おねがい、僕を、暴かないで


 いや、当たり前か。当然だよな。


 全身震えているんだから、震えているもので震えているものを押さえても震えるだけだってバカでもわかりそうなものなのにどうして僕は無駄をしているのだろう?


 全身が震える。冷や汗が噴きだす。暴かれそうな予感を覚え、僕は、怯えている。


 家のことを外に知られたら、僕はどうなるかわからない。避妊どころじゃない。殺されるかもしれない。それこそバレないように完全犯罪よろしく消されるかも……。


「これは、きちんと警察、併せて児童相談所に入ってもらった方がいいな」


「要らねえよ。第一もう児童なんて歳じゃ」


「だが、このままでは君はいずれ栄養失調か暴行による出血ないし痛みで死ぬぞ?」


「僕が細いのは遺伝なんだよ。別に餌が」


「……餌?」


「……ぁ、い、や、違う、違う違うっ!」


 どうしよう、視線が痛い。やめろ、僕を見るな。ひそひそ喋ってんじゃねえよ。目、逸らすんじゃねえよ。逸らすくらいなら最初から見るな。やめろ、僕を、見るな。


「餌だと?」


「違、う。ただ、あの、言い間違えて」


「昨日、なにを食べたのかね? 君がどんな食事を見て餌と言うのか知りたい」


 そんなたいしたもの食ってないよ。知りたいっていうかこれ、尋問じゃね? ああ、自爆った。どうしよう。なんて言えばいいんだろう。僕が昨日食ったのなんて……。


 ヤベ、すぐに思いだせない。昨日、いったいなに食ったんだっけ、僕。昨日、朝は野菜が残っていたからそれ食べたし、昼は支給される餌、じゃない昼食代でおにぎりを買って食べた。……たしか。そうだった、筈。あの、夕飯はなかったけど、でも。


「朝は野菜を」


「ほう、どんな野菜かね?」


「えと、南瓜の種とか、人参の皮とか」


「それ、野菜じゃないし。野菜のクズ。もっと言うと生ゴミ直前で残飯以下」


 僕の返答を聞いていた長男の顔に苦みが広がり、次男がわかり切っていることをわざに言ってくれやがった。三男は唖然とした顔をしている。でも、でも、でも……。


「たしかにそれは「餌」だな」


「君、兎かモルモット扱い? ……や、そいつらの方が最近はいいもん食ってるね」


「……っあ、いや、その日はたまたまそうだっただけ。親父の機嫌がいい日は床に落ちたものは食っていいことになってるし、それとたまに菓子のカスだって摘ま」


「それくらいにしたまえ」


 静かな声だった。なのに、僕はまるで怒鳴り声を聞いたかのように縮こまった。


 長男の声は静かで落ち着いている。厳しい色を持った声はそれくらいでやめろ、と諭してきた。別に僕なにも変なこと言っていない。これは僕の当然なんだから。


 そう、思ったのは一瞬だけ。クラス中から視線が突き刺さってくるのを感じて見渡してみた。誰も彼もがぽかんとしている。ハゲも、そう。僕の発言にショックを受けたような顔をしている。中でも、クラスの中でも最も驚いているのは朝倉と神薙のふたりだ。


 幼馴染が虐待の餌食になっていた、という衝撃に言葉を失くしている。って、違う違う違う。僕は虐待なんて受けていない。いたって普通の家に生まれたんだ。


 ただ、髪と目の色がちょっと普通の日本人と違っただけで。僕の生活これは普通だ。


 普通、だよ。普通なんだ、から……。


「ひとまず、警察に連絡する」


「やめろ」


「なぜかね?」


「僕は虐待なんてされてないっ。大袈裟だってのもあるけど、余計なお世話だっ!」


「君は、早急に心のケアを受けた方がいい。雪春、ひとまずうちのカウンセラーでいい。すぐ診るように連絡を入れてやってくれ。こんなひどいケースは他にありえない」


「っざけんな! 僕はそんなも、ん……?」


 受けないと言いたかったのに。目の前がぐにゃりと歪んで膝が床を叩いてそして。


「橘!?」


「杏ちゃん!」


 悲鳴のような、叫びのような声が、聞こえてきた。頭、割れそうだ。腹、減ったな。ああ、僕のこれ、虐待だったのか? で、これは貧血ってやつで栄養失調のせい?


 倒れていく。傾斜していく。そして、膝をついた僕は床にぶつかる筈だった。


 ――ぽす。


 とても軽い音がして僕はなにかに支えられ、そっと抱えあげられた。その時見えたものはふたつ。見慣れない教室の天井と。とっても綺麗な顔の、男のひと。


 えと、たしか、うじいん……ゆき、はる?


 僕、死ぬの? だから最期にこんな綺麗な顔拝めるのかな? はは、僕のサイテーな命も捨てたもんじゃなかったのか。何度も捨てかかった。でも、何度も何度も死んだ母さんの悲しそうな顔が浮かんだ。だから、僕は泣きながら日常に戻った。地獄に戻った。


 女だから、という理由で迫害された。不良のレッテルを貼られて迫害された。家の中も世間そとも地獄だったから、僕は逃げたかった。でも、逃げられなくて。ちっぽけなひとつも叶わなくて僕はどうすることもできなかった。ひとりはどう頑張ってもひとり。


 ああ、頭痛い。衝撃で傷が開いたのかな。それはいい。問題はうじいんが汚れちゃうってこと。それだけだから、謝ろうとして口を開きかけて僕は、僕の意識は消えた。


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