素朴な問い。ばいおれんす。僕の名前の由来
ギャップがすごすぎる。見た目美人なのにおっさんみたい。でも、当人に言ったら締められそうだからやめとこ。……ん? あ、れ? 今、なんかすごく変わった、なのに妙な感じで聞き覚えのある名前を聞いたような気がするんだけど、気のせい、かな?
えと、うじいん? なんだっけ、どこで聞いたんだっけか? でも、先生ってことはやっぱりお医者さんなんだ、このひと。いくつぐらいだろう。こどもとかいるのかな?
……こども? あれ、なんだろ。引っかかる。こども? ……こども?
「あの」
「ん? どうした?」
「先生ってこどもいるの?」
そんなに絶対訊きたいことじゃないけどなぜか気になってしまった。だって、なんだか子持ちって感じに見えないくらい綺麗なんだもん。でも、訊いたのは片隅にある欠片の記憶のせい。入院する前、うじいんという名前を聞いたような気がしている僕がいる。
けど、よく思いだせない。ただ、うじいんという名前だけ覚えている。きっと聞き慣れない名前だったからだと思う。そうじゃなきゃ僕はどうでもいいことは忘れる。
「こども? いるよ。上はもう大学生」
「え?」
「おい、なにの「え?」だよ、それは」
「いえ、あのその……」
「見た目よりばばあって意味、ってブふッ」
突然、いろいろなことが起こって僕はつい固まってしまった。うじいん先生が拗ねたような顔をしたのもそうだし。知らない声が聞こえてきたのもそうだし。うじいん先生が僕の使うベッドの枕を片手で引っ掴んで全力でぶん投げたのも全部、みんな驚きだ。
先生が枕を投げた方へ振り向くと……なんだかキラキラした空気と共に立っている美形がふたりと顔を押さえて蹲っているひとりがいた。えぇと、なにがあった?
「お母様……」
「母上、雪夏が悪いのですが、患者の枕を投げるのはいかがなものかと思います」
「冷静に突っ込むな、秋。そして春、そんな引くなっ! 母さんはナイーブなんだ」
「いや、ばいおれんすだし」
……んと、いろいろと突っ込みたいけど、蹲っていたひとりがまた余計なこと言ったせいで今度はなにかのリモコンが飛んで僕は突っ込みの機会を綺麗に逸してしまった。
飛んでいったリモコンは蹲っていたのが両手で真剣白刃取りよろしくパッチンして止めた。が、続投された屑籠は避けようがなかった。よって蹲りの鼻にクリティカルヒット。屑籠は舞いあがり、流れるようにくるんと一回転。蹲りさんの頭を呑み込んでった。
えー……なに、この芸術的バイオレンス。
僕がある意味芸術的バイオレンスにぽかんとしているとうじいん先生が長い髪を搔きあげ、病室の出入口にいる三人にちくりと言い放った。声には咎めの棘があった。
「面会謝絶、の紙が見えないのか、息子共」
「すみません、お母様。ですが、いい加減心配です。こんなに長く面会謝絶なんて」
「ん。そのコの幼馴染も心配している」
どうしよう。理解が追いつかない。バイオレンスがすごかったのもそうだけど扉そばの美形たちが先生の息子だってのも相当びっくりだったし、屑籠かぶったまま喋っているのもすげーシュールっていうか、なんか、すごい。なんとなくだけど、でも怖い。
「その幼馴染っての、入れてないな?」
「はい。院長先生の絶対命令で面会謝絶、と伝えてなんとか遠慮してもらいました」
「よしよし。で、なんでお前らは来た?」
「先ほど雪春が申しあげた通り、心配になりましたので。母上がこんなに長く面会謝絶にすることも珍しい。故にかなり具合が悪いのかと思い、はせ参じました次第」
あの、堅すぎない? 長髪のお兄さん。どんだけ堅いんだよ、ってくらい堅い。母親に対するってより家長に対する感じがしてなんとなくこっちの方が緊張するよ。
……。ゆき、はる? あれ、えっと、どこかで聞いたぞ、この名前。えっと、どこで聞いたんだっけ……? ヤッベ、記憶障害? 若年性健忘症? ……え、認知?
