僕を心配してくれる「今」の家族


「そう、悲しかったのね。いいわ、奥のベッド使わせてあげて。先生は雲林院家に連絡しておくから。でも、そうね。こんなになっちゃうなら今日はもう帰る方がいいかも」


「それはまた時間が経ってから彼女が自分で決めると思います。とりあえずベッドお借りしますね。ありがとうございます。あ、兄たちにも連絡を入れていただけますか?」


「いいわ。任せて」


 保健室に着いて早速雪春は僕の状態を話し、ベッドを借りられるように言ってくれた。保健の先生は雲林院家に、それと秋兄や雪夏にも連絡しておく、と言って部屋をでていってしまった。雪春は僕を奥のベッド、四つあるうちの右側奥に導いて座らせた。


 ぶかぶかジャージに着られている僕を置いて雪春は椅子を持ってくる。その間に僕は上履きを脱いでベッドに転がって布団にもぐる。泣いたせいか妙な疲労感がある。


 雪春はしばらく無言だった。けど、すぐ僕の訊きたいこと、疑問に答えてくれた。


「急に雨が降りだしてね。屋内で授業になって体育館にいったら杏さんと藍継さんの口論が聞こえた、というわけさ。でも、僕も失念していた。こんなに深い傷なのに」


「僕、退学、かな?」


「まさか。体育館中が証言するよ。だから、大丈夫だから今は休んでおこう?」


「でも」


「大丈夫だから。あんな下等な、性根の腐ったようなひとに負けないで、杏さん」


 雪春の言葉は心強い。でも、いくらなんでもしてしまったことへの罰は免れられない。よくても停学になるのはわかっている。前の高校は見せしめとして僕に罰則を科して終わっていたけど、ここは違うだろうことはわかっている。暴力行為など看過しない。


 僕は申し訳なくて雪春に背を向ける。雪春はなにも言わない。けど、そばを離れていこうともしない。変なの。雪春が一番、僕のこと軽蔑してくると思ったのに。


 同じ女子とはいえ、暴力を振るったんだからさ。それも、無抵抗な相手の顔をぶん殴ってさ。ホント、どうかしているというのはわかる。自分のことだ。なによりも深くわかる。どうかしている。学内で暴力沙汰起こすなんて。今までにもない異常性だ。


 でも、あの時は頭に血がのぼっていたからどうでもよかった。僕の頭を占めていたのは母さんを侮辱されたっていう一点のみ。だから、どうすることもできず感情に身を任せてしまった。無念のままに息絶えた母さんの為だけに僕は今まで生きてきたんだから。


 親父たちの虐めにも屈することなく、ただ粛々と受け入れてなんとか生きることだけ考えていた。なのに、それなのに。こんな僕を拾ってくれた義母さんに恥をかかせた。


 サイテー。僕、最低だ。恩に仇を返すような真似するなんて最悪だよ。あの時、あの事故の時に母さんと一緒に死ねていればきっとここまで苦しまなかったのに。


 ああ、ダメだ。頭ぐるぐるする。僕の脳内は混沌としている。自己嫌悪と義母さんへの申し訳なさで、気持ち悪くなってくる。でも、耐える。悪いのは僕だ。なのに……。


「杏!」


「杏ちゃん!?」


 僕が自己嫌悪で頭ぐるぐるさせていると保健室の扉が開き、知った声が聞こえてきた。ひどく安心できる、してもいい声だけど、今は正直聞きたくないかも。……ダメだ。


 ダメだ、僕。せっかく心配して来てくれたのにこんなこと思うなんて最低だ。でも、あわせる顔がないから僕は布団を頭まですっぽりかぶっておく。布団おこもりー完成。


 保健室の中を移動する物音はあまり聞こえてこないけど確実に接近してくる。カーテンを引いて誰かさんたちがベッドのまわりを囲むように入ってきたのがわかった。


「雪春、なにがあったのだ?」


「藍継家の御令嬢を秋兄さんも雪夏兄さんも知っているよね? 彼女に杏さん、杏さんのお母様のこと触れられてそれで、殴っちゃったんだ。それでその、自己嫌悪に」


「あー、あの色目使いの節操なし女ね」


「殴るまでいったとなると相当深く、それこそ無遠慮に触れられたということか?」


「うん。お父様たちのことにも触れられて、ついさ、キレちゃったんだと思う」


「杏、自分を責めるな」


 無理だよ、秋兄。僕が悪いんだ。我慢が足りなかったんだ。僕のせいで格式ある雲林院の家名に傷をつけるような真似しちゃったんだからさ。だから、僕のせいなんだよ。


 僕が自己嫌悪で潰れそうになっていると誰かの手が布団にもぐってきて僕の手に触れてきた。大きくて温かい手はごつごつしている。僕は黙ったまま無反応を貫く。


「ねえさ、杏ちゃん。あんなゴミ女気にしない方がいいよ? 藍継に養女として迎え入れられただけのお飾り女なんだしさ。まあ、だからこそ杏ちゃんに嫉妬したのかもね」


「意味、わかん、な」


「うん。つまりさ、自分の方が雲林院家に相応しいとか思っちゃっている鼻持ちならないクソ女ってこと。俺らへの色目もすんげえの、こいつ。あわよくば嫁入りしようってのもろバレ。なのに、他の名家の男連中にも媚売っていて見苦しいったらないのさ」


「……でも、僕がやったことは」


「ああ。殴ってしまったことはお前の反省点だろ。だが、だからといって過剰に自分を追い詰めるな、杏。お前の心の激痛に無遠慮に触った相手の無思慮こそ愚かしい」


 相手の無思慮を責め、僕のこともきちんと叱ってくれる秋兄は布団の上から僕の肩を優しくポンポンと叩く。それだけで引いたと思った涙が溢れてくる。秋兄の優しさが嬉しくてあったかい。お陰でちょっとだけ救われたような気がした。そして……。


「僕らは杏さんの味方です。絶対に」


 そして、雪春も僕の肩に布団越しで手を置く。筋肉量の賜物だろうけどすごく血流がよくて温かい手だ。三人共、あったかい。優しい。だから、僕は泣きやむことにした。


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