赤の他人だから、昔の痛みを少しだけ


「もし、どなたかいらっしゃいますか?」


「?」


 僕がどうしようもないことを考えていると声が聞こえてきた。柔らかくて、今までに聞いたことがないほど優しい声。あったかい、声だと、ふと感想を抱いた。


 まだ一限、もっと言うとホームルームもはじまっていない時間。こんな場所に誰が来るんだ、ってのに興味を擽られたというのと片づけがちょうど終わったので外へでる。


「あ、すみません。ひょっとしてここのお片づけをされていたんでしょうか?」


「他に倉庫でなにすんだよ」


 つい、いつもの癖で嫌みというか悪態が倉庫をでるついでにでていってしまった。


 声をかけてきた相手を見ることなく僕は捨てておいた鞄を拾う。怒ったか。むっとされたか。いまさらな心配をしている僕に、だが、相手は予想外の反応を返してきた。


「ふふ、そうですね。すみません」


「なんで謝るの?」


 言いながら相手を見る。と、意外なことにそこには男が三人いた。しかも、全員が全員すげえ美形だ。中でも柔らかそうな美形がくすくす笑いの発作に襲われている。


 なんだ、そんな面白いこと、あったか?


「……」


「なに?」


 くすくす笑っていた男。とても、見た目ひょろそうな彼はふと笑いを止めて、僕のことをまじまじ見てきた。訝しみながら僕も相手を見るが、……改めて見ても美形。


 黒い髪なんだけど微妙な光の加減でカラメルみたいな不思議な色艶を浮かばせる。なんだろうな、珈琲みたいな髪だ。瞳も綺麗な茶色。少し長めに整えられている髪が囲むのは綺麗な輪郭で鼻とか唇の比率もすごく整っている。お人形さんみたいなひとだ。


「……おい」


「……」


「なあ、おいって」


「ぇ? あ、はい?」


 ぽかんと呆けたような声をあげて彼は正気に戻ったのか、目をぱちくりさせてきょとんとした。なんだろう。この敗北感は。男女問わず今の仕草は悶死しそうな可愛らしさ。女って自分のこと意識した覚えないけど自然と負けた気がするのは女独特の矜持?


 よくわからねえけど、いつまでもぽへーっとされていても困る。僕も授業あるし。


「なんか用?」


「あ、ええと、職員室はどこでしょう?」


「ああ、こっち」


 用向きを聞けたので僕は案内に歩きだす。すると、後ろを美形三人がついてくる。


 読んだことないけど、クラスの女子たちが話している内容からして少女漫画? ってのだとここから恋がはじまったりするのか、な? や、僕、別に恋したいわけないけど。こういうシチュだと案内途中で放送局に目撃されてトラブルとかあるみたいで面倒。


 放送局ってのは噂好きなひとのこと。そういう人間はあることないこと好き勝手に噂を捏造する輩が多いらしい。見つからねえうちにとっとと案内終えちまおーっと。


「血のにおいがする」


 びくっとしちまった。だってそうだろ? いきなり首の裏に囁かれたら誰でもびくってなるよ。しかもなんだよ、血のにおいがするって……。どこの野獣コメだ。


「ちょ、雪夏兄さんっ」


「くんくん」


「くんくん、じゃないって兄さん!」


「殴っていい? ねえ、これ殴っていい?」


「す、すみません。ちょっと、兄さんっ」


 先ほど声をかけてきたひとのこれは兄貴らしい。僕の背中に張りついているので見えにくいが、先ちらっとだけ見たうちのひとり。レイヤー多めの短め珈琲髪にカラフルヘアピンしている方じゃないかな。だってもうひとりの方は厳格そうなお兄さんだったし。


 こんなこと、絶対しないだろう見た目だった。けどなにギャップ、とか? うわ、萌えねえ。って、じゃなくて! だから、なんなんだよいったい! 血のにおいって。


「……。怪我を、しているのか?」


 どうしよう、殴っていい? 誰かに許可を求める僕にもうひとり先からずっと黙っていたひとが口を利いた。あ、多分、これがあのお兄さんだ。長い珈琲髪をひとつに束ねていたのと、鋭い静かな瞳が印象的でなんとなくだけど、長男っぽい雰囲気のひと。


「秋雪兄さん?」


「雪夏の鼻は誤魔化せん。どこか怪我をしているのか、それとも月のものか?」


「秋兄さんまでなに訊いているんですか!」


 ホントだよ。いきなり、会って十数秒で月のものが、とか訊かねえよ、普通。


 ダメだ。関わるんじゃなかった。関わってから後悔するって意味ないけど次に繫げていけ、僕。……でもまあ、今後一切関わる予定がないんだったら、いいかな?


