第6話 土産

 人ごみがさっと割れ、ひとりの女の子が母親に手を引かれ、木村の元へ歩いて来た。

 年の頃は、五つ六つだろう。そのふくふくとした顔に見覚えはなかった。


「お殿さまに、むかし名づけていただいた子です。覚えてらっしゃるでしょうか。田畑の見まわりにこられた時です」


 そう母親に言われ木村は、かつてこの地に暮らした記憶をさぐる。すると、初雪がちらつく寒い日に見た、おくるみにくるまっていた赤子を思い出した。


「ああ、生まれたばかりの赤子に名を授けたことがあった。雪がちらつく日だっから、ユキとした」


 木村は愛おしそうに、そのユキを抱きあげた。


「あの時の赤子が、もうこんなに大きくなって。ユキ、覚えておるか。そなたの名づけ親だ」


 木村にそう言われても赤子だったのだから、ユキが覚えているわけがない。ユキはだまったまま顔を赤くし、ほほ笑む木村の顔を食い入るようにじっと見ている。


 その様子見ていた、代表の男が茶々を入れた。


「おユキ。殿さまがいい男だから、ほれちまったか」


 その言葉に、みなからどっと笑いがまきおこった。隣にいる母親が「いやだよ、この子ったら」とユキを木村から引きはなそうと手を伸ばす。


 途端、ユキはぎゅうっと木村の体に抱きつき、母親を拒否した。その様子に木村は「よい、このままで」と母親を制し、額をユキのおでこにこつんとくっつけ、白目が青いまんまるな目をのぞき込む。


「俺にほれたか。では、大きくなったら嫁に来い、ユキ」


 やさしさと少しの切なさをふくむ木村の言葉に、ユキはこくこくと首を縦にふり、ちいさな赤い唇をすばやくひらく。


「うん、お嫁さんになる」


 その言葉でさらに、笑いは大きくなった。木村も笑い、ユキの切りそろえた髪をやさしくなでてやる。そうすると、ユキの顔はますます赤くなったのだった。


 ユキのかわいらしい顔のむこうに、こちらを見ている人力車の車夫の姿が見え、待たせていたことを思い出す。木村はユキを下へおろそうとした。


 しかし、ユキは抵抗するように足をばたつかせるので、木村は右手でふくれっ面の頬をなでてさとしてやる。


「また来るゆえ、待っておれ」


 その言葉に大人しくなったユキを、地面へおろした。母親が申し訳なさそうに何度も頭をさげ、持っていた風呂敷包みを差し出した。


「今日の朝とれた秋茄子です。お殿さまは秋茄子が好物だとおっしゃっていたので、女中さんに煮びたしでもこさえてもらってください」


 女中はいない。そう口に出しそうになったが、唇の端をくっとあげ礼を言い秋茄子の風呂敷を受けとった。

 そこで、いつまでも立ち話をしているわけにはいかない。車夫を待たせている。木村は後ろ髪を引かれる思いであったが別れの言葉を言い、人ごみに背をむけ歩き出した。


 人力車の所まで来ると車夫が煙管キセルを持ったまま、口をポカンと開けている。


「旦那、お殿さまってどういうこった」


 ここまで声が聞こえていたか。木村は薄く笑い車夫に言う。


「俺はただの巡査だ」


「いやでも、みんなこっちむかって土下座してるぜ」


 木村は車に乗り込むと、早く出すよう車夫をせかしまっすぐ前をむく。視界の端に領民が土下座をしているのがうつったが、あえて目をむけなかった。


 慶喜公と示し合わせての決起と官軍に誤解されぬよう、自ら脱藩して木村は出陣した。そんな木村を、領民は沿道に土下座して送り出してくれた。

 車夫が首をひねりながら走り出した後ろ姿を見ながら、木村は風呂敷の端を強く握りしめる。


 するすると、指の股からこぼれ落ちていく自らの運命をとどめるがごとく。


 帰り道、車夫は無言で走り横浜駅に到着した。行きの半分の時間でついたような感慨を木村は持つ。

 多めの金を今度は車夫に言われる前に支払った木村を、車夫はニヤリとして見ていた。


「おいら、だいたいここにいるからよ。また西津に行くなら声かけてくれよ」


「ああ、また行くことがあればな」


 そういう機会は、もうないかもしれない。木村の思いとは裏腹に、車夫は否定する。


「いや、絶対いくって。旦那の顔にはそう書いてあるぜ」


 その言葉に、木村は思わず自分の顔を手でふれ、車夫に笑われた。


「おいらも、江戸に帰ってねえな。今度、旦那みならって帰るとするわ。二度と帰るかって思って、飛び出て来たんだけどよ」


 木村はうつむき、言葉をもらす。


「ああ、そうすればいい。ふるさとは、存外変わらんもんだ」


 車夫とはそこで別れ、また汽車に乗り東京へ木村は帰って来た。

 新橋から人力車をひろい、現在の住まいへむかう。今度の車夫は無口で一言も口をきかない。

 いろんな車夫がいるもんだと、木村は笑いをかみ殺しすました顔で車にゆられていた。そうして神田まで人力車を走らせ、表通りで木村は車をおりた。


 長屋の入り口である木戸をくぐり、せまい路地を奥へ進む。西津藩の江戸藩邸の家臣が住んでいた長屋を彷彿とさせる建物が、軒をつらねていた。


 風呂敷を抱え歩く木村を、女の声が呼びとめる。


「冬吾さん、お帰りなさい。どうだった? あたしが見立てた着物」










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