スマホデビューして新しい家に帰宅


「こちらへどうぞ」


 やがて通された部屋の上に何気なくVIPと書いてあったのは気のせいじゃない。僕はそわそわしないように気をつけつつ、秋雪さんにすすめられるまま椅子に腰かける。


 でも、どうしても落ち着かなくて隣の椅子を引いて腰かけた彼の大きな手に自分のちんまい手を置いておく。秋雪さんは驚いていたが優しい顔で笑って僕の頭を撫でる。


 大丈夫だ、との意に僕は不思議と安心して肩の力が少し抜けていくのがわかった。


 あとから入ってきた雪夏と雪春が僕と僕の保護者役になってくれている秋雪さんを見てちょっと微妙な顔をした。なんだ? ふたり共なんか顔が険しい、ような……。


 僕、そんな不躾なことしている? でも秋雪さんが許してくれているんだしなあ。


「大変お待たせしました。まずはこちらの機種などいかがでしょう? どうぞ、一通り触ってみてください。ある程度機能は入れてございます。あとはお嬢様次第で不要な機能などを省く形で他機種をお持ちし、アプリケーションのインストールもこちらで」


 言われて見た先に赤い絨毯みたいなの敷いたトレーに乗せられたスマホ一台。


 まあまあ予想通り、高級で有名なあの会社の最新機種だった。大きさはそこほどじゃない。おそらく僕の手が小さいから配慮してくれたんだろう。恐々手にして説明されるまま画面に触れて起動してみる。いろいろなアプリケーションがあって目が痛い。


 色とりどりすぎて気持ち悪くなる。なんという脆弱さだろうか、僕。……うぷ。


「こうした形式はお好みでありませんか?」


「あ、はい。そうみたいです」


「では、こちら、いかがでしょう? お嬢様の瞳の色に映える、と奥様がご希望を」


 言われて差しだされたトレーの上には蒼穹のような色合いの美しいスマホが乗せられていた。うわー、綺麗な色。まさしく空の色でその昔、母さんが言って、褒めてくれていた僕の瞳の色そのものだった。こんな色よくあったな、この世に。聞いたことないぞ。


 僕がとりあえず手に取って本体横にあるボタンで起動すると待ち受けには藍玉の海が広がっていた。空と海。まるで僕と母さんのようだ。似ているのにけっして交わることのない存在。無性に悲しくて、淋しさがこみあげるのは気のせいじゃないと思う。


「いい色だね。杏ちゃんの目にそっくり~」


「ぼ、僕、ここまで綺麗じゃないっ……て、あの雪夏? なにいきなり?」


 いきなり。そういきなり雪夏が僕の頭を撫でてきた。ホントなんなのさ、アンタ。普通の女の子だったらアンタみたいな美形にこんなことされたらドキドキものだよ?


「なんとなく杏ちゃんが泣きそうに見えた。秋兄貴に遅れとんのヤダし、先手必勝」


「意味わかんないからっ」


「あ。ほらね、杏ちゃん今にも泣きだしそうな、そういう声していブっ!?」


 また、唐突になにかしら起こるもんだな。と、僕が悠長に考えていると雪夏にどうやら今度こそ空手の技、正拳突きを喰らわせたらしき雪春がむすっとして僕の持っているスマホの待ち受けの設定を僕に見えるように弄っていく。キーワードは空と季節。


 するとスマホに備わっているAIが自動的に今の季節に相応しい空模様を設定してくれた。桜の花が舞い散る美しい空。なんとなく感傷が引く気がしている僕である。


「飽きた時は自由に設定を変えてください」


「あ、うん。えっと、殴った意味は?」


「……。……特にはない、かな?」


「春、おま、特に理由なく兄さんを殴るな」


「……敢えて言えば、杏さんに人前で恥かかせようとしたことに対する罰、とか?」


「お前、それこそ取ってつけたろ?」


 ちょい遠く、VIP室の端っこで壁に頭でもぶつけたのか雪夏が後頭部庇って起きあがり、雪春に抗議している。秋雪さんは事態、というか弟ふたりのアホ喧嘩理由に見当がついているのか頭痛を堪える仕草。よくわからないけど、そんなにアレな理由か?


 バカっぽいっていうかくだらないの?


