そうか、技術料、フェアトレードか……


「この先だ、杏。母上も先代もその前もずっと変わらず我が雲林院家が贔屓にしている店で、「キャラメリア・モカ」という。きっと気に入るものがあるし、揃えてくれる」


「えっと、秋雪さん、結局なに屋」


「さあ、いこう。夕食に遅れると母上に怒られる。お前を遅くまで連れまわすなと」


「……ん? 僕を」


「うん。杏ちゃんをここにって言ったのは母さんだけど、そこで時間をどう使ったか、使わせたかの責任は俺らに降りかかるからね。理不尽なことに。でもま、その時はその時ってことで。いこう、杏ちゃん? 多分、俺も秋兄貴も春も目移りしまくるから」


「?」


 雪夏のよくわからない言い方に僕は首を傾げる。が、その雪夏は僕の手を握って優しく引っ張ってくる。僕は抵抗する気もなく、なにやらビル群の間に連れていかれる。黒服のひとたちは兄弟と僕が入るビルの間周辺で待機している。なんなんだ?


 そうして、ビルの間を進むこと少々で僕は呆けることになった。突然、コンクリジャングルが開けて豪奢な一軒の家、というか豪邸のようなものが現われたからだ。


 え、なに、神隠し? とか僕がアホ丸だしで考えているのも気にせず、兄弟は僕を連れてその豪邸に入った。と、上品な赤絨毯の敷かれた床を踏んで入った中は、百貨店?


「いらっしゃいませ、雲林院様。奥様よりご連絡頂戴し、数点ご用意しております」


「そうか。では、早速」


「ええ。それでは、お嬢様、こちらへ」


「え、僕?」


「杏ちゃん以外に誰がいるの? さ、いくいく。俺らに母さんの雷落としたいの?」


 う゛っ。雲林院先生の雷、雪夏には落としてやりたいけど他の、秋雪さんと雪春には正直あまり落としたくない。なので、僕は出迎えてくれたお姉さんたちについていく。


 螺旋階段なんて現実でお目にかかることになろうとは。非日常に思いっ切り踏み込んじゃったような気がするよ。って、考え遊びで現実逃避もたいがいにしとこうか、僕。


 階段をのぼり切るとそこは広々とした空間で奥にはカーテンつきの部屋、フィッティングルームのようなものがある。……え、ここ、洋服屋さんなの? お金持ち御用達?


「では、まずはこれらからどうぞ、試着してみてくださいな。どれも奥様がお嬢様にお似合いになるだろうから、と事前にご連絡いただきましたお品ばかりですわ」


「え、や、あの、目の錯覚ですか?」


「はい?」


「これ、このシャツ、零が五つついて」


「どれも当店自慢のブランド品ばかりですので。お支払いはご子息様方にカードを預けてある、とのことでしたのでお嬢様はお気に召すものをごゆっくりお選びくださいな」


 この際、しっかりはっきり言っておこう。無理です、って。だってさ、とってもシンプルなシャツにどうして数十万の値段がつくの? 僕と金銭感覚が違いすぎるよ。


 だいたいこれ、なんでこんな値段がつくの? 兄弟の様子からしてぼったくり価格ってわけでもなさそうだけど。そう思ってお姉さんがいまだに寄越そうとして引っ込めないシャツを一応受け取ってみる。……。すごい。すごく肌触りなめらかだな、これ。


 僕が今着ている高校の指定シャツがすごく粗末なつくりに思えてくる。や、多分どころかかなり粗末だけど。零の数だけでもふたつ違うだろうし。普通の高校、公立高校が指定する学生用のシャツなんてそんなにする筈ないもの。家計に大打撃だ。血涙だよ。


「りゃ? 固まってどうしたの、杏ちゃん」


「え、あ、だってこれ値段が恐ろし」


「あー、それね。技術料ってところかな」


 いつの間にかそばに来ていた雪夏のどうしたのか、に僕は価格崩壊じゃないのか、と思って値段が怖いと訴えたが雪夏はまるで当然のようにこれは技術料、と言った。


 そして、他に雲林院先生が事前に用意させていたらしい服を手に取って吟味している雪夏に続いてきた他ふたりも同じように僕の服を見ているし、それぞれに別の服も見せて、とか言いだしている。え、いや、ちょっと……。こんなの試着だけでもおっかない。


