とらっぷ・ばっと・のっとばっと


 僕は少し急ぎ足で教室に向かい、足下と扉の罠を躱して中に入った。毎度思うんだけど足下画鋲地獄とか黒板消し落下の罠とかつくるの面倒じゃね? どんだけ暇だよ。


 バカトラップを躱して教室の奥にある席に腰かける、前に両面テープで貼られた画鋲を取っておく。僕はいたってノーマルなひとだ。ケツ画鋲する趣味はない。黙々作業して、画鋲を全部取ってゴミに捨てていると舌打ちの音がいくつか聞こえてきた。


 僕は一向に気にしない。


 それがまたクラスの連中にとっては苛立ちの種なんだろうけどしょうがない。僕はそんなことで心痛めるナイーブ女じゃない。ええ、はい。心中で意味わからん主張をしながら椅子を引いて腰かけ、鞄から筆箱を取りだしてミニテスト用に筆記具などをだした。


「おい、神無ちゃんに謝れよ」


「なんで?」


「お前、突き飛ばしただろ!?」


「そのこと、神薙がなんか言うならまだわかるけど。どうして、無関係な外野にごちゃごちゃ言われなきゃならないの? ガキ臭くない正当な理由ってのを説明してみてよ」


「ちっ、これだから不良は」


「はっ。説明能力もない無能に言われる筋ないから引っ込め、でしゃばり野郎」


 僕の応戦に相対していた男子が真っ赤になった。なにが琴線に触れたのか知れない。でしゃばり、か? それとも説明能力がないというを言われて腹が立ったのか。


 どうでもいいが、バットはさすがに凶器、だと僕も誰でもわかるって思うんだ。


 机の天板が叩かれてへこんだ。アレが頭に落ちていたら確実に死んでいたな、と思う威力でやっぱり男子は力が違うんだ、と結構どうでもいいことを僕は考えていた。


 でも、奇妙。相手は確実に僕の頭を狙っていた筈。どうして、狙いが外れた?


「な、な、なんだよ、お前」


「……もう、来なくていいですよ」


「は?」


 いきなり頭上で聞こえた声に僕は意味が一個もわからずにはてな、するしかない。


 なんかすんごく直近で聞いたことある声だった気がするけど、アレか? 空耳幻聴はたまたとってもよい方向に考えて単純明快に気のせい、だとか? だろうか?


 へこんだ机を見ていた僕が視線をあげると目に飛び込む綺麗な姿。僕なんかにこんな表現は似合わないが、なんと言うかそう、ホント、王子様みたいだ、このひと。


 そこにいたのはあの時、職員室前の廊下で別れた男子。……あれ、生徒だったの?


 ……いや、それにしたっておかしいだろ。普通ってか低レベルより少し上な高校にこんな綺麗な生徒いたらもっと女子とかきゃーきゃー言うし、騒ぎ立てる筈だろう。


 この顔で、あの仕草とかで女子が騒がない道理の方が見つからねえぞ。うん。


「大丈夫ですか?」


「はあ、つか、なに?」


「なにがですか?」


「来なくていいってどういうこと?」


 僕の質問に相手は、あの美形さんはきょとんと首を傾げた。なにか、変なこと言ったかね、僕。おかしなことは口走っていない筈だが、なんなんだろう。この、沈黙。


 僕の疑問は言われた男子の疑問でもあったようですごく訝しげに美形さんに注目している。僕とバット男子双方の疑問に美形さんはとても簡潔に、さらっと答えてくれた。


「退学通知を行っただけですが?」


「……え?」


 僕が疑問の声をあげると同時にバット男子も驚いて同じ音を吐いた。それを聞き咎めて美形さんはバット男子ににっこり、とちょっと惚れ惚れする笑顔で再度、通告した。


「もう、学校、来なくていいです」


「な、あ……?」


「こんなもので女性を殴ろうなんて……。異常な凶暴性と素行不良を認めて退学処分に処しますよ、と言ったんですが、それがまさか、理解できませんでしたか?」


 なに堂々変なこと口走ってんの、こいつ。


 んなもん一介の生徒が決められるわけないのになに言って……ってか、生徒ですらなくない、このひと? よく見なくてもこれ、他校の、上流階級の学校の制服じゃ……。


「なん、だよ。意味わかんね」


「この程度の音が解せないならなおさら、退学した方がいいでしょうね。学費の無駄使いです。ご家族や世間様に迷惑をかける前にさっさとでていってくださいますか」


「ふざけんなっ」


 怒りで真っ赤になったバット男子はバットを振りあげようとしたが、美形さんが許さなかった。バットを片手で掴んでいる。……おかしい。これ、見た目金属製に見えるけど、どうしてへしゃげていってんの? なんかもうスクラップ寸前ですが? 錯覚か?