「気に入ったか、杏?」


「う、うん。すごく綺麗」


「では、この機種のこの色で手続きを頼む。ラインと母上や我々の連絡先も入れてやっておいてくれ。あとは、杏が自分で選んで相手を追加していけばいいからな」


「かしこまりました。少々お待ちください」


 僕が三兄弟のうち弟ふたりのくだらなさについて考えかけたと同時に秋雪さんが声をかけてきて僕は即答していた。……ってか、これこそ限定色とかなんじゃないか?


 とは思ったがあまりもたつくのも悪いのでこれに決めようと思い、黙る。黙ったままなんとなく秋雪さんが見る先を見る。と、バカな弟ふたりが拳で語っていた。


 いや、ちょ、なにしているのさ!? お店に迷惑だよ。でも、とても僕が口だせそうにない雰囲気でってか、すさまじい攻防でなのに、店の備品には傷一個もつけてない。


 す、すごっ。雪春って空手黒帯だって言っていたけど何段なんだろ? あとそれについていける雪夏もどんな武芸を? なんて、僕が激しすぎる兄弟喧嘩をぽかんと見ている間に秋雪さんが手続きを完了し、僕にあのスマホをクリアケースつきで渡してくれた。


 画面にはフィルムも当然のように貼ってあった。わあ、僕がスマホデビューってすごいなぁとか思って背景音楽の喧嘩を流す。その後、秋雪さんが拳骨を喰らわせ、収拾。


 店をでるとすっかり暮れかかりで夕焼けがすごく綺麗に見えた。今までの僕にとって夕暮れはいいものじゃなかった。急ぎ足で家に帰って誰もいないうちに飯食って三階にあがって息をひそめる。そんな毎日だったから。夕暮れは地獄の窯も同然だった。


「さあ、では、いこうか、杏。雲林院家へ」


「はい。あの、お世話になります」


「そう堅くなるな。これからは家族だ」


「……じゃ、じゃあ、あの、秋、兄?」


 僕が遠慮がちに秋雪さんを秋兄と呼ぶと秋雪さんは少しの間きょとんとしたと思ったらパッと口元を隠して顔を逸らした。え、なになになに? あの、顔、赤くない?


 などと僕が思っていると雪夏と雪春がぶすっとして店をでてきたばかりか秋雪さんになぜか同時攻撃。なのに、秋雪さんは両方華麗に捌いてみせた。えええぇえ、すごっ。


 アレかな、やはり長男には弟たちが一斉にかかっても敵わないのかな? なんて考えるうちに秋雪さんは弟ふたりを軽く叩きのめして車の後部座席に放り込んだ。


「杏がよければそう呼んでくれて構わない」


「う、うん。じゃあ、秋兄」


 雪夏と雪春のあとに続く形で秋雪さんもとい秋兄が乗り込んだので僕も乗って彼の隣に座る。こうして兄のように接してくれるひとが安心できるなんてはじめてだな、僕。


 そして、まあまあ予想通りに僕と兄弟が乗った車は大豪邸なんてものじゃない超大豪邸に到着し、僕らは玄関先でおりる。そのまま秋兄の案内で家に入る、と待ち構えていたハリセンが三兄弟をぶっていた。……訂正。長男よりもお母さんが一番強かった。


「お。お、お、おお。杏、可愛さに研きがかかったなぁ。うんうん。私も嬉しいぞ。服が届いた時はこのバカ息子共は私の義娘を着せ替え人形にでもする気かと思ったがな」


「え? もう届いて?」


「ん? ああ、もちろん。パジャマも秋辺りが気を利かせてだいたいの寸法で見繕ったんだろ。一緒に届いている。あとでじっくり見るといい。まずは風呂だな。で、ご飯」


「ぇと、あの、僕その」


「ああ。杏のはまだ病食だし、作法とかはおいおいで三人に習えばいい。我が家自慢の大浴場にいこう。さ、着替えはもう準備しておいた。汗くっさい男共は放っていこう」


「か、義母さん、たしかに雪夏と雪春はちょっと汗かいたかもしれないけど秋兄は」


「なっ、杏が私を義母さん!? うう、私はいつの間にか召されていたのか?」


「いえ、生きています」


 僕のそんな突っ込みを余所に雲林院先生もとい義母さんは感激して僕を連れて大浴場へ向かい、僕を丸洗いしてくれた。それから家族と一緒に食事して僕は早々に休むことに。案内された広い部屋で大きなベッドに倒れ込み、明日からの日々に思いはせて……。


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