英語の先生と意外な接点


「ハーイ! みなサン、How are you? 今日ハひとり欠席て聞きましたー。けど、Meは授業の手抜かりしまセーん。しかり、ついてきてクダさーいね?」


 僕が授業に必要なものを揃えていると教室に教科担当の先生が入ってきた。綺麗な紅茶色の髪に青い瞳が印象に深い外人先生。こちらの髪はおそらく天パだろう。くりくりしていて非常に可愛らしいひとだけど言っていることは厳しく、しっかりしている。


 藍継が理由ありの欠席で授業内容に遅れようと言い訳無用と言いたいのだ。これは期待できるかも、と思っているとその先生が僕に目を留めてきょとん、としたと思ったら、教材を教卓に置いて僕に近づいてきた。そして、僕には不意討ちになる言葉をくれた。


「……シ、ンディ?」


「え」


 雪春が僕の隣で僕の反応に首を傾げる。どうして違う名前、僕の名前じゃない名前を言われて僕が驚いているのか訝しく思ったようだ。だけど、僕は雪春に構えない。


 だってそれは、その名前は……。


「僕の母をご存じなんですか?」


 気づけば僕は英語で相手に確認を紡いでいた。シンディ。それは紛れもなく僕の母さんの名前。だが、相手は僕の言葉が聞こえているのかいないのか呆然と僕を見ている。


 母さんに似ているのなんて色くらいなものだけど、それでも相手が口にした名前は僕の大切な宝物。僕を産んでくれた。僕を目一杯愛して可愛がってくれたひとのもの。


「Mother?」


「はい。シンディ、というのは僕の母の名前です。知っているんですか? あの」


 僕が母さんのことを知っているのか、とまたも自然と口を衝く英語で訊ねると相手の女性教員は途端、ぼろぼろと泣きだしてしまった。ええ、ちょ、どうしたんですか?


 これには教室中が唖然とする。急に泣きだした女性の豊かな胸の前に揺れる名札にはリアン・フェルンと名前がある。リアン先生は徐々に激しく嗚咽しはじめて最後には泣き崩れてしまったので僕は慌てて席を立って先生の肩に手を置く。先生も英語で返す。


「先生?」


「ごめ、ん、ごめんなさい。シンディは私が日本に来た時によくしてくれた留学生仲間なの。私の日本語勉強見てくれて、うまく発音できると褒めてく、れて……。なのに」


「……」


「あんないいコが交通事故で死ぬなんて、って神様を恨んだわ。本当に悲しかった」


 どうやらリアン先生は事故死の真相を知らないらしい。でも、事故死でも充分に悲しんでくれている。この上さらに、親父の悪意での死だったなんて言わなくていい。


 リアン先生は濡れた瞳で僕を見て無理矢理笑おうとして失敗。くしゃりと歪んだ顔の中にある青い宝石のような瞳には悲哀と母さんへの哀悼、親愛があった。辛いんだ。


 母さんと同じ色を持つ僕を見るのが、母さんとは比べようもないけど流暢な英語に今は亡き友人が戻ってきてくれたような気がしているのかも。もう二度と会えないひと。


 僕も悲しいけど、リアン先生も悲しい。悲しかった。慣れない異国で親しくしていて、いつも勉強を見てくれていた友人はもうなにも言わないし、会うことも、できない。


 その悲しみは僕と同じ。肉親である僕には劣るかもしれないけどでも、心から親しく思い、大事にしていた友人に先立たれてやり場のない悲しみに潰されかけている。


「先生、授業できそう?」


「大丈夫だよ。ありがとう。……やっぱりシンディの娘なんだね。とっても優しい」


「いえ、気にしないでください」


 僕の言葉にリアン先生は涙を袖で拭って立ちあがる。そして、ちょっとふらついていたけど教卓まで歩き、授業をはじめた。難なくわかるし、先生の発音は日本人に聞こえやすくしてあってさっき僕と話したような砕けた表現をせず、堅い言葉にしている。


 けど、これが高学年の生徒だったらわからない。きっとそれこそ現地の生の英語をぶつけてくる。先ほど、僕らが使った言葉のように。先生は最後に日本童話を英訳して一冊にまとめて提出、などという普通の高校なら罰もよろしい宿題をだして授業終了。


 リアン先生はまた僕に泣きそうな目を向けてから教室をとぼとぼでていった。


「リアン先生、杏さんのお母様のこと」


「うん。知っていたみたい。……雪春」


「わかっている。リアン先生に言ったりしないよ。知らない方が幸せなこともある」


 そう、知らない方が幸せなこともある。きっと、母さんの死の真相は秘密にしておく方がいい。もしも暴かれて不幸になったり悲しむひとがいる、現れるくらいなら。


 てか、雪春やっぱり義母さんのしごきで英会話嗜んでいるだけはあるな。クラスの他の連中はさっぱりっぽかったり、だされた宿題を前に天を呪ったりしているのに。


 で、僕はそもそもの童話の原作の方が怪しい。なにしろ母さんが買ってきていたのはグリム童話や王子様やお姫様系の絵本だったし。日本の童話なんて知らないかも、僕。


「ねえ、雪春。家に日本の童話書いた本ってある? 僕、ずっと日本童話読んだことなくて。原作を知らないんだよね。どうかな、書庫院とか、そういうのないかな?」


「あるよ。お母様の医学書に混ざっていろいろ僕らに買われた本から絵本から」


「よかったぁ。次の授業って来週だよね? 今日中にちゃちゃっと書いちゃおうか」


「ええ!? はじめて読む物語を英訳するのに杏さん、こういう応用も得意なの?」


 なにを言っているんだ、雪春。それくらいの宿、母さんで慣れっこだ、僕。


 でも、雪春の反応の方が妥当だ、というのがクラスを見渡して知れた。みんな愕然としていらっしゃる。で、一番に発案したのはやっぱりというとアレだけどこいつ。


「じゃあさ、これ、英訳してみて~」


「なに、春日、いきなり?」


「雲林院さんの実力測定童話にこれくらいいけない~? じゃじゃーん、かぐや姫」


「天星君、さりげなくズルしようとしない」


「あ、バレた」


 や、普通にバレるし。こいつ、僕のことバカにしている? 春日のバカなズルを窘めた雪春は苦笑している。もうまともに叱る気も失せているんだろうな。きっと。


 でも、春日が発端となってしまってクラスの男子女子問わず僕に一直線してきた。


 みんな口々に交渉の物品を言っていく。中でも多いのは「学食で奢る」だ。いや、僕普通にみんなが食べられるもの食べられないし、それは丁重に遠慮しておくよ。てか、ズルまっしぐらしちゃっていていいのか? それともリアン先生の宿題これ意地悪なの?


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