し色っぽい目つきで見あげる女の腕を、木村はやんわりとはずす。


「もう当分、着物はあつらえん。巡査の賃金ではそうそう買えないさ」


「お金なんて気にしなくったって、私が出すからさ。いこうよ」


 木村は女の媚びる言葉を否定するわけでもなく、あいまいな笑みを顔にはりつかせ受け流す。


「木村さん、おかえり」


 今度は、木村がむかうゆき先から声をかけられた。木村の隣に住む大工のおかみさんだった。


「ああ、ただいまもどった」


 そう言い木村は、女をおいてすたすたとおかみさんへむかって歩いていく。後ろから聞こえた「もう、つれないんだから!」という声に、木村は振りむかない。


「まーた、あの後家は。この長屋中のひとりもんの男にいいよって。木村さんも気をつけなよ。あんた確実にねらわれてるからね」


「ああ」と含み笑いをもらし、木村は抱えていた風呂敷をふくよかな体型のおかみさんに差し出した。


「秋茄子をもらったんだ。食べてくれ」


 風呂敷を受けとったおかみさんは、中をのぞく。


「おや、いいつやの茄子。おいしそうだね。木村さんは何が好物だい?」


「煮浸しが好きだな」


「じゃあ、明日煮浸しにするよ。今日の夕飯は部屋においてあるからね」


「いつも、すまないな」


 木村の食事は、おかみさんが世話をしてくれていた。この長屋に越してきて、生まれて初めてかまどで米を炊こうとした木村。うまくいくわけもなく、米の焦げたにおいが隣に流れていき、火事と勘違いされ大騒ぎとなったのだ。


 その一件以来、男のひとり暮らしを気の毒がったおかみさんに、食事の世話を申し出られたのだ。


「いいってことよ。うちの子に読み書き教えてくれるんだからさ。おたがい様さ」


 そこまで言って、おかみさんは思い出したようにふところをさぐった。


「そうだ。さっきいつもの丁稚さんが手紙を届けに来たよ」


 おかみさんはふところから、手紙をとり出した。木村は、まん丸な手から手紙を受けとり、手紙を裏返す。そこには何も書かれていない。まちがいなく大垣屋の小吉が届けた手紙だ。


 小吉は元広岡藩の下屋敷に出入りしている。雪姫が暮らしている屋敷だ。そんな小吉を日本橋で見かけ、木村から声をかけた。

 下屋敷にいるある人物からの定期的な手紙を届けてほしいと、わずかな小遣いを握らせ頼むと、首を縦にふったのだ。


 現在雪姫の侍女をしている大垣屋の佳代お嬢さんには言わないよう、釘をさすのを忘れなかった。

 あの絵が好きなお嬢さんに知られると、雪姫に筒抜けだからだ。子だぬきのような丸顔にたれ目のかわいらしい顔を思い出し、木村は知らず知らず笑いがもれていた。


「そんなにうれしい手紙なのかい?」


 木村の笑みをどう勘違いしたのか、おかみさんは好奇心をかくさず聞いてきた。


「ああ、うれしい手紙だな。好いた相手のことが書いてあるのさ」


「あんたそんなけいい男なんだから、恋文の一通二通。もらうよね。はやく身を固めなよ」


 お節介をひとこと言って、自分は腰高障子をあけさっさと風呂敷をぶら下げ、自分の家へ入っていった。


 木村も自宅に帰る。一畳ほどの土間に六畳の畳敷きの部屋。ほこりをはらいあがると、おかずののった箱膳が目に入る。部屋の隅には、きっちりとたたまれたポリスの制服が置かれていた。


 洗濯屋ではたらく長屋の女が置いていったのだろう。荷物の少ない部屋。わびしい暮らしだが、長屋のみなが何くれとなく木村の世話をやいてくれる。おもに女性が多いが。


 だから、木村に女中はいないが生活には困っていなかった。


 掃き出し窓から入る赤い陽光の元で、手紙をひろげる。

 内容は、下屋敷でおこったこと。雪姫の動向などがこと細かにしるされていた。内部のものにしかわからないこと。それも、雪姫のそばにいるものしかわからないことばかり。


 手紙を読み終え木村は、蠱惑的にほほ笑み独り言をつぶやく。


「またあの姫は、何かもめごとに首を突っ込んだとみえる。ほんとうにおもしろい女だ」


 頭もいい、勘もいい。怜悧な美貌からは到底推し量ることのできない、強靭なものを心にもっている。

 男の庇護などもとめない。自分の足で立っている。実にみごとな女。木村はどうしようもなく、そんな雪姫に惹かれる。

 しかし、素直に雪姫への思いを自分の中にとり込めずにいた。


 ふと木村の脳内に、雪姫の言葉がよみがえる。


『この屋敷に、間者かんじゃでも飼っているのか』


「間者が、そば近くにはべる小百合だと知ったら。あなたは、はたしてどんな顔をするかな……みものだ」


 くっくっと木村は薄い唇をゆがめ、笑いをかみ殺す。

 綾小路は姫がほしくば、出世しろと言ったが。しょせん雪姫と木村は相容れぬ水と油のようなもの。反発はするが、決してまじりあわない。


 まじりあわねば、飲み込んでしまえばよい。


 暮れゆく長屋の中、木村は行燈の中のろうそくに火をつける。ほのかな明かりが、木村の胡乱うろんな顔を照らし出す。


 小百合からの密書をろうそくに近づけると、白い紙はたちまちまっ赤に燃え上がり、すぐさま黒い灰となり行燈の底に消えた。




     ―了―





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姫君と侍女は文明開化の夢をみる~番外編 澄田こころ(伊勢村朱音) @tyumei

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