いろいろあったけど最後の授業へ


 無理矢理でも泣きやむ。僕は僕の手に直接触れている雪夏の手に縋って頬を寄せてくっつけ、んふー、と息を吐く。雪夏はくすくす笑っている。珍しそうで、嬉しそうに。


 多分、今まで僕が雪夏にだけは甘えなかったから物珍しくて頼られているのが嬉しいのだと思う。よくわからないけど。雪夏は手を引っ込めない。されるがままだ。


 ――コンコン。


 僕が泣きやみ、雪夏に縋って甘えていると保健室の扉をノックし、誰か入ってきた。保健の先生じゃない。……いや、保健の先生でない。一緒に知らない気配がいる。


「藍継殿」


「秋雪殿、その、お久しく」


 僕は聞こえてきた声に布団をちょっと脱いで秋兄が対応しているひとを見る。中年の男だった。しゃきっとした背広からするにいい身分だと思われる彼は秋兄に久しぶりの挨拶をしてのち、その場で土下座しそうな勢いで頭をさげた。顔には冷や汗が滲む。


「うちの義娘がそちらの義妹様に」


「ああ。たった今、弟から話を聞いたところだが、どういう教育をなさっておいでだ? 他人の痛みにずかずかと踏み込み、踏み荒らし、深く深く傷つけておいて……。まさかあなたが代理で謝罪して、たったそれっぽっちのことで許されようとでもお思いか?」


「い、いや、そんなことは」


「では、当人を連れてきてくれ。それとも、一方的に被害者面をしようとでも?」


「で、ですが、そちらの義妹様がうちの義娘を殴ったのは紛れもない事実では」


「私はなにもそちらだけに謝れなどと言っていない。義妹にも謝罪の機会を与える」


 秋兄の喧嘩両成敗案に相手のおっさん、藍継の当主は真っ青になる。自分の先走りの勘違いに居心地悪くなっているのだろう。おっさんは僕の方をちらりと見て、僕の色に少し驚いていたが、なにも言わなかった。が、頭をあげて申し訳なさそうに秋兄に言う。


「すみません。ですが、義娘はいたく不機嫌でその、早退する、と言って聞かずに」


 その先はぼそぼそと尻すぼみになっていった。つまり、養親の制止も振り切ってとっとと帰った、と。本当に雪夏の言う通りな女みたいだ、アレ。相手にする価値もないクソ。自分が引き金を引いておいて、僕の地雷を踏み抜いておいて、被害者面なんて。


 秋兄は深くため息を吐いて藍継家の当主を解放し、話が以上ならでていってくれ、と手振りで合図してくれた。おっさんは秋兄の、まだ大学生なのに貫禄ある態度にたじろぎ、すぐにそそくさと保健室をでていってしまった。すると、授業終了の鐘が鳴る。


「みんな、授業サボった?」


「いや。私は午後、部活動までに委員会の仕事をしていてその時に連絡を受けた」


「俺はサボり~」


 堂々とサボった言った雪夏の頭には秋兄の拳骨が制裁として落とされました。


 怖いもの知らずすぎるよ、雪夏。やっぱり雪夏は雪夏だ。でも、この場で僕のことを無理なく理解してくれようとしてくれるひとのひとりだ。だから、僕はちょっとだけ口元が緩んでしまう。だって、みんな僕のこと軽蔑しないでいてくれる。それが、嬉しい。


 でも、僕が今笑っている、と思った瞬間、兄弟揃って目を逸らしてきた。だから、だからさ、その反応はなんなのさ? 僕の笑顔ってそんな顔背けたくなるくらいキモい?


 いや、普段の能面を思うとキモいけどさ。


 でも、そんな露骨にいやそうな反応しなくていいのに。正直、傷つくんですけど。


「杏、雪春も着替えは私が持ってきた。ここで着替えて次の授業、でられそうなら」


「うん。ありがとう、秋兄。大丈夫」


「無理だ、と感じたらすぐ雪春に言え。部活動がはじまる前なら私が送っていける」


「あ、秋兄貴ばっかり点数稼ぐなよなー」


「邪推だ、雪夏。そんな算段は一切、ない」


 秋兄の主張にしかし弟は、雪夏は疑わしい~、というような目を向けている。


 だけど、秋兄はいっそのこと気持ちよく無視して僕に更衣室から取ってきてもらったと思しき着替えを渡してくれたので、僕は三人にカーテンの外へでてもらい着替える。


 着替え終わって僕が声かけると着替えた雪春が顔をだした。保健室からでていく物音がふたり分。秋兄が雪夏を引っ張っていった。で、この場は雪春に任された、か?


 僕が推理していると雪春が近づいてきて僕に手を差しだしたので、僕は遠慮なく取って上履きに足を突っ込んで雪春について保健室をでた。先生は少し心配そうだったけど僕の顔色を見てひとつウインクしてきた。その意「授業頑張ってね」だろうか。


 生憎先生じゃないのでわからない。僕は「失礼しました」と言って保健室をでて雪春に続いて教室へ戻る。すると、早速春日が詰め寄ってきた。ちょ、近い近い近いっ!


「藍継のこと殴ったのってなんで!? もしかして地雷を僕より先に踏み抜いた?」


「まるで自分が踏みたかったみたいな言い方だね、春日。で、だったらなに?」


「あ、僕のことは天星あまぼしって呼んでね?」


「気分が乗ったらね、春日」


「でも、そうかー。まあいつかなにかやらかしてくれると思って期待していたんだよね、あの女。媚売りまくりの超節操なしだし、クラスの女子からも不人気なんだ~」


 なぜ、不名誉であろう不人気だ、というのを嬉しそうに言うんだろう、こいつは。


 それともそれくらい? それくらいの嫌われ者だったってこと? 僕がクラスにいる他の同級生たちを見るとみな、春日に同意するように頷いた。女子は中でも「ざまあ」という顔でいるコが多い。けど、僕と目があうと気まずそうに顔を背け、俯いていく。


 藍継を排除してくれて感謝しているけどそれが僕の地雷を踏み抜いた結果、だというので露骨に喜びにくい、といったところ。……ていうか春日、あまぼしっていうんだ。


 無駄に格好いい名前だ。姓はいたって平凡の域にあるのに。なんというか、意外。


 とまあ、そんな春日とのやり取りがあって僕は席に着き、英語の教科書やルーズリーフに筆記具を準備しておく。あの時、バレーの準備をさせられていた女子たちが僕のことちらちら見ているけど、ちょっと悪いと思っても無視しておく。僕、今は余裕ないし。


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