第5話 辞去

「おまたせいたしました。お茶が遅くなって申しわけない」


 隆光みずから高坏にもられた大福をかかげ、後ろにしたがう寺男が茶の乗った盆をもって来た。

 隆光の登場に、木村はほっと息をつく。これで、矛先がずれる。


「ババ、まあ大福でも食べてくれ。うまいぞ」


 大奥時代、この世の贅を知りつくしていた綾小路。ちょっとやそっとの菓子で、心が動くことはないだろう。そう木村は思ったのだが。


「まあ、忠宗さま直々にお持ちいただいたのですか」


 そう言い、綾小路は破顔する。大福を優雅な所作で、懐紙の上に乗せた。黒文字で大福を切ろうとするが、なかなかうまくいかない。


「大福は、かぶりついたらいいのだ」


 木村はお手本を見せるように、大きな口をあけ大福にかぶりついた。それを見て綾小路も、大福を指でつまみ、木村のまねをする。


「ほほっ、おいしゅうございます」


 口元を手でかくし咀嚼そしゃくする綾小路を見て、木村はうれしくなる。大垣屋の奉公人、小吉にうまい手土産を聞いてよかったと。


 愉悦に口の端があがった木村を、綾小路が見てさらに笑う。


「ふふっ、お口にあんがついておりますわよ」


 そう言われ、木村はあせって胸元から懐紙を出し口をぬぐう。


「これで、とれたか」


 綾小路にどうだ、と顔をむけるとまた笑われた。


「こうしておりますと、時が戻ったようでございます」


 その場にとどまっていた隆光も、あいづちを打つ。


「ほんとうですなあ。あの頃のまま、何もかわらないようです」


 秋の高い空から、トンビの鳴き声が聞こえて来た。上空高く飛ぶトンビ。この甲高く地上を突き刺すような声は、昔となんらかわらない。


「忠宗さま、こちらに帰って来られてはどうですか」


 トンビの声に耳を傾けている木村へ、隆光があたたかな声をかえた。


「いや、それはできん」


 木村の口から吐き出された言葉に、綾小路は食ってかかる。


「なぜですか。ここにはまだまだあなたさまを慕っている領民が、たくさんおります」


 そのまっすぐな視線から逃れるように、木村は目をふせる。


「ここを戦地にせずにすんだが、家臣および領民には多大な無理をしいた。おめおめと帰っては来れん」


 意をけっしたように、木村は顔をあげた。


「帰って来るならば、いち農民としてこの地に根をおろしたい。大地を耕し、種をうえ、この手で実りをつみ取りたい」


 その言葉に、もうふたりは意をとなえなかった。それから、他愛ないことを話し込んだ。ふと気づくと、書院に差し込む陽光の色が変わっていた。一刻などあっという間にすぎていく。


「そろそろ、帰るとしよう」


 さきほどから、腰を浮かそうとする木村を綾小路は何度もとめた。しかしもう刻限。


「どうしても、お帰りにならないといけないのですか。今日はここにお泊りになるものとばかり、思っておりましたのに」


「休みは今日いちにちだけだ。しかし、巡査になっていいこともあった。ちゃんと休みがあるのだからな」


 そう言うと、木村は笑いながら立ちあがった。十九で家督を継いでから、気の休まる時などなかった。


 幕末の動乱の中で、小藩とはいえ譜代の重責を背負い休みなく奔走した。それをおろした時には、藩はなくなっていた。

 いや、潰したのは自分だ。


「広岡の姫君をご所望ならば、出世なされませ」


 綾小路は、木村の背中にむかって声をかけた。


 ババは、ちゃんとわかっていたか。

 地位も金もない木村が姫君をめとるなど、無理な話だと。それをわかって、あんなことを言ったのか。

 木村に恥をかかせぬよう。


 立ちあがろうとしない綾小路に、木村は背中をむけたまま目をとじる。


「見送ってはくれんのか」


 後ろから衣擦きぬずれの音がする。


「わたくしはここで、失礼いたします。最近、足が悪うございますゆえ」


 くぐもった綾小路の声に、木村は振り返りうとしたが、やめた。


「ここまで、たった一刻で来れるのだ。また来る」


 そう言うと、振りむくことなく隆光をしたがえ書院を出ていった。

 はたして、自分はふたたびここを訪れるだろうか。


 隆光に先祖の墓参りをと言われたが、木村は断った。

 手むける花を持ってきていない。そんなみえすいた嘘をはいて。


 山門をぬけた。そこで見送りを断っても、隆光に下までついていくと言われた。


 年寄りにこの階段はきつかろうと思ったが、好きにさせた。

 石段を途中まで降りると、下に人だかりができている。


 その集団の中のひとりが、木村に気づき声を出す。


「あっ、殿さまがお帰りだ。やれ間に合った」


 そう叫んだかと思うと、みながいっせいにその場に膝をつき土下座をする。


 この地の農民たちだった。木村が下に降りるまで土下座をし続けていた。


「顔をあげてくれ、俺はもうここの領主ではない」


 木村がそう言うとようやくみなは立ち上がり、代表の男がおずおずと木村の前に進み出た。


「長次郎さんに殿さまのお帰りを聞いて、いてもたってもおられず。みな集まったのです」


 長次郎とは、寺男の名だった。茶を出したあと、集落まで走ったのか。木村の目じりは自然とさがる。


「みな、変わらず元気そうだ。今年は天候もよく、米もよく育っている」


 人力車に乗って、木村は田んぼの様子をつぶさに観察していた。領主だったころ。藩の財政を支える米の収穫をあげるため、木村は何度も農地の見まわりをしていたのだ。


「はい、おかげさまで」


 そう言うと、男は深々と頭をさげる。木村はそこに集まったものの顔を見まわした。みな、日に焼けた顔をほころばせている。


 木村は満足してまた、眼前の男に視線をもどすと、男は満面の笑みをたえた口をひらく。


「殿さまに、ぜひ会わせたい娘をつれてまいりました」


 そう言うと、その男は人ごみにむかって名をよんだ。


「ユキ、ユキや。さお、おいで」




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