第4話 『家事をやってくれるメイドさん募集!』(後編)

「はぁ……まったく澪奈の奴、また皿を壊しやがって……」 


 木曜日。僕は学校を休み、ショッピングモールで皿を買う羽目になっていた。

 

 昨日の夜は本当に大変だった。

 もともと僕が、レトルトではない本当のカレーを作る予定だったのだが、雪奈がどうしてもやりたいというので彼女に手伝ってもらったのだ。野菜を切る時に失敗しないよう傍で見守り、肉を鍋に入れ、分量を間違わないようにルーを投入するのを見届けてひと安心したのが間違いだった。お手洗いから戻ってきた時にはもう、ついさっきまで美味しそうだったカレーが黒焦げになっていたのだ。


「おい……雪奈、火加減を勝手に変えただろ?」

「ご、ごめんなさいっ……お腹が空いたから早く食べたくて」


 でも、一応食べられる程度には何とか美味しかった。

 真の問題児は澪奈だったのである。


 びちゃっ、つるっ、バリン。

 彼女のやる気は素晴らしい。言われなくても自ら進んで洗い物をするその姿勢は大したものだ。でも――僕が少し目を離した隙に、カレー用の大皿を立て続けに三枚全部割られては、評価は帳消しどころかマイナスになってしまうのは当然だろう。

 

「……澪奈」

「わ、我が名は『皿を破壊せし魔術師ディッシュ・クラッシャー』……全ての皿を粉砕――」

「お前はしばらく洗い物禁止だからな」

「……ごめんなさい」


 本当は雪奈が洗い物を、澪奈が料理を手伝ってくれれば解決するのだが、なぜか二人とも逆をやりたがる。「雪奈がお父さんの分のカレーも焦がして、澪奈は僕たちの大皿を全部割りました」と父に報告する兄の気持ちも少しは考えて欲しいものだ。

 まぁ父は娘たちに甘いので、笑って許してくれたのだが。


 それはさておき、平日の午前中から学校を休むのは褒められたことではないけれど、たまにはこうして学校をサボってゆっくり過ごすのも悪くないなと思った買い物のひとときだった。



 ***



 せっかくの機会だからと他にも色々買い物していたら、すっかり夕方になってしまった。家に帰ってリビングのソファでくつろいでいると、滅多に鳴らないスマホが突然震えた。


「何だろう……って、えぇっ!?」


 それはメッセージアプリの通知。

 それも何と、誰かから「友だち追加」されたというお知らせだった。


「『ゆいか』って…………まさか夕島さん!?」


 そもそもどうやって追加をと思ったのだが、多分クラスのグループから追加したのだろう。そういえば入学後すぐに一応入れてもらったけれど、発言は一回もしていないし、特に盛り上がってもいなかったので存在すら忘れていた。

 それにしてもなぜ、どうして夕島さんがとドキドキしていると、さっそくメッセージが送られてきた。


『勝手に追加しちゃってごめん!』

『今日休んでたけど大丈夫?』


 悶絶した。

 あの夕島さんが、僕なんかのことを心配してくれたのだ。

 わざわざ友だち追加までして。

 現在の僕の友だちは「父」「ゆきな」「澪奈†深遠なる業火に刮目せよ†」の家族三人、それに僕をグループに誘ってくれた時に連絡先を交換した学級委員長の「寺島」さんの四人だけ。そこに「ゆいか」が加わったのだ。


「や、ヤバい……既読がつけられない……!」


 この高校に入ってよかった。今日休んで正解だった――!

 思わずニヤニヤしていると、いつの間にか僕の近くでジュースを飲んでいた雪奈にゴミを見るような目で睨まれてしまった。


「……はいはい、分かってますよ」


 そうだ。こういう彼女の優しさが、多くの人を惹きつけるのだろう。

 勘違いしてはいけない。浮かれてはダメだ。


『大丈夫だよ』

『サボりみたいなものだから』


 震える指先でそう返信して、僕は夕食の準備に取りかかった。

 その後、彼女からの返信は来なかった。



 ***



「あー……ドン引きされちゃったかなぁ……」


 金曜日の放課後。体調を心配して連絡してみれば「サボり」と言われて、流石の夕島さんも僕にあきれ果てたに違いない――結局一日中僕と目を合わせることなく教室を出て行った彼女を、ぼんやり目で追ってしまう。

 いや、今までだって目が合ったことなんてないじゃないか。そもそも彼女の優しさは、きっと誰にでも向けられているものなのだ。都合の良い妄想を頭から追い出そうとして首を左右に振ると、夕島さんと話したあの水曜日の放課後の記憶が思い浮かんできてしまった。


『あっ、あの……笹木君っ』

『話したのは初めてだよね』

『あー、えっと……その……笹木君の好きな色って何かなって』

『……ふぅん、そうなんだ』

『あと、もう一つだけ。今ってお小遣いはいくらもらってるの?』

『……本当にそうなの?』

『――なるほどね』

『まぁいいや。急に聞いちゃってごめんね、それじゃ!』


 僕を見つめる澄んだ瞳。可愛らしく動く瑞々しい唇。

 一言一句覚えているだなんて、我ながら気持ち悪い。本当にどうかしている。


 それはともかく、金曜日の放課後まで待ったけれど、結局メイド候補は現れなかった。やはりご近所さんに頼むしかなさそうだ――そう思いながら溜め息をつき、教科書とノートを入れたバックパックを背負って帰ろうとしたその時、ポケットに入れたスマホが震えた。


『家事をやってくれるメイドさん募集の件』


 危うく心臓が止まりかけた僕は、急いで人目につかない階段の陰まで走った。


『ポスターを見ました。放課後、中庭の銅像前のベンチに座って待っていてもらえますか?』


 たったそれだけの簡単な一文。差出人の名前はなかった。当然だろう。僕の方もポスターに本名その他の個人情報を一切書いていないのだから。


 はやる気持ちを抑えきれず、中庭へと小走りに急いで歩く。

 いったい誰なんだろうか。

 文章は何となく女性っぽい雰囲気だけど――。


 下駄箱が並ぶ玄関を出て、校門とは逆に進む。中庭の中央にある初代校長の銅像の周りを取り囲んでいるベンチには、誰も座っていなかった。辺りを見回しながらゆっくり腰を下ろして、そわそわする心を見透かされないよう深呼吸をしてスマホを取り出す。これで完璧。あとはメールの送り主が現れるのを待つだけだ。


「――やっぱり笹木君だったんだ」

「ひゃいっ!?」


 だが、その急拵えの仮面は、次の瞬間に引き剥がされた。


 耳元で囁かれた、蕩けるような声。

 ふんわりと漂ってくる、甘い香り。


「ふふ、可愛い」

「ゆ、夕島さん……!?」


 学校一の美少女――夕島結衣花が、僕の隣に立っていたのである。

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