情けって相手で使いわけた方がいいみたい


 うむ。雲林院家の強さランキングぶっちぎり一位は義母さんだ。風呂の最中に聞いた話によると兄弟に一番先に最も重要な「ひとの痛み」を教えたのは義母さんだし。


 実際に殴って蹴ってのして、してぼろぼろ泣きながらひとの痛みを体で、自らの経験として覚えろ、としたそうだ。すっげえ独特すぎるけどそれのお陰で兄弟はひねくれることも曲がることもなく育った。だから、三人共優しいし、あったかい。心地いい。


「くっ、なぜあのちゃらいサボりバカがクラス一の人気者なのか私にはわからない」


「んー。自然体でのんびりしているけどやる時はやってくれるところ、ですかね?」


「いつも眠そうにダラダラしているのにか」


「そう見えるだけですよ。あいつ、アレですっごく頼りになりますもの。意外にも」


「……ぷっ、そうか。意外に、か?」


「ええ。ぼへーっとして見えるだけで」


 そう、ぼへーっとしているようで僕の食事に混ぜられた異物のにおいを敏感に察知したことといい、危険を冒して毒味してみてくれたことといい。雪夏はなんだかんだで頼りになるし、頼りやすい。あの飄々として軽そうな振る舞いのせいなんだろうけど。


 とっつきやすい、と言えばいいのか。


 他の兄弟に比べるとまじめ要素がちょっと少なめであるので余計に。秋兄なんてまじめの権化そのものだし。雪春は優等生のお手本そのものだ。それを思うと雪夏は話しやすい存在だと言える。財閥の御曹司なのにそれっぽくないところが雪夏の最たる魅力だ。


 ……まあ、そのせいでセクハラしてくるのは考えものなんだけども。五感の鋭さも獣のようで獅子ライオンみたいなのに子猫みたくのんびり日々をすごしていそうだからな。


 長崎先生は僕がチェックを終えたミニテストの用紙を受け取って枚数もきちんと揃っている、という僕の報告に感謝の言葉を寄越して用紙を自分の授業ファイルにしまう。


 そこからも僕は次から次へと持ち込まれる教員の雑務をこなしていく。みんなすごく忙しそうだし、できることはできるだけやらせてもらおう、と僕はお茶汲みからなにから上級生が受けるテストの誤字脱字チェックや掃除に他備品の整理整頓もさせてもらう。


「得点稼ぎに大忙しですわね?」


「アンタが不真面目なだけだろ」


 などなどいろいろやっていると教員たちの僕を見る目は着実に柔らかいものに変わっていった。残りの仕事、資料室の整理をしたら帰っていい、と言われたので僕はちゃちゃっと終えてしまおう、と思って資料室にこもり、整理整頓しているとまた急に声。


 こっちは聞きたくない声。僕は嫌悪感に顔をしかめることこそないものの、言葉には自然と棘が生える。ちらっと視線を投げるとあの陰険お嬢様、藍継が資料室の出入口で立っていた。教員もほぼ帰宅したのか近所の職員室は静かだ。でも、謎。なにこいつ。


 嫌み言いに来るくらいなら帰ればいいのに。そう思って僕は無視する。ツン、とそっぽ向いて書類を詰めた段ボールを棚に押し込む。ふう、と一息ついたのとその衝撃は同時。ドガっ、と鈍い音がして僕は資料室の床にばたりと倒れる。なん、だ? 頭、痛い。


「ふん、わたくしに暴行などしたことへの当然の報いですわ。この資料室、滅多にひとが来ませんの。数日ここで飢えと孤独に苦しみなさい。それで許してあげるわ♪」


 遠い意識の向こうで藍継の声が聞こえてくる。僕の髪を乱暴に掴み、引っ張り起こして放り、資料室の鉄柱にもたれさせ、どこに持っていたのか手錠で僕の両手を後ろにまわして鉄柱に繫ぐ。繫がれたと同時に僕は暴れるけど顔に蹴りが入った。口が切れる。


 口の中に血の味が充満していく。僕が見上げると藍継が勝ち誇った顔で笑った。


「本当はあの香辛料で内臓ダメージ喰らって入院していただくつもりでしたが、こちらの方が発見された時に面白いですわね。ほほほほっ。餓死するまでどのくらいかしら」


 こいつ……っ、やっぱこいつだったのか。あの香辛料酢の物。こんなクソのせいで雪夏がひどい味食らったのか。兄弟に心配をかけてしまったのか。クソ、クソ、クソっ。


 僕はなんとか手錠から逃れようとするけど到底僕の非力じゃ逃げられない。さらに暴れれば暴れるだけ僕の手首がすれて痛い。畜生、これじゃあ、どうにもならない。


 僕が無駄に抵抗していると藍継が最初に僕を倒した時に使ったと思しきプラバットを拾う。おそらく体育館からくすねてきたのだ。僕はつくづくバットと縁があるらしい。


 滅んじゃえばいいのに、こんな腐った縁。


「では、雲林院さんは帰った、ということでここは施錠させていただきますわね?」


「てめえ……っ」


「あらやだ汚い口だこと。腐った庶民の菌がうつったら大変。では、ごきげんよう」


 それだけ言うなり藍継は僕を資料室に残して電気を消し、外にでて本当に施錠して去っていった。僕は悔しさで視界が滲む思いだ。あんなのにまで情けかけた僕がバカだった。……僕のせいだ。なにもかも僕がバカなせい。ああ、暗いなあ。昔に戻った気分だ。


 あの暗い、小窓しかない物置部屋をふと思いだしてしまう。そして、思いだして悲しくて悔しくて、怖くて涙が零れた。怖い。僕は夜暗いのは平気。自然なことだもの。


 でも、点いていた明かりが消された真っ暗闇の資料室は不気味ですごく、すごく怖い。でも、あのクソ女の言葉通りで、ここは滅多に誰も来ないのか外に足音はない。


 気配もない。誰もいない。ちょっと前までの僕ならこの静けさを歓迎しただろうけど今は安心できる家があって家族と呼べるひとたちがいる。だから、濃い静寂は恐怖だ。


「誰か!」


 僕は必死で叫んでみる。偶然でいい。前を通りがかってくれる誰かに期待して叫んでみる。けど、僕にはやっぱり特大の不幸星がついているからか、なんの物音もしない。


 僕は自分の心臓が早鐘を打っていくのを感じながら叫び続けてみるものの、声が嗄れるだけに終わった。誰も来ない。兄弟も僕がいつまで居残りか知らないから来られない。きっとあまり遅いようなら一旦家に帰って僕からの「終わった」連絡を受ける気かも。


「誰、か……っ」


 もう嗄れてしまい、どんなに振り絞ってもかすれ声しかでない。ああ、どうしよう。きっと心配される。でも、どこにいるのかわからないからどうすることもできない。


 僕に発信器なんかつけられていないもの。だからと諦める根性はしていない、と思いたいけど僕は、僕の心は折れそうだ。あいつらの虐めでも折れなかったのに、今はもう弱くなって折れてしまいそうだ。資料室には窓の一枚もない。陰気でいやな場所だ。


 だからこそ、滅多にひとが来ないのかもしれない。僕が零れる涙で不明瞭な視界にそれでも希望の灯がないか、と思っていても、廊下の電気も消されていくのがわかった。


 これでもう誰かが通ることもなくなるだろう。あとは宿直室に残っている警備員さんが教室や主だった施設をチェックするくらいで誰も通らないし、いない。来ない。


 怖い。怖い怖い怖い怖い。怖いよ……っ。


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