 僕が現実逃避しているととうとうバットが限界になった。潰れた金属の棒が教室の床に落ちる。カランカラン、と軽やかな音がしたのだが、なんとなく、死刑宣告に聞こえた気がしてならない。バット男子はノットバットになって腰が抜けたのか後ろにこけた。


「こ、こらっなにをしとるか!?」


「せ、先生、こいつバット素手で」


「バットなんかどうでもいい! 怪我はしていないか、大丈夫かね、雲林院さん?」


 教室に駆け込んできた教師、影先生。通称ハゲ先生。だってね、かなりいっているっていうか、逝っているっていうか。とりあえず毛の女神がほとんど実家に永久帰省していてノーヘアーなのに最新へあすたいるぶっこいているのが面白いって変な人気者。


 変な大人気博しているハゲだが、僕には普通に当たりが強いので僕は好きと違う。


 影先生だけじゃない。教員はみんな僕を目の敵にする。朝の石橋じゃないけどみんな僕のことが気に喰わないからしょうがない。でも、なんだろう……この、違和感。


 影先生はいつもたいていのこと屁とも思わないし、気に留めない。ましてやこんなよくわからない、客なのかすら不明なひとをここまで過剰に心配するなんてありえない。


 だというのに、今の先生は顔真っ青だ。なんかこの、えっと、うじいん? とかいうのが怪我したら人生終了、と思っているのがビシバシ伝わってくる。……なんなん?


「ここ、予想以上に腐っているんですね」


 ああ、なのに、影先生の顔色がかつてないくらい最悪チックなのにうじいんは満面の笑みですさまじいことを言いなさった。腐っているって、アンタ……。たしかに学力は並の高校だけど、他校と比べても不良は少ないっていうかで僕くらいなものだよ?


「え、あ、あ……」


「今、早速ひとり処分対象に通告しましたのでのちほど事務処理をお願いしますね」


「は!? ちょ、待てよ。お前誰だよ!?」


「僕が誰かなんて関係ないでしょう? 少なくともあなたみたいな不良で退学になった方には。清々しいまでに一切ないですよ。僕との接点も、僕がここへ来た用向きも」


「お、俺が、不良? 退学? ふざけ」


「加藤」


 うじいんと元バット装備男子が問答しているその間に影がさっ、と割り込む。


 えと、影先生によると加藤? はいきなり退学しろと言われて混乱しながらもふざけているとうじいんに抗議しようとしたところに影先生が割り込んでほっとしていた。


 突然、意味わからないことを言うやつとの間にクッションができたと思ったようだがそう、甘かった、としか言えないのだろう。だって、影先生の顔は鬼のようだ。


「でていけ」


「……え?」


 金属バッター加藤は思わず呆けた。影先生の言葉が理解できなかったようで目をぱちくりさせている。それはそうだ、でていけと言われたらつい、理解に苦しむ。


 けど、影先生の顔は冷たい。まだ若干顔色悪いが、以上に冷気を纏った顔だ。


「退学手続きの書類は後日郵送する」


「へ、は……は? なに、言って」


「今すぐでていけ。警察を呼ぶぞ」


「ひっえ、な、なんで? 俺、なにも」


 なにもしていない、と主張したかったんだろうがとても通らない。まあ、金属バット振りまわしていた、ってのに変わりないから。クラス中フォローのしようがない。


 入学当初、まだ一ヵ月くらい前、加藤こいつがクラスメイトに話しているのを聞いた。とりあえず高校さえでれば働き口が増えるし、親もうるさくしない。なのに、入学一ヵ月でまさかの退学処分。いや、でもここ退学になったからって余所に編入学が……。


「ああ、そうだ」


 僕が憐れな加藤にこっそりお義理でご愁傷様していると楽しげな声が聞こえてきた。柔らかいのに異様に冷たい声の主は笑っている。うっとりしそうなくらい、爽やかに。


「他に編入しようなんて無駄なことはしない方がいいですよ。ねえ、兄さん?」


 うじいんの言葉で僕は教室の扉がある場所を見た。そこにはこのひとの兄貴たちが立っていた。ひとり眠たそうに欠伸して。ひとり厳しい顔で眉間に皺を寄せて。


 うじいんの言葉に長男が頷く。そしてとんでもないことを平然さらっと口にした。


「市の方に連絡を入れておいた。すぐにでも全国の高等学校に連絡がいくだろう」


「は?」


「お前の最終学歴中卒ってこと」


「……え?」


「あとは器物損壊と暴行で起訴、かな?」


 なに言ってんの、こいつら。長男は市に連絡した。次男は加藤に加藤の最終学歴を教えてやった。三男はあろうことか起訴する。だって? ……え、っとなにしたんだっけ? そんなたいしたことしていない筈。なんでこんな大事になっちゃってんの?


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