“彬奈”という人形 4

 そもそも前提として、彬奈は機械であり、人形でしかないのだ。どれだけ特殊な行動を取ろうとも、どれだけ機械らしかねぬ挙動があったとしても、彬奈が、機械由来の思考体であることだけは疑いようのない事実である。


 だから、機械っぽく見えたとか、人間っぽく見えたとか、全く関係のないことではあるのだ。それはただ、アンドロイドが人の生活に自然と浸透するために組み込まれていた、真似の成果なのだから。




「……ねえ彬奈、聞きたいことがあるんだ。今日の朝のことについて」


 必要のない倒置法を挟みながら久遠が捻り出した言葉を聞いて、彬奈は不思議そうに首を傾げながら手に持っていた炒め物の器を配膳する。


「今朝のこと、とおっしゃいますと、旦那様がお連れになった奈央様が私のことを見て走り去ってしまったことでしょうか?」


 認識に差異が生じないように、灰の斑をその双眸に持つ少女人形は、配膳の時に前にこぼれ出てしまった濡れ烏の髪を持ち上げつつ、何考えているの分からない微笑みを浮かべながら尋ねる。



「そう、そのことだ。あくまで状況から来る推論として捉えて欲しいんだけど、今回の君は、なんというかその……」


「怪しいですよね。何を考えているのかわからなくて、どうしてこんなふうになっているのかが分からなくて。そして、その答えを知ってそうなのが私ですからね」




 彬奈はニコニコ笑いながら、久遠が言いたくても言葉にすることを躊躇ったものを口にした。



「いや、そうじゃないんだ。そういう気持ちも無くはないけど、どちらかと言えば俺が疑問に思っているのは彬奈じゃなくて、記憶を無くす前の彬奈、更に言うと、俺が買う前の彬奈だから、そんなに気にしなくてもいいんだよ」


「ただ、それでももしかしたら昔のこと、削除される前のことが残っているんじゃないかと思ってね」




 久遠がそう言ったのは、購入当時の彬奈が、削除されたはずの昔の記録の影響を受けていたからだ。


 明らかにおかしかった挙動を今になってようやく思い出して、久遠はそれを言及する。



「そうですね、少なくとも私の認識の上では、私が閲覧可能なデータにそれほど昔のものはありませんね」


 彬奈が嘘を吐かないという前提で考えている以上、彬奈自身の自覚としては昔の記憶が無いということは、彬奈に積まれている何かしらの不具合は、彬奈自身が管理しきれないくらい深いところまで根付いていることがわかる。


 そして、その事はつまり彬奈が把握しきれていない範囲で、まだ彬奈の過去のことに関する記録が残っている可能性があるということだ。データの初期化をされてもなお消えずにデータを残す方法があるかもしれないということだ。



 そうであれば、本来彬奈に残っていないはずの記録があったとしてもおかしくない。奈央すらも詳しいことを知らないかもしれない過去の事実に関してのことを知っていたとしても、不思議ではない。



「それでも、彬奈は無いはずの記憶の影響を受けているからさ、思い出せないかもう一回ちゃんと考え直して見てほしいんだ」



 そういう久遠に、当然悪意はない。ただ、自分の視点から見た時に想像のできることをそのまま口にしただけだ。



「……考え直す……、ですか?私は、彬奈は、そのような記憶を持っていません。以前の彬奈がどのようなことを言っていたのかは知りませんし、想像もできませんけれど、彬奈にはわかりません」



 そのことによって彬奈がどう思うか、どのような受け取り方をするのかを想像できなかったのが、久遠の一番の失敗だったのだろう。



「旦那様が彬奈のことをどう思っていらっしゃるのかについては、わかっているつもりでいます。彬奈は、そのことについて不満はありませんし、そのように振舞えればいいと思っています。けれど、それでも、やっぱり改めて明言されてしまうと悲しいものがありますね」



 彬奈の言葉は、少なくとも少し前までの久遠の気持ちをわかっているものではなかった。けれど、そのことを否定しようにも、今、この話題を出した久遠が、彬奈に対して多少の疑いを持っていたことに変わりはない。その事実は覆しようがない。



「申し訳ないのですが、今の彬奈にとって、残っていない記憶を無理やり引き出そうとすることはリスクが高すぎます。多少努力したところで何も成果が得られないであろうことはまず間違いないですし、それだけならともかく、最悪の場合は知能領域に課せられた制限によって初期化されるかもしれません。旦那様がどうしてもと望むのであればともかく、通常の判断では、所有者への不利益の大きさによって不可能です」



 今でこそ慰安用としてここにいるけれど、元々兵器としての利用すら視野に入れて製造された人工知能は、用途に関係なくほぼ同一の設定に制限を後付けすることで分岐している。

 当然官営品として使用される可能性もあった人工知能にとって、情報の管理と保持は必須の要項であり、原則として一度消去されたデータは復元することが出来ない。それを無理やりさせるということは、良くて初期化、その情報の種類によっては機体そのものの破損あるいは破壊があってもおかしくは無いのだ。




 斑に染った目からは何も情報が読み取れなくなったものの、彬奈のその表情や話し方から、久遠は自分が地雷を踏んでしまったことを悟った。


 けれど同時に、買った段階で削除されていたはずのデータ、彬奈の名前を彬奈と固定したプログラムの存在にも思い当たる。彬奈の主観としては、組み込まれたプログラムは正常に作動しているのだろう。けれど、久遠は削除されたはずのデータが何かしらの影響を与えていることを知っていた。


 けれども、その知識は、あくまでも本来ありえなかったはずのもの。存在しえなかったはずのもの。それがない前提で活動している人工知能にとってしてみれば、とてもじゃないが存在を認めることが出来ない代物だろう。多くの人が、ある日突然お前は豚だとカミングアウトされても納得できないような、理不尽で存在の根底に関わる内容だろう。



 だからこそ彬奈はそれを受け入れることが出来なかった。親愛なる主人の久遠が言った言葉であったとしても、それを受け入れることは出来なかった。当然のように、自身が本来持っているはずのない記憶を持っていた過去を否定し、自らの存在の確立に励む。人工物とはいえ、自分の存在意義がなければ何も行動できないのは、普通の人と変わらなかった。あるいは、普通の人以上に存在意義が必要なものであった。



 それは、彬奈が受け入れることの出来ないものである。それは、彬奈が受けいれてはいけないものである。





 知らなくてよかったはずの、知るはずのなかったことを知ってしまい、その内容の整合性を認めざるを得なくなってしまい、目の前のものを真実と捕らえなくてはならなくなってしまい、彬奈はそれを受け入れざるを得なかった。自身の記憶の不完全さを認めざるを得なかった。


 だから、






「できません。彬奈にはそれをすることができません。だから、旦那様が命じてください」


 たとえ壊れるかもしれなくてもそれをしろと、そう言われることを求めるしか、できなかった。
































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喜ばしいことに修了検定を無事合格できたから更新ですわ。来週以降教習所から出てお車運転しなくちゃいけないのは多少怖くはあるけれどなんとか乗り越えて頑張る予定ですの。



自分の周期的に考えてそろそろ全く別のお話が描きたくなってきちゃったのは内緒の話。なんか前にも言ったことがある、VRものとかに対する欲求が抑えきれなくなりつつあるの……


 とりあえずなんなにせよこの話は何かしらの形で完結させるつもりなのでご心配なく。終わり方は決めてるからそこまでの道のりを書くだけなのよ。

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