第3話 『家事をやってくれるメイドさん募集!』(中編)

「メイド、募集……」


 ある日の早朝。

 いつも通り朝早く学校に着いた一人の少女が、真っ赤なポスターを物珍しそうに覗き込んでいた。


 『家事をやってくれるメイドさん募集!』


 そう書かれたポスターを貼り付けてから逃げるように去っていったのは、彼女がついさっき背中をちらりと見かけた男子生徒だ。その背格好に、彼女はどこか見覚えがあった。


「これって……もしかして笹木君が描いたのかな?」



 ***



 ポスターを貼って三日目の水曜日。

 我が家のお手伝いさん――いや、メイドさんになってくれる人がいたらメールアドレスに新着があるはずなのだが、通知は一件たりとも来ていない。とはいえ、いつもは閑散としている掲示板の周りに人だかりができているし、認知されているのは間違いないはずだ。もっとも、面白がる声に交じって「えっ何これ」「うわー」「キモー」などというひそひそ声が聞こえてくることも多いのだが……。まぁ、それが普通の反応だろう。


「さてと、買い出しに行くか」

「あっ、あの……笹木君っ」


 連絡先のメアドはこのためだけに作ったアカウントなので、僕が作ったポスターだと特定されることはありえない。取り敢えず金曜日まで待ってみて、それでも誰も応募してこなければ、近所の顔なじみの人たちにお願いして回ろうかと思っている。少し気が重いけれど仕方ない――。

 そう思いながら帰り支度を済ませて立ち上がったその時、左の方から遠慮がちに声をかけられた。


「えっ、ゆ、夕島さんっ!?」


 夕島結衣花ゆうしま ゆいか

 クラスの右端最後列に座っている僕の左斜め前の席の女子にして、クラス一……いや学年一、いや校内一とも噂されるほどの美少女である。


「話したのは初めてだよね」

「そ、そうだね」


 衝撃の事態に思わず声が裏返ってしまった。ふわりと微笑みかけてきた彼女。そのボブカットの濃い茶髪は、窓から射している夕陽を浴びて、きらきらと輝いていた。


「……ど、どうしたの急に?」

「あー、えっと……その……笹木君の好きな色って何かなって」

「はい?」


 入学してまだ二週目。彼女とまだ話せていない多くの男子から、驚愕と怨嗟えんさに満ちあふれた視線が突き刺さってくる。なぜ僕の好きな色を聞いてくるのかさっぱり分からないけれど、流石に気まずくて彼女から目を逸らした。


「うーん……赤とか」

「……ふぅん、そうなんだ」


 本能的にそう答えると、彼女の空色の目がスッと細まった。


「あと、もう一つだけ。今ってお小遣いはいくらもらってるの?」

「月二千円だけど……」

「……本当にそうなの?」

「う、うん。今度からちょっと色々あって月二万円に増えるけど」

「――なるほどね」


 美少女に探られれば、本当のことを答えざるを得ないというものだ。母の離婚のこととか、父の海外出張のことについて口を滑らせなかっただけ良しとしてほしい。


「まぁいいや。急に聞いちゃってごめんね、それじゃ!」


 スクールバッグを肩に掛けてぱたぱたと駆け出していく彼女を見送りながら、僕は呆然と立ち尽くしていた。


「いったい何だったんだ……」


 すると、僕の周りに黒いオーラをまとった男子たちが取り囲んでくる。その後ろから、夕島さんと仲の良い女子たちが興味津々といった感じで近づいてきた。


「おい笹木……夕島さんとはどんな関係なんだ」

「教えろよぉ……」

「逃げるのは許さんぞ」

「あたしたちにも教えてよー」

「わたしも気になるぅー」

「ちょっ、関係とかないから!」

「嘘をつくなッ……!」

「あの夕島さんが自ら声をかけたんだぞ?」


 観念した僕が彼ら彼女らに潔白を証明するのに、結局三十分は掛かってしまった。



 ***



「それにしても、どうして僕の好きな色を聞いてきたんだろう……」


 近所のスーパーで食材調達を終えた僕が玄関を開けると、台所の方から何やら音がしている。手を洗ってリビングに入ると、エプロン姿の雪奈が台所の奥で何やら一生懸命に作業していた。


「雪奈?」

「……おかえり」

「!?」


 おかえり、だなんて言われたのはいつ以来だろうか。驚いて思わず目頭を押さえていると、いつもの鋭い目つきで睨まれてしまった。


「ええと……どうしたんだ、急に」

「どうしたって……その……み、見て分かるでしょっ」


 ――惨憺さんたんたる有様であった。


 銀色の流し台いっぱいに散らかる卵、卵、卵。


「あー……卵を割る練習か」

「……うん」


 耳の先を真っ赤にして、雪奈はこくこくと頷いた。

 普段は強気な長女だけど、やっぱり気にしていたのか。


「どれどれ、お兄ちゃんが教えてやろう」

「べ、別にそんなこと頼んでないんだけど」

「でも、スマホの記事を見ても分からないんだろ?」

「それは……はい」


 シンクの上には空っぽになった六個パック。そして半分がなくなってしまった十個パックの卵があった。


「じゃあ、まずは一個チャレンジしてみて」

「……うん」


 恐る恐る取り出した卵を、妹はシンクにコンコンとぶつけた。

 殻に小さいひび割れが入ったものの、それでは流石に弱すぎる。 


「もう少し力を入れて良いよ」


 ――ゴン!!


 グシャッという音ともに、黄身が流れ出した。


「あぁっ……」

「なるほどな。ちょっと貸してみ?」


 卵を触ってみると、かなり冷たい。冷蔵庫で相当冷えていたみたいだ。


「ちょっとこれは上級者向けかもな。ちょっと時間を置いてみよう」

「はい……」


 冷蔵庫に買ってきた食材を詰めて時間を潰し、十分後に再チャレンジしてみると、果たして殻にちょうど良いひび割れが入った。


「そう。卵を優しく包み込んで、両の親指を優しく入れて……そう、そのまま。ほら、できた!」


 振り向いた雪奈の顔が嬉しそうに歪み、緩んだ鋭い目が涙ぐんで。

 思わずつられた僕が感動していると、再びグシャッという聞き慣れた音が聞こえてた。上手く割れた卵の殻を、力を入れたままの親指で押し潰してしまったらしい。


「嘘っ……!」

「まあ、でも一歩前進だな」

「……ん」


 泣き出してしまいそうだったので、小さな頭を優しく撫でてやる。いつもならぶっ叩かれそうなところだが、今の彼女は黙ったままうつむいて、そして耳をほんのり染めて受け容れてくれていた。

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