「お加減、いかがですか?」
「ぇ、いや、あの、はい……」
僕が自分自身の記憶力の悪さにどーしょーもないこと心配している。と、そのゆきはるとやらが声をかけてきた。どんな字書くんだろ。なんだかすごく幸福運に恵まれてそう。だけれども生憎僕に名前を、使われている漢字を想像する能力は皆無に等しい。
僕がまたしょうもないことを考えているとゆきはるがベッドにゆっくり近づいて屈んできて、僕に視線をあわせた。そして、元々優しげな顔に柔らかい笑みを浮かべる。
ああ、なんだろうな、この感じ。昔、絵本に読んだ王子様みたいだ。まあ、僕はお姫様じゃないからこれは、この親切な対応は完全なるお義理、なんだろうけど、さ。
「お名前は事前にあのクラスの名簿で拝見していましたが、直接伺っても?」
「あ、はい。……でも、僕の名前なん」
「はい。これにフルネーム書いてください」
僕の名前なんてそんなわざに聞かせるほどのものではないのだが、それを指摘する前にゆきはるはメモ帳とペンを渡してきた。……なんか、優しい、物腰は柔らかいのに有無を言わせない迫力が溢れているな、このひと。見た目イコール、じゃないっぽい。
とりあえず、渡されたペンの蓋を取って僕は紙に自分の名前を書く。「橘杏」という名前を。母さんが考えて徹夜した名前。ホントは強、ってつけたかったらしい。
僕が生まれた瞬間、親父の態度がころっと変わったせいで。よりによって女なんか産みやがって、と。ま、長男、次男と続けて男だったから変に無駄期待していたんだろ。
元々男尊女卑みたいな部分があったひとらしいし、余計にイラっときた。だからこそ母さんは僕に強くなれー、ってつけたかったんだって聞いた。でも、漢字に疎い母さんだから強くなれ、って意味がある女の子らしい名前なんてまったく、知らなかった。
だから、同じ音で可愛い読み間違えも誘える「杏」とつけた。たまに、小学校時代は母さんの狙い通り「あんずちゃん」とか「あんちゃん」と呼ばれたこともある。
「たちばな、きょう……です」
「素敵なお名前ですね」
「……。お約束なお義理をどうも」
「お義理なんてそんなことないですよ。可愛らしくて淑やかでとてもお似合いです」
「いや、ないから、僕にその要素」
なに面と向かって可愛いとかお淑やかとか言ってんの、こいつ。しかも僕に? 目腐ってんじゃね? 僕が可愛いとか万が一にもないよ。いっそ、億にひとつもない。
この僕に可愛い要素などミジンコ一匹分もないのになにその大嘘満載のよいしょ。そんなものに乗ってやる僕じゃないからな。こいつ、自分が美男子でモテモテだから調子こいているのか? なに、僕のなにかしら攻撃でも希望なのか? ああ? どうな……。
「ギャップ萌え」
「ひゃっ」
「あ、可愛い声で、だぶっ!?」
僕がひたすら悶々とゆきはるに負の意味、暴力方面まっしぐらにいけない妄想をしていると耳にさわっと息と声がかかった。その声はギャップがどうのと言ったが、僕は言われたことを気にする余裕がない。顔に熱が集まって発火しそうになってしまう。
僕のだしてしまった驚き声に驚かせた阿呆は可愛いと言いかけたようだが、誰かがセクハラに制裁したようで声が途中でめっさ濁ったのが聞こえてきた。天罰だ、バカ。
天罰くだった、ざまあ、と思って振り返るとベッドの上にアホがひとりいた。
ベッドの上で顎の辺り押さえて悶えているの、さっきうじいん先生に「ばいおれんす」とか口走ったやつ。えと、たしか、せつか、だっけ? と、ゆきはるが腕をおろす。
「もー、ダメだよ雪夏兄さん、驚かせちゃ」
「春、俺は兄さんを本気のぐーで殴ったお前の方によっぽどびっくりだよ。お前さ、空手の黒帯歴何年だと思ってんの? いやあのマジで。その拳にどれほどの威力秘めて」
「えっと、小学生でもらった四年と中学でもらい直して二年くらい、だったかな?」
「……。凶器だからね、黒帯計六年の拳骨」
「自業自得ですよね? それとこれはアッパーカットです。混同しないでください」
あの、すみません。「もー」ってのと、お兄さんをぐーパンチしたってのにものすっごいキャラ隔たりを感じるのは僕だけなのでしょうか? しかもアッパーカットってボクシングで空手関係なくない? あれか、突っ込んじゃいけない? わかった、流すよ。
てか、見舞いのひとがいるとこんなににぎやかになるんだな。はじめて知った。
今まで仕方なく入院した時も僕のところに客が来ることはなかった。親父が勝手に自宅療養専念しているからとか言いふらして。だから、余計に僕はひとりでいた。四人部屋の一角を借りて膝を抱えていた。同室に見舞いが来る度いいなぁ、と思いながら。
でも、それは望んではいけないもの。僕が僕でいる限りそんな贅沢は望んではいけないのだ。だって、それが僕を僕だと定義している僕の一部だから。だからこれも幻だ。
僕が望んだり、えてはいけないもの。
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