 けど、技術料とかについては兄弟から説明があった。雪春が一番に口を開く。


「今や、それこそ価格崩壊が起き、ファストファッションに追いだされて失われつつある伝統工芸の一種なんですよ、服をつくる技術っていうのは。それに素材も」


「一流の素材を一流職人が使って本当によい品をつくることはこの国に息づく貴重な伝統と文化を守ること。なのに、雪春が言ったよう、ただただ安いものに走る者は多い」


「本当にいいもの。こいつを正当な、職人に支払われるべき、然るべき価格で購入することはね、総じて文化を守ることにもなるのさ。杏ちゃん、それが俺たちの義務なんだな。価格崩壊で身を崩すことがないように、ね。生活を守ってあげるべきなんだ~」


「努力と技量、素材の代金?」


「そういうことですね。フェアトレード。これはまだこの国に浸透し切っていない。僕らにとって当然でも、他のひとたちには価格だけで判断されがちな価値観の違い」


 言われて僕は渡されたシャツについているタグを見てみる。使用素材の部分、外国の文字が躍っているが下は日本語。純シルクのみ使用。手作業の仕上げ、と書いてある。


 たしかに今時、こんな上物ものがつくれるひとの方が少ないだろうし、価格だけで判断する傾向が強まった今の時代には浸透していない、というか弾かれつつあるのかも。


 そんな話聞いたら価格だけで判断しそうだった僕も恥ずかしいじゃんか。そう思ってシャツと秋雪さんが渡してくれたプリーツが綺麗なスカートを持って試着室に入り、着替えてみる。すっごく着心地いいし、変な拘束感もない。羽毛を着ているみたいだ。


「おーい、杏ちゃん、どーおー?」


 外から雪夏の声。なので、僕は一旦カーテンを引いて外へ。そこに僕が元々履いていた中学からのボロスニーカーはなく、洒落たローヒールのパンプスが置いてあった。


 顔をあげず、その靴を履いてみる。これもきっと一足ずつ手作業でつくられた、本当の靴職人が仕上げたものだろう。履いた時にストン、といって足に自然と馴染んだ。


「わーお、かーわいーねえ、杏ちゃん」


「そ、そうかな? 僕、負けていない? 完全にお洋服様とお靴様で飾った感じな」


「まっさか~。俺、こういうのでお世辞も嘘も言わないんだよ? うん、可愛いね」


 アンタの軽い声調子だとそれこそ嘘っぽいけど、でも、雪夏は本当に嬉しそうに着られていそうな、服に負けていそうな僕へ新しくワンピースを渡してきた。え?


 視線をあげるとどこから持ってこられたのか大量の服がハンガーにかかり、カートのようなものに引っかけられて持ち寄られていた。秋雪さんも雪春も真剣に悩んでいる。


 そして、あれもこれもという感じで僕に似合いそうな服を手に取っては僕の腕に乗っけてくる。兄弟で趣味嗜好の系統は様々っぽいのに、統一してどれもこれも、とても清楚なまさにお嬢様みたいな服を寄越してくるので僕は始終呆け気味になってしまう。


 で、僕が呆けている間に今着ているスカート、ミモレ丈なのに僕の背が低すぎて床すれすれになっているそれの丈直しにお姉さんがしゃがんでピンを打っていく。すごい早業ってあれ、これもう購入決定? 僕としては服なんてそんなに必要ないんだけど。


 そりゃあ、僕も女の子だ。お洒落に興味がないなんていうのは嘘だ。でも、今までに買ってもらえた服なんて制服と自宅で着るシャツとジャージくらいなものだった。


 なので、あまり服を買ってもらう、とかそういうのに耐性がない。遠慮が勝つ。勝ちまくっちゃうので僕はおろおろと三兄弟を見るも、みんな僕の困ったを無視した。


 と、いうか僕の為に服を見繕うのに忙しくて気づいていない、の方が正しい。


「では、こちらの丈をお直しさせていただきます。別のものをご試着ください」


「う、は、はい……」


 お姉さんの気迫、というか有無を言わせない強さに押されて僕はフィッティングに戻って今着ているものを脱ぎ、雪夏が見繕ってくれたワンピースを試着。これもすごく着心地いいし、びっくりするくらい僕に似合っている不思議。濃紺に黒のグラデーション。


 これも普通のひとが着れば膝丈だけど見事にマキシ丈。外にでるとこれまたお姉さんが早業のピン打ち。で、新しい服をどんどん試着させられて、直しにだされしている間に一着ほど早く仕上がったあのプリーツスカートとシャツと綺麗めなバッグを渡された。


 多分、これ着て持って雲林院家にいく、ということなのだ。だって、もう値札切ってあるもん。アレかな、僕を違う意味の心労でぐったりさせる気なのかな? この三兄弟。


 いや、もう抗議もなにもでないけど。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る