「僕、月のもの、ないから」


「? え、っと女性の方、で」


「? うん。一応女だけ……ああ、僕が自分のことを「僕」って言おうと僕の自由だから突っ込み不要でよろしく。んと、より正確に言うと、なくなった……のかな?」


「干あがった?」


 おい。干あがったとか言うな。仮に正しい認識だとしても歳頃の微妙な女の子に向けるなそんな暴言。呪われるぞってか呪われろ、むしろ呪ってやろうか?


 えっと、こいつはそう、真ん中になるのか。今度言ったら呪ってやろう、真ん中。


「たまに気まぐれでちょい来ることもあるけど基本ない。……壊れちゃったからね」


「?」


「初潮きたばっかの頃、兄貴に下腹蹴られてさ、卵巣潰れちゃってんだ、僕」


 アレは痛かった。ホントに悶え苦しむ激痛ってああいうのを言うんだって思った。痛みが限界を超えると悲鳴もでないんだーってことも知った。だから、僕は半分女じゃない部分があるから、だから、自分のことを「僕」、だなんて言っているのかもしれない。


 あの時から僕は女の証をふたつ失くした。


 けどまあ、子宮全摘のひとが抱えている絶望ほどじゃねえのかもな、僕のなんか。ただ未来にこどもを抱けないってだけで一応女の体、女体の機能を備えているから。


 だけど、その影響なのか、胸もそれほど育たなかったし、身長も伸び悩んだ。ホルモンバランスとかのせいなんだろうなぁ。下着とか洋服代が浮くから困らないけど。


 きっと、それが目的だったんだろうな。


 深夜に僕をどうするか、の家族会議で避妊手術を受けさせようか真剣にクソまじめに議論していたし。んで、結論が僕の卵巣破壊。犬猫じゃあるまいし避妊手術を望むなんてありえないから事故で処理した。いや、事故にすらなんなかったっけね。


 僕は病院に運ばれることなく、親父の跡継ぎに医学部へ通っている兄貴の触診で卵巣破裂を確認されただけで放置され、三日三晩内臓破裂の激痛と出血と高熱に唸った。


 呻き声でもあげようものなら次はなに潰されるかわかんないから布団や枕を噛んで必死に悲鳴を噛み殺した。で、やっと痛みが薄れた朝、すごく悲しかった。もう、学校で習ったような未来はないって知ってすごく、すごく悲しかったのはよく覚えている。


 自分の卵子でできた自分の赤ちゃんを抱くってことはないんだって。僕はある意味で本当に母親になることはないんだって。一週間経って、から復帰した僕は心神喪失状態で。けど、誰にも相談できなかった。僕には味方なんて、いなかった。


 昔見ていた戦隊ものにありがちな悲劇も、救済も起こらなかった。ちょっと悲しいことがあっただけで正義の味方なんて、全然現れなかった。何度も空に祈った。助けて、と心で叫んだ。でも、救いの手はなくて。誰にも顧みられず、僕はひとりぼっちのまま。


「……どうして」


「ん?」


「どうしてそんな、ひどい目に遭ったのに」


「別に。僕がこうむったのなんて世界から見ればありふれた不幸にすぎないだろ?」


 そう。世界にはもっともっとひどいことがいっぱい転がっている。腐るほどに。


 僕のなんて小話だ。……ああ、だから僕には一向に救済が来ないのか? 僕の不幸がありふれたものだから。僕なんて救っている暇があれば他のもっと辛くて苦しい思いをしているひとを救わなければならないから。だから、だから、だ、から……。


 ん。納得した。すげぇ意外なところで納得する要素がえられるものだ。感謝感謝。


「着いたよ、職員室。校長室はふたつ隣の扉がそう。って、札ついているけど」


「あ、ありが」


「別に。礼なんて要らないよ。じゃあ」


 うだうだ言われる前にさっさと立ち去ることにした僕は急ぎ足で教室へ向かう。


 僕なりに鉄板だと思っている面倒回避術。


 相手も直前に重い話されて躊躇したのか、手を伸ばそうかどうしようか迷った。


 その間に僕は三人にさようならした。もう、会うこともない。例え会ったとしても僕とは住む世界が違う。明らかに、三人のオーラは僕みたいなのと無縁そうだから。


 だから昔の痛みを少し暴露した。それによって生まれるものなど考えなかった。


 背後から呼び止めたそうな声が少しだけ聞こえてきた気がしたけどそれを誰か止めたようで三人のうちひとりとして追ってくることはなかった。よかった。面倒回避成